【華軍】憧れた景色

愛されて育ったとは思う。
両親は目に入れてもいたくないほどに溺愛してくれているし、家は金持ちだし、使用人も優秀だし。私は恵まれている子供だ。
けれど、だからといって自分の将来を親に定められる謂れはないはずだ。
差し出された見合い写真を突き返して、親と些細な喧嘩をした。
私は家を繁栄させるための道具ではないのだから。

五社学園から入学願書が来たのは、そんな日だった。


春。生まれて初めて学園都市五社の地を踏んだ。
15年という年月を共にした家を出ることに抵抗はあったけれど、それよりも期待のほうが大きいのも確かだ。…つい先日親と喧嘩をしたばかりなのだし、距離を置きたかったのもある。

駅を降り、周囲を見回す。
『学園生活の間、面倒を見てくれる人を親が手配した』
…家を出る際に使用人がそう言っていたのだ。余計なことをと思ったのは黙っておくが、確かに(自分で言うのもなんだが)箱入りの自分が突然一人暮らしなんてできるはずもない。
目印は大きな青い外套。…とは聞いていたものの、そんな人間はいくらでも当てはまる。
どうしたものかと視線を巡らせていれば、足音が一つ。

第一印象は「ああ、確かに大きな青い外套だ」である。
その人は周囲の人々より、頭一つ飛びぬけて背が高かった。纏った紺碧の外套が歩くたびにひらりと揺れる。
しっかりと目が合う。彼がそうなのだなと理解して、丁寧にお辞儀をして声を発した。

「貴方さまが松谷さまですわね」
「ああ。香下家の娘で間違いないようだな」

彼は大きな傷の入った顔で私を見下ろす。背の高さもあって凄い威圧感だ。
私の表情が硬くなっていたのかもしれない、彼はすぐに次の言葉を続けた。

「松谷夕零、お前の面倒を任されたものだ」
「香下月、本日よりお世話になります。松谷さま」
「…突然知らない男の家に来るというのも心細いだろう。希望があれば寮の手配はする。荷物も多いな、まずは移動するか」

持って来ていた大きなカバンの一つを軽々持ち上げると、松谷夕零と名乗った彼は道を先導するように歩き始めた。
追い出したいから適度にあしらっているのか、根はいい人なのか。この時はまだ判断が付かなかったのを覚えている。


学園生活に慣れるまでは、寮の必要性の判断もつかない。
そう結論付けて、暫くは彼の家で世話になることになった。
甘やかされていたとはいえ、いずれは嫁入りを決められていた身。人並の家事炊事は修得していたものの、所詮は子供の出来る範疇だ。一人暮らしに慣れた成人のそれに敵うはずもない。

「世話になる身ですから、任せてくださってもよろしいのですが…」
「学生の本分は学業だ」

用意された夕飯に礼を告げて口を付けてから、そうぼんやりと呟いた。その呟きにもしっかりと返事をしてくれるのだから、この人はやはりお人好しだ。そう理解するのに、同じ屋根の下で過ごした一週間という時間は十分すぎるものだった。

そうぼんやりと思いながら、温かい食事を口に運ぶ。しっかりと出汁の染みた煮物の味が舌を優しく撫でる。

「お前は舞手だろう。前線に立つ分、早く契約相手を見つけておくのがいい」

ふと、思い出したように彼がそう言った。
舞手と詠手、この学園で定められた役割。私は神と呼ばれるものを直接討つ舞手というものらしい。
未だに現場に立ったことがない新人である、その急務性も必要性も完全に理解しているわけではない。

「契約というものは簡単に破棄できないのでしょう?簡単に決めて良いものなのですか」
「しないうちに大怪我をするよりは、ずっと良い」
「では貴方さまにもお相手さまがいらっしゃるのでしょうか」

どういう相手を選定すべきなのか、その参考に尋ねたつもりだった。
…返答はない、しばしの静寂。不思議に思って彼を見上げれば、彼は視線を伏せてこちらを見てはいなかった。

「いない」
「では、私と結ぶのは如何ですか?」

やっと帰って来た答えに、殆ど反射でそう返す。
実力のある教師と組めば、生存率は上がり点数稼ぎにも良いと考えたのは確かだ。
しかし一種の好奇心_彼の無言の真意が知りたかった。

その言葉を発した瞬間、彼が私を見た。凪いだ、冷たい瞳。
それでもその奥に何かが隠されているような気がして、好奇心は一層膨れた。

「純粋に身の安全を優先するのなら、貴方さまのような実力者を選ぶべきでしょう。純粋に心配をしてくださっているのであれば、拒否する必要もないと思われます」
「松谷先生、私は貴方さまが良いですわ」

この一週間、大人しく淑やかに務めていた私が自主的にそう申し出たことが意外だったのだろう。彼は一瞬だけ眉間にしわを寄せた。
なんだかんだと拒絶や拒否の言葉が並べられて、その度に私は反論をする。
最終的に彼は投げやりにこう言ったのだ。

「お前がこの学園で一年間生き延びていたら、考えてやる」


「だから、この一年間誰とも組まずに生き延びましたのよ!」

二年生に進級した春。始業式の直後に真っすぐ生物室へ向かってそう告げた。
先生は呆れたような、諦めたような、あるいは鬱陶しそうな顔で溜息を吐く。

「だからと言って傷だらけで討伐隊に出続ける馬鹿が何処にいる」
「いやですわ、貴方さまの提案でしたでしょうに」
「ああ言えばこう言う…っ」

再び吐かれた盛大な溜息。それに紛れるように返された返答に、私は笑顔を返した。

「貴方が良い」と言ったときに一瞬だけ見えた色。
"怯え"のように見えたそれに、酷く惹かれた。
怯えた眼差しで世界を見る貴方さま。その隣から見る景色は、とても楽しそうなのだもの。

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契約までの経緯、初めはただの好奇心。

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