20190421 記憶する自己
生き方が下手なのは否めない。
昨日の日記を今書いている。
というのも、昨日、日記を書こうとした時に、感じたことはたくさんあったのに、うまく思い出せなくて虚無になってしまったからだ。
この感覚なんかに似てるなと思った。
人と遊んだ後に、写真を撮り忘れて、帰り道少し悲しくなる気持ちに少し似てる。
もちろん遊んだ事実は揺らがないし、その場で起こったことは間違いなく楽しかったことなんだけど。
例えば、ご飯に行ったら、ご飯の写真を撮るのでもいい。遊びに行ったら景色だけでもいい。
記憶から引っ張りだせるトリガーがあった方がいい。
なんでだろうと思ったら、「体験する自分(経験自己)」と「体験を記憶する自分(記憶自己)」がいて、それぞれが感じる幸せは異なるからだった。
(詳しくはダニエル・カーネマンの「The riddle of experience vs. memory」を見るのがいいかもしれない)
遊んでいる時も、「体験を記憶する自分」にアシストしていけたらいいなと少し思った。