遠い国のどこかで
こんばんは。早いもので、3月ももう3週目ですね。この調子だと、2021年もあっという間でしょうね。
さて。今回は、「遠い国のどこかで」というテーマで書いてみようと思います。
最近、湿っぽい投稿ばかりで、ごめんなさい。
一旦、今日で終わりにしますので、しばしお付き合い下さい。
東京に行ってきました
先週土曜、お通夜に行ってきました。
当初は翌日の告別式にも参加しようと思っていましたが、家族とも相談し、ご時世鑑みて宿泊は避けることにして、とんぼ帰りで東京まで行ってきました。
情が広くかつ深い方だったので、お通夜にもたくさんの方がつめかけていました。
なので、密を避けるため、滞留させないようごくごく短時間で焼香をあげるよう導線が組まれていました。
焼香にかけられた時間は、1分もなかったと思います。
気合い入れて最前列に並んだので、待っている間ずっと遺影を眺めることはできましたが。
なので、故人への感謝の言葉を、十分にかけられる時間はありませんでした。
今回、とんぼ帰りで東京に行ったことによる収穫は、「本当に、彼が亡くなった」という事実確認のみ、でした。
行きの新幹線でも、悪戯好きな彼のことなので、どこかで「壮大なドッキリなんじゃないか」と疑っていた(期待していた)のですが、まぎれもない事実であることが分かりました。
彼の死を「受け入れる」ことも、
彼に「これまでの感謝を十分に伝える」ことも、
彼の死を「乗り越える」ことも、
彼の死に「意味を見出す」ことも、
全くできませんでした。
でも、そうであっても、たった数十秒であっても、このご時世に東京まで行けて、彼の遺影の前で手を合わせ、焼香をあげられたことは、よかったです。
これすらできなかったら、反省どころか、一生後悔していたと思うので。
遠い国のどこかで
18時から始まったお通夜の最前列に並んで焼香をあげさせてもらい、すぐに上司とタクシーに乗って品川に向かい、品川駅でささっと夕食(富士そば、関西にはない)を食べて新幹線に乗ったのですが、奈良は東京からは遠く、それでも、自宅についたのは土曜深夜になりました。
翌日、日曜日。つまり昨日。
土曜に僕と遊べなかったフラストレーションがたまっていたのか、7時台に息子(6才)が僕の寝室に来て、まだ起きていない(厳密に言うと聞こえていたので起きてたんですけど)僕に対して、「お父さん、おはよう。遊ぼう。」と言いました。
休みの日は妻も息子二人もだいたい8時ごろに起きるので、いつもより1時間ほど早いです。
で、僕も前日の東京とんぼ帰りで疲れていたので、「ごめん、あと1時間だけ寝させて」と息子に言いました。
「わかった。大丈夫。ポケモンの塗り絵しとくから。」そう言って息子は一階のリビングへと去っていきました。
妻も次男も起きてきて、僕も起きて、着替えて朝ごはん食べて、結局朝9時台には、近くの公園で長男と二人野球とサッカーの練習をしていました。
11時頃、その帰り。
息子が、「お父さん、昨日どこに行ってたの?」と聞いてきました。
事前に妻とは、まだ6才の息子には早いだろうということで、事実をそのまま言うことは避けよう、と話し合っていました。
なので、「お父さんと仲が良い人が遠くに行くことになったから、お別れ会に参加するために東京に行っててん。」と言いました。
「遠くにって、どこ?外国?」
「○○ちゃんが知らないところやで」
息子、「国旗を描く」という趣味を持っているのですが、ここから、「自分の知っている国の名前を言う」モードに入りました。
「チュニジア?」「チリ?」「アメリカ合衆国?」「インド?」「韓国?」・・・(ひたすら続く)・・・「・・・あっ、バチカン市国?!」
「京都?」「北海道?」
国名が県名に変わってきたあたりで、自然に終了しました。
でも。
そんな、息子からの一方的な国名連呼を聞いていて、「そう考えるのもありかもなぁ」とふと思いました。
これまでも、東京と奈良で距離がありましたし、昨年リアルで会ったのも(コロナだったからもありますが)1回だけ。電話も、メールもLINEもしょっちゅうやりとりする関係でもありませんでした。
「遠い国のどこかで」彼は今も生きていて、現地でもひたすら笑って、タバコ吸って、うまいメシを食っている。
そんな風に思っていても、これまでと何ら変わらないだろうなぁと。
唯一、二度と連絡が来ない・二度と会えないことを除いては。
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