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相手視点が大事という話

やっとみつかった。
居心地がいいというか安心して治療をお願いできる歯医者さんがみつかったという話だ。

歯医者さん選びは本当に難しい。街中にはけっこうな数あるのだけど、ピタっとくるMy歯医者さんがみつけられていなかった。

僕の場合は被せものが外れた時にお世話になるという感じなので、いち早く処置をしてもらうため会社もしくは自宅周辺で探すことになる。
そうなると会社終わりに行ける時間まで開いてるとか、土曜日曜もやっているところといった制約が加わるので当然選択肢は少なくなる。

そうやって選んだ歯医者さんで被せものをはめ直してもらい、他に悪いところがあればその治療をしてもらって数週間通って終わるパターンなのだが、また次回もこの歯医者さんにお世話になろうという気持ちになるところは無かった。

先生の人柄はよかったんだけど治療が丁寧でなかったとか、逆に技術はあるんだけど全く愛想がないとか、小さいことで言うと顔にかける目隠しタオルがないとかそういったことなんだけど、自分の中で明確な理由がわかっていなかった。

なのでとてもモヤモヤしていた。

しかし今回の歯医者さんとの出会いでそのモヤモヤがはれた。
僕は極端な愛想やサービスを求めているのではなく、高い治療技術があれば満足するということでもない。今までのところでは「自分を大事に扱ってくれた」という感覚が持てなかったということだったのだ。

今回の歯医者さんはそこが全然違った。

僕はあごのチカラが弱いのか、一定時間口を開けっぱなしにすると疲れてきて、あごがヒクヒクとなって開けた口が小さくなりがちだ。自分からは見えなかったので歯科助手さんがしてくれたのか、先生だったのかは分からなかったが、口が閉じないように治具を挟んでくれたのだ。
それがあるとあごが全然疲れない。

これは一例なんだけど、こういうことなのだ。自分が大事に扱われているという感覚。「治療なんだから我慢は当たり前ですよ」なのか「少しでも和らげてあげますね」というスタンスとでは安心感が全然違ってくる。そもそも歯の治療を好む人は少ないと思うので、こういった姿勢は誰しもが求めることなのではないかと思うのだ。

それとこの事は別に歯医者さんに限っての話でもなくて、どの業種の職場や仕事、家族や友人との間ででも大切な要素であるはずだ。

相手のことを大事に扱うこと。大事に思うこと。

つまり相手視点で考えるということだ。

今回の歯医者さんとの出会いでそんなことに気づかされた。