ファントム覚書
劇団四季の「オペラ座の怪人」じゃないほうの怪人(ややこしい)と出会ったのは2011年、宝塚歌劇団花組の「ファントム」でした。
2018年雪組の「ファントム」も観劇し、ほうほう…と思っていたところに、運良く答え合わせみたいなタイミングで2019年城田優演出の「ファントム」を観ることが叶いました。
これ言っちゃうと元も子もないんだけど、宝塚歌劇って恋愛を中心に描かないといけないところが制約で、だから、もしかしたらこっちが私の観たかったほうのファントムなのではないかなぁ…と思った次第です。
キャスティングの妙もあったと思います。アラン・ショレのエハラマサヒロさん、ジャン・クロードの佐藤玲さん、ルドゥ警部の神尾佑さんはミュージカル以外のお仕事のほうが多い方々だそうで(プログラムを読んでのことです)、だからこそ演技の方向性とかたたずまいとか全体を通してのバランスになるほどね、となりました。
物語を読み解くうえで一番腑に落ちたのは、ゲラール・キャリエール役の岡田浩暉さんの言葉でした。
「演じていて苦しいですね。この物語で起きたことは全て、いわばキャリエールのせいですから。」(2019年「ファントム」パンフレット岡田浩暉さんのページより引用)
…本当にそれ!!!!!(一気になくなる語彙力)
キャリエールさえあんなことしなけりゃって気持ちと、だからこそ彼は彼なりの落とし前をつけたのだということ、解のヒントがここにあった。
「ファントム」は父と息子の許しあいであり救いであり、愛の物語だと考えるとこれまでの運びが腑に落ちるんですよね。
あと、クリスティーヌ/ベラドーヴァというのもよかった。別人ではなくどこまでいってもクリスティーヌにはベラドーヴァの影が重なるのだということがこれで明白になった。
残酷なまでに幼く無邪気なエリックがクリスティーヌに執着し愛する理由、「ぼくのオペラ座」と言い切ってしまうのはここだ…
エリック、それは一方的な愛でしかないよ、相手を見ているのか、オペラ座を見てるのか、母性を求めているのか、全部なのか、どれ?って。多分どれの自覚もない。
今回役替わりは城田優/愛希れいか/木村達成でしか観れてないのですが、エリザベートで異形とも言えるトートを演じた城田優だからこその存在感や異様さのあるエリックで苦しくなりましたね…
ファントムってこんなにしんどい物語だったっけ、しんどいよな、外と中が伴わないまま大きくなってしまった/存在させてしまった異形とそれに落とし前つける父親の話だもん…どう考えてもきつい。
楽曲はどれも美しく、また演出も城田優ならではの新しさがあり、「城田優がとらえたファントム」はこれかと答え合わせできたのですが、お土産としてしんどさを持ち帰ってしまった感です。
ただ、これだよこれ私が求めてる観劇は、「しんどくなるために観ている」これだ、みたいな依存性もあり、だから観劇はやめられないんすよね。
思いがけず得た観劇の機会ですが、2019年観れてよかったものの一つです。