新しく何かを始めた時に、「去る人」が出てくるのをどう捉えるか
新しいことにチャレンジするとき、必ず何かしらのカタチで摩擦が起こる。反対意見を唱えてくる人だったり、求めてもいない忠告をしてくる人だったり、無言で去る人だったり。
反対するのも、忠告してくるのも、多少はあなたのことを思ってくれてのことだから、まだいい。余計なお世話だし、大体の場合、あなたが変わることで、その人の「安定した日常」が脅かされる恐怖からなのだろうけど。
でも、最後のは結構、痛い。
無言で去られるのは...
何か傷つけてしまったのだろうか?
何か気に触ることをしてしまっただろうか?
無言で去られた分、
答えのない「自分のアラ探し」が始まってしまうから。
そして、自分の目の前から人が去ることにもショックを受ける。
昔の私なら、そこでチャレンジを諦めていた。
そんな辛い思いをするぐらいなら、辞めてしまおうと。
みんなから好かれたかった。
それがナンセンスだとわかっていながらも、嫌われたくなかった。
昔と今とで何が違うかというと、
そのチャレンジが
「自分の人生を掛けるに値するかどうか」ということ。
価値観の違いから離れていく人がいても
自分は自分のやるべきことをやる
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その信念を貫けるかどうか。
そこまでの「強い軸」を自分の中に持てるかどうか。
それさえあれば、もうブレない。
人の反応で、自分の行動が変わらない。変えさせない。
「嫌われたくない」
「みんなから好かれたい」
と思いながら挑戦をするのは
自分のことしか考えていない証拠
もし、その挑戦が「誰かのため」になるもので
あなたがそれを提供することを待っている人がいるのなら
あなた自身が嫌われても
去る人が出てきたとしても
必要としている人に届けるために
挑戦を諦めないで欲しい
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