将棋放浪の旅
ひさしぶりの投稿です
引っ越しやら何やらで忙しく久しぶりの投稿になりました。
また、新居での生活が落ち着いてきたら、そろそろ詰将棋も10000問になりますので、実戦も再開したいとは思います。そういうわけで、今日のトップ画像はぴよ将棋のスクショにしました。AI対局、その後はネット将棋と再開して、ネット将棋解禁の記事も出しますので、楽しみにお待ちください。
今日は、20代~30歳くらいの頃の話ですが、将棋道場通いにはまっていた話をしようと思います。
道場破り?の旅へ
10代~20代の頃読んだ、放浪の真剣師という本などの影響で、全国を旅して将棋を指すというのに憧れを抱くようになりました。また、20代の頃は既に道場でも3,4段の棋力があったので、腕だめしというか大袈裟に言うと道場破りみたいに強い人と腕試しをしてみたい、という気持ちも出てきました。
そこで、私自身は関東近郊住まいなのですが、東京を始め大阪など全国レベルの強豪が集まる都市を中心に色々な道場を訪れて将棋を指すということをやった時期がありました。今日はその東京編の話をしたいと思います。
東京の道場で腕試し1
東京には、古くからたくさんの将棋道場がありました。強豪が集まる道場としては、蒲田や御徒町の将棋道場が有名ですが、それらの道場は本当に全国クラスの強豪が通う道場という認識でしたので、様々なレベル層の人が通っていた新宿将棋センターに行くことにしました。
ちなみに、後から知ったことですが、蒲田や御徒町の将棋センターも級位者から全国クラスの強豪まで幅広い人が通っている場所ですので、腕に自信がなくても気軽に将棋を指しに行ける場所となっています。
昔の新宿将棋センター
新宿将棋センターがオープンしたのは1965年前後ということで、かの有名な真剣師の小池重明も根城にしていたと言われる老舗の将棋道場でしたが、惜しまれる中2021年3月に閉店しています。その間何度か場所を変えて営業していたらしく、私が通っていたのは新宿の歌舞伎町にあった時代です。
当時の新宿将棋センターは、いかにも昭和の将棋道場といった雰囲気で中には、小さな食堂もあってラーメンなど軽食を食べることもできました。
手合い係のお兄さんがマイクで対局相手のアナウンスをするのが、特徴的でした。
閉店前の数年は、また場所を移転して営業していましたが、実質的に新宿歌舞伎町にあった期間が最も長く、まさに新宿将棋センターの黄金期を演出してきた空間であったと言えます。
新宿将棋センターに集まる将棋指し
私が、新宿将棋センターで指した数多くの将棋で印象に残ったものをいくつか紹介します。まず、特徴として新宿将棋センターのお客さんは比較的年配の方が多く、対局時計を使用しないわりには皆早指しでサクサク対局でき、また手合い係の方も丁度レベルにあった人を当ててくれるので、よかったです。レベル的には他の道場と比べ若干認定が甘めな感じはありました。例えば、将棋倶楽部24で初段もあれば、4段に認定されるといったところです。ですので、4段の幅が広く、あまり連勝を続けていると思わぬ強豪に当てられてしまう可能性もあります。
今では全国優勝者、当時も全国レベルの強豪と対局
当時の私は、30歳くらいで24では1900~2000ほどの棋力だったと思います。たまたま、6連勝とか7連勝くらいして、当てられた相手が当時高校生の超強豪でした。今では、全国優勝経験もある全国的に名の知られた強豪です。私は相手の事はまったく知らなかったのですが、当時からとても強かったらしく、やはり何かオーラというか雰囲気が他の将棋指しと違ったのを覚えています。
強い人は対局前から何となくわかるもの
何となく、強そうだな~と思いながら、戦型は横歩取りに進みました。当時私は、横歩取り後手番では45角戦法を指すことが多く、45角の定跡はある程度覚えがあったのですが、実際はこちら側の先手番でしかも相手が角交換から横歩を取る相横歩取りになりました。その頃の自分は先手番、後手番ともまったく指したことがない戦型(そもそもハメ手みたいのを避けるため横歩取り先手番は拒否していた)でした。なぜこの時、自分が横歩の先手番を受けたのかはよく覚えていません。だいたい、45角とか相横歩で初見で先手番を持つとハメ筋をたくさん知ってる相手にやられます。そもそもの棋力差がある中での未経験の戦型という事で、勝負どころが全くなく負けました。
後から知った相手の強さ
その人が誰なのかその時は知らぬまま対局をして負かされたわけですが、少なくとも当時の私より2段~3段差くらいの棋力差はあると感じました。戦型が相横歩取りにならなくても、負けていたと思います。恐らく24で言えば6段2500~2600はあるくらい、優勢になってからも逆転を許さない指しまわし、そして定跡に精通した点など大体の強豪に当てはまる特徴です。しかし、ある意味ではいい勉強にもなりました。この対局後は、かなり相横歩取りの定跡を勉強しましたし、定跡の大事さを再認識することができたからです。
もう一つ新宿将棋センターの思い出
こちらは、プロ棋士なので実名を出しますが、当時の新宿将棋センターでは何回か通うとプロ棋士の指導対局を無料で受けれるというサービスがありました。そこで、受けたのが屋敷9段の指導対局です。テレビの印象そのままで、物腰の柔らかな穏やかな先生でした。指し手もゆっくりした動作で、余裕を感じさせました。当時最年少タイトルホルダーの記録を持っていたプロの中でもトップクラスの実力者です。
初めての指導対局
実はこの屋敷9段が私が受けた最初の指導対局だったのですが、手合いは角落ちでまったくいいところなく惨敗でした。穏やかでそれほど口数も多くない印象ですが、そのままで対局後もこちらから、何がダメだったでしょうか?と聞くまでは特にアドバイス的なものもなかったのですが、聞くとちゃんと指摘をもらえました。これまで受けた指導対局の中では一番印象の良かった先生です。
何度か指導対局を受けて来て思ったことですが、対局前に駒落ちの勉強はすべきですね。プロの先生もそれを承知で手合いに応じた定跡を辿ってくれるので勉強になりますし、いくら角落ちとは言え、無勉でアマ4段程度がプロ棋士に勝とうというのはおこがましい話です。定跡の力に頼ることなく自力でプロ棋士に角落ちで勝つには県代表、いや全国入賞レベルの棋力が必要になるかもしれません。それくらい、駒落ちの勉強は大事なことです。
将棋の総本山
もう一つ、東京でよく通っていた道場が千駄ヶ谷の将棋会館道場です。
言わずと知れた将棋の総本山で、西にある関西将棋会館にも同じように道場がありますが、こちらの訪問記はまた後日お話ししたいと思います。
千駄ヶ谷将棋会館道場の特徴は、新宿と違い、子どもが多いことです。また、同じく対局時計を使用しないスタイルですが、中には長考するお客さんがいるので、そういう方と当たってしまった場合は、かなり悲惨な目に会います。子どもは、伸び盛りで段級位以上の強さを発揮してくる人が多いので、新宿のように連戦連勝というわけにはいかなくなります。
千駄ヶ谷で印象に残った対局
実をいうと、私は女性とはほとんど指したことがなく、例えば女流棋士の指導対局と言ったものも受けたことがありません。ネットでは知らない間に当たっていたこともあるかもしれませんが、リアルではほんとに数回レベルですね。そのうちの、一回がこの千駄ヶ谷でありました。何が印象だったかというと、当時お客さんではなく、いわゆる受付とか手合い係として、一番前の席に座っていた若い女の子だったことです。それが、いきなり対局席の方に来て自分の前に座ったから初めは少し面喰いました。恐らく、かなり遅い時間で閉店間際だったため、その子も仕事が終わって指しに来たのかもしれません。
女性の知られぬ強豪
勝手な先入観で申し訳ないですが、一部女流プロになるような人や女性のアマチュア大会に出るような強豪以外で、一般女性のアマチュア強豪というのはあまり聞いたことがなく、当時の自分もアマ4段くらいであったので、正直その辺の女の子には負ける気はしませんでした。
しかし、いざ対局をしてみると、顔も知られていないような普通の手合い係のアルバイトのような女の子(失礼)がこんなに強いのかというくらい強かったです。まだ20歳前後、大学生くらいの印象だったので、多分望めば女流プロにもなれるであろう実力はあったと思います。結果は私の辛勝でしたが、名も知られぬ女性のアマチュア強豪(しかもその辺にいそうな女の子)がいることに少しの驚きを覚えた対局でした。
リニューアルしたらまた行きたい
将棋会館は、同じ千駄ヶ谷ですが今年中に新会館へ移転予定です。超長考派の方、手合い係の女の子、指導対局をするプロ棋士など今となっては懐かしい思い出になっています。最近は道場にもほぼ行っていないので、また新しい道場がオープンしたら是非一度は足を運んでみたいと思っています。