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情けない幼少期

好きなことをどんどん書こうと思ったけど、
昨日、この内容を書くと言ってしまったので…
書きます✍️

自己紹介でも書いたように
私は東京の生まれ🗼

それはそれは楽しい幼少期だったけど
3歳ごろ地方に引っ越しすることに…

理由は「おばあちゃんの認知症」

元々、若年性認知症だったおばあちゃん👵🏻
一人暮らししていたものの、遂に徘徊までしてしまうほど進行していました

3歳の私にとっては何のことやらわからず
親に連れられて地方まで引っ越しました🌿

最初の壁にぶち当たったのは保育園

前の保育園では、とにかく活発でお喋りでした

1番最初に保育園に登園して、登園してきた友達一人ひとりの名前を呼んで「おはよう」を言い、
お迎えが来た子に「バイバイ」を言って1番最後に退園する
そんな生活をしていました
(母は仕事も育児も家事もがんばる人でした💪)

母のことも好きでしたが、保育園にいる時間はとても楽しかった(はずです)

話始めるのも、友達の名前を覚えるのも誰よりも早く、先生の言うことを良く聞く子だったそうです🐣

引っ越しの時に貰った色紙には、
「名前を呼んでくれてありがとう」
「せんせーって言ってくれたの嬉しかった」
「パセリちゃんのこと大好きって言ってたよ」
「また遊ぼうね」「寂しい」
と、親御さんや先生たちの愛に溢れた言葉が並んでいました

母もここまで社交的だから次の保育園も問題ないだろうと思っていたそうです

しかし、新しい保育園では、気づいたら私の近くには誰もいませんでした

たまたま仲良くなった子がいたのですが、
その子に喧嘩をふっかけてくる女の子がいまして…
その子にはお兄ちゃんが2人
とにかく言葉遣いが保育園児とは思えないものでした

2人が喧嘩をしているので
「やめようよ、遊ぼ?☺️」
と言うと
「うるせーな!首突っ込むんじゃねーよ!💢
と言われ肩を叩かれました

乱暴な言動を一切受けてこなかった私は
とても悲しくなったのを覚えています
衝撃的すぎてこれは人生で2番目に古い記憶です笑

その後もことあるごとに私に突っかかってきました
当時は何でこんなことされるんだろうと思っていましたが、
今では、新入りの私に先生や他の子が取られてしまうのが、気に入らなかったのかな〜と思ったり思わなかったりします

そして、保育園に行けなくなりました

母は引っ越しの際に仕事を辞めていて
私が保育園に慣れたら新しい仕事を探そうと
していたらしいのですが、残念ながらその希望を叶えてあげられませんでした

保育園に行っても数日に一回、連日行けても半日で早退

嫌なことは嫌と言えればいいのに、それがうまく表現できない子でした
(何なら今もです😭)

「〇〇ちゃんにうるせーって言われた」
母にぼそっと言うのが精一杯でした

母は無理に登園させませんでしたが、
毎朝、母と離れるのが嫌で泣くのではなく、
嫌なことがある保育園に行くのが嫌と泣いていました

何やかんや保育園は卒園したのですが
第2の壁は義務教育の小学校🏫

何といじめてくる?子と同じクラスだったのです🙄

案の定、「うざい」「何これ変なのー!」「うわー!」
と何かにつけて私をいじることを言ってきました

ちょっと恐ろしかったのは、車が通る道路に
友達を押して遊ぶふりをして道路側にいた私を
道路まで突き飛ばしたことです😅(当時小5くらい)

流石に先生に言いましたが、先生も
「それはさ、パセリちゃん、怒っていいんだよ?」と言ってくれたものの、それっきり

その頃には引っ込み思案の私が出来上がっていたので、やられたらやられっぱなしでした😭

その子の口癖は「やられたら3倍返ししないと気が済まない!」でした
あなたいつやられたのよ?
3倍返し?それ以上でしょ
って言いたいことはあるけど、そのまま言わせておきました

まぁ、その子の悪評は広まっていましたが、
声が大きい子ってみんな従いますよね?
その子も例外に漏れず、言いたいことを言いまくって従わせていました

そして、なんとなんと中学でも同じクラスになったのですが…
ここからが悲劇でした…これが第3の壁

私がクラスの男子とあまり話さないのを良いことに、クラスの男子たちに私の悪口を吹き込んでいたのです
(もちろん女子にも布教済み😇)

悪口が布教されると何が起きるのかと言うと、
ただただ偏見の目で見られます🙄
あいつは変な奴、いじめてもいい奴みたいな

実際にわかりやすい出来事で言うと
私が授業中のグループワークで他の子の話で笑っていると
「お前の笑い方気持ち悪い」
近くの席の男の子が言ってきました
この出来事の後、少しして、クラスに居づらくなってしまい不登校に…😢

今なら「は?もう一回ちゃんと目ぇ見て言ってみー?今日あんたの親に電話するわ!」って言えるのにな〜😭って思います

先生に教室に居づらいことを伝えても
「本当に何か言われてるのか?俺は聞いたことないぞ?」と言われ
この先生が担任では無理だと頑張って登校することは早々に諦めました

他にも不登校の子はクラスに2、3人いたので、クラスの人たちは、あいつ来なくなったな〜ぐらいで気にもとめていなかったと思います(知らん)

このまま卒業できるギリギリまで休むんだなぁと思っていたのですが、私の知らないところで、女子たちのいざこざがあった様です

私をいじめていた子がある日突然、他の子からハブられていたのです

実際何があったのか知る気も起きなかったので、周りの子に聞かなかったのですが、
いじめっ子の態度が他の子達の我慢の限界を突破してしまった感じでした

いじめっ子以外の女子全員が私の周りに集まってきて、私にいじめっ子の悪口を聞かせるのです

長年、嫌がらせやいじめを受けると、
これは何か裏があるんじゃないか、
私がいじめっ子の悪口を言ってたとでっちあげてまた悪口を言われるのではないか
と思ってしまうのですが、
どうやら本当にいじめっ子がうざくて悪口を言っている様でした

これが女子の怖さですね😇
昨日の友は今日の敵…

「パセリちゃんもさ、あんなに有る事無い事、悪いこと言われてさー、ひどいよね!?」

あなたも同意してたじゃないか…と思いながらも愛想笑いで切り抜けました笑

そして、いじめっ子はハブられたまま中学を卒業
私もようやく解放された〜と思いました

今ならこう言えるのに…!!
と思うけれど、当時は本当に情けないほどやられっぱなしでした

環境や周りの人のせいにするわけではないですが、
思い出すのは、言い返せなかった情けない自分です
自分で逆境を打開することもなく、ただただやられて悲しんで、逃げた小中学校でした

でも今でも思うのは、当時、自分にできた自分を守るための精一杯の方法が逃げることだと

今いじめを受けてたり悲しんでいたりする学生がいたら、保健室登校でも学校に行くふりをしてサボっても、休んでもいいじゃないかと私は思います

できたら先生や他の大人に相談することですね
自分の気持ちを言語化するって子供の頃から鍛えておくの大事です💪

大学で受けた社会学の講義で、ある教授が
「自分が死んだって世界は変わらないと思うかもしれないが、人ひとりが死ぬと必ずその周りの世界は変わります。確実に変わります」
と言っていました

悲しむ人がいるし、
将来、あなたが救うはずの人が救われずに苦しむかもしれない
そう考えると、なんか生きていなくちゃいけないかもと思える

それに死んだら終わりなんだけど、
生きてたら数え切れない楽しいこともたくさん待ってる
それも全部無しになる
ってすごく勿体無い気がする

しかも全部無しになったのいじめっ子のせいとか
尚更、勿体無いしうざくない?

だから死ぬ以外の選択肢で学校卒業まで
たどり着いてほしいな

生きてて良かったって言葉があるのはそういうことで…

ぜひ生きて、楽しいこと経験してね

あ、あと!将来の私を救ってね


次は何を書こうかな🤔
気休めに「当たる懸賞の話」にします笑
また明日です!読んでね〜👋

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