今日だけ…神様を嫌いになりました…
日本選手が大活躍した昨年の「北京冬季オリンピック」。
選手の言葉には、知られざる苦悩と思いがあふれていました。
住吉輝紗良(スキー女子モーグル)
フリースタイルスキー女子モーグルの住吉輝紗良(すみよし・きさら)。
決勝1回目で敗退(2回目に進めず)後のインタビューには、
オリンピック選手の計り知れない苦悩と重圧が現れていました。
陸上競技でも、800m、1500mでインターハイ(全国高校総体)に出場するなど、多彩な才能で活躍してきた彼女でも、これほどの重圧に苦しめられていたことを知りました。
いろんなものを犠牲にして、どれほど練習して、どんなに苦しい思いを乗り越えて、ここまで来たか…。
本当にお疲れさまでした。
佐藤幸椰(スキージャンプ混合団体)
風向きなど様々な条件に左右される難しい競技を、レジェンド葛西は、こう表現しました。
しかし、こんな事態は、誰一人予想しなかったでしょう……。
スキージャンプ混合団体、日本の1番手 高梨沙羅は、103mの会心の大ジャンプを見せ、歓喜に沸く中、スーツの規定違反による失格…。
2番手で飛んだ佐藤幸椰のインタビューが心を打ちました。
ネイサン・チェン(フィギュアスケート)
ショートプログラムで、世界最高得点を更新しトップに立ったネイサン・チェン(フリーでも1位で金メダル獲得)は、想定外のトラブルで8位(最終順位は4位)となった羽生結弦に最大の敬意を表し、こう述べました。
2019年の世界選手権で、2位の羽生に22点差をつけて優勝したときも、彼はこう語っています。
ネイサン・チェンは、2018年‐2021年の世界選手権3連覇(2020は中止)、2017年-2019年グランプリファイナル3連覇と、ここ数年、圧倒的な強さを誇り、直接対決でも5勝4敗と羽生を上回っています。
それでも、羽生への最上級の敬意を払い続けるのは、羽生の真の強さを知るが故であると同時に、ネイサンと羽生、2人の人柄を表しています。
ネイサンは、超名門イエール大学に在学し、超ハイレベルな文武両道を果たしているスーパーマン。
と語るほど、膨大な勉強量をこなすため、大会中も合間を見て勉強する姿が見られる努力家です。
羽生も、早稲田大学人間科学部(通信教育課程 eスクール)を卒業しており、中学・高校時代の成績も極めて優秀で文武両道だったようです。
ネイサンが、羽生を心から尊敬してやまないのは、伝説のスケーターとしてばかりでなく、常に挑戦を続ける人としての生き方が、自分の理想に重なるからなのかもしれません。
羽生結弦(フィギュアスケート)
北京五輪で史上初の「4回転アクセル」が認定された羽生結弦。
五輪2連覇をはじめ、2020年2月四大陸フィギュアスケート選手権の優勝で男子史上初の「スーパースラム」を達成するなど、まさに偉大なる伝説の人ですが、国際スケート連盟が新設した「ISUスケーティング・アワード」で初代「最優秀選手賞」に輝きました。
全て英語でこたえた受賞インタビューには、超スーパースターの孤独と苦悩が伺えました。
期待、重圧、栄光、けが、不安…、様々なものを正面から受け止め、挑戦をやめないスーパースター羽生結弦。
成功の可能性は低いと分かっていても、『自分のやりたいことをやる』そう心に決め、コーチも付けずにオリンピックに挑みました。
「自分の生き方は自分で決める」そんな彼の生き様を…、
誰も代わることのできない真の英雄の姿を…、
しっかりと目に焼き付けました。
クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)が国際スケート連盟(ISU)公認大会で初めて認定されたフリーから4日。
記者会見の席で
スノーボードハーフパイプで、金メダルに輝いた平野歩夢も、
「4年前に比べると気持ちも考え方も変わった。小さい頃に戻った。」
と語っています。
極限まで突き詰めた先に見えたもの。
少年の頃に抱いた夢、あの時の自分…。
それが、競技者として、人としての原点なのかもしれません。
お疲れ様でした。今は、ゆっくり体と心を休めてください。
やがて来る、大いなる飛躍のために…。
ロコ・ソラーレとイブ・ミュアヘッド(カーリング)
日本中をとりこにした、ロコ・ソラーレの笑顔とチームワーク。
テレビで応援していると、いつも聞こえてくる明るい声。
仲間のショットのねらいが外れたときも、
スキップの藤沢五月が、ミスショットが続き苦しんでいるのを見ると、
常にポジティブで笑顔にあふれる、仲間思いなチームは、日本中に元気と優しさを届けてくれました。
予選リーグ最終戦、スイスに敗れ、オリンピックが終わったと思ったメンバーは、初めてみんなで泣きました。
その直後、スウェーデンの勝利により、準決勝進出を果たしたと分かったとき、その涙は、最高のうれし涙に代わりました。
どんなときも笑顔を絶やさず、励まし合いながら、楽しそうにプレーする彼女たち。
オリンピックの舞台であることを忘れさせるほど楽しげな彼女たちの姿は、見ている人の心を温かくしてくれるだけでなく、大切なことを教えてくれました。
彼女たちの決勝の相手、イギリスのエース、ミュアヘッドにもドラマがありました。
イギリスは、カーリング発祥の地。
4年前の平昌五輪では、3位決定戦で日本と対戦し、ミュアヘッドがラストショットを失敗しメダルを逃しました。
英国内で批判に晒され精神的にも追い詰められ、自問自答を繰り返した日々…。
と語っています。
4年の時を超え、ケガや様々な困難を乗り越え北京五輪出場を果たしたときには、
と笑顔で話しました。
4年越しの苦悩を乗り越え、悲願の金メダルを手にしたセレモニーでは、国歌を聞きながら目を真っ赤にはらして感動を噛み締めました。
会見に臨んだミュアヘッドは、「4年前のこと?これで忘れられるかもしれない。」と言って笑みを浮かべました。
そして、ロコ・ソラーレに最大級の賛辞を贈りました。
この称賛に対して、日本のスキップ藤沢五月は、
スポーツマンシップにあふれた、ロコ・ソラーレとカーリングは、
オリンピックの意味を、スポーツの素晴らしさを、
私たちに教えてくれました。
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