日本企業の挫折と復活ついて考えた…モヤモヤする日本ブランドの現状
きっかけは家電量販店へ行った時の衝撃からでした。
テレビ売り場では、Hisense(中国資本)、REGZA(東芝かと思いきや中国資本、その東芝も上場廃止)、シャープ(台湾資本)の中国系ブランドが幅をきかせていて、日本ブランドのPanasonicやSONY、船井電機は隅に追いやられているありさま。薄々とは感じていましたが、実際に今の勢力構成を目の当たりにすると、素朴に「何故だ⁉」…やはりショックです。
それもそのはず、財務省財務総合政策研究所などのレポートによると、
2012年 日立が薄型テレビの国内生産を終了
2014年 シャープが欧州での家電生産・販売から撤退
2015年 パイオニアがオーディオ事業から撤退
2016年 鴻海精密工業(台湾)がシャープを買収
2016年 ハイアールがゼネラル・エレクトリック(GE)の家電事業を買収
2018年 東芝がテレビ等の映像事業をハイセンス(中国)に売却
なるほど選択と集中という一見立派な戦略にも思えますが、トカゲのしっぽ切りの如く赤字の事業を簡単に売却して損失を最小限にしようという、いかにも安直な行動にも見えます。売却事業がなくなってもほかにも事業があるから、まぁいいか…ということでしょうか? せっかく築いてきたノウハウをもう一度活かそうとは考えなかったのでしょうか?
大手製造業の執行役員・子会社社長を歴任された方に、「日本企業はなぜ世界と戦えなくなったのでしょうね?それどころか海外資本に押され気味だし?」と投げかけてみたら、
「テクニックややり方の問題ではなく、そもそも〝自信と誇りをもって世界で戦う〟という気概が薄れてきているのかなぁと感じる」と。
かつて日本には一代で世界と渡り合える会社をつくり、経営の神様と呼ばれる伝説の経営者やリーダ…いわば〝厳しくも人間味あふれる親父のようなリーダ〟がたくさんいました。一方で今は…、人と組織を動かす強いリーダシップをもつ後継者が現れなかった(育たなかった、育てることができなかった)と言えるのではないかとも思います。
しかしもっと…なにか論理的な真実があるのではないかとモヤモヤしていたら…、2つの本に出合いました。
ひとつめ、
この本では5つの大罪として、
誤認の罪(高品質・高性能・高付加価値を極めれば競合に勝てると思い込み、差別化が困難になるデジタル化の本質を見誤った)
慢心の罪(他国は日本に追い付けないと思い込んだ結果、自信が慢心にまで肥大化した)
困窮の罪(バブル崩壊など苦境の中で目先の課題に気をとられるあまり、「選択と集中」に邁進する中でイノベーションを起こす力を自ら削いでいった)
半端の罪(アメリカ流経営の中途半端な採用、経営層やエリートを守って現場をリストラする中途半端な日本型雇用改革が、最終的には組織全体のエンゲージメントの低下につながった)
欠落の罪(明確なビジョンを示せなかった日本の組織、経営者の消極的な姿勢)
を挙げています。
なんといっても実体験に基づく考察なので、それは説得力があります。しかも「④半端の罪」と「⑤欠落の罪」は今なお続いているように思いますしね。でも考えてみたらどれもこれも〝経営判断の誤り〟じゃぁないですか⁉
では、なぜ錚々たる経営者たちがこぞってミスリードしてしまったのか?
ふたつめ、
この本が訴えるメッセージを私なりに整理すると、概ね以下のふたつと考えました。
①「ヒトよりカネ」の似非世界標準経営(似非アメリカ式経営)の中途半端な導入が、エンゲージメントの低下を招いた
これ、私は激しく同意です。私がハナタレだった昭和の経営は、価値創造の主役はヒトであり、優秀な人財を囲い込むことが、企業の競争優位や差別化にもつながった時代でした。
しかしバブル崩壊などを経て、なぜか誰も彼もがアメリカ流経営に飛びつきカネ優位(必然的にヒト軽視)の経営へと舵をきりました。アメリカ流経営が競争原理と成果主義という、日本流経営の対極にあるにもかかわらず。
この本では、「日本の経営は遅れていると根拠なき悲観論や自虐による思考停止に陥り、コーポレートガバナンスの仮面のもとに、カネを守るためにヒトに無駄な時間を強いる経営とは言えない〝名ばかり管理〟が横行」と表現しています。
いずれにしてもヒト軽視は、先の「半端の罪」の如く、社員のエンゲージメント低下を招いたことは間違いがなく、これでは世界と戦えるはずがありません。
②日本は経営技術のモデル化、コンセプト化してまとめる力に弱点がある。その結果、経営技術の逆輸入が日本企業の経営に実害を生んだ
これは非常に納得感がある論理だと感じます。キーワードは〝コンセプト化〟。
従来の日本の経営技術は、特定企業内や産業内でのみ通用する文脈(濃密な人間関係に基づく阿吽の呼吸や根回し)に依存したものが多く、それが差別化=強みでもあった。一方、アメリカの産官学は世界中から有望なものを見つけ、論理モデルに変換して、誰にでも理解できるコンセプトを創出。
すると何が起きるか? 誰にでも理解できる経営コンセプトは、新たな事業機会とともに世界中に広がり…⇒当然、日本にも逆輸入され…⇒知らずうちに〝強み(すでに自社が蓄積していた経営技術)を自ら捨てて、弱み(美味しそうな表面だけ)を取り入れる愚行〟に走っていた…ということ。ビジネス界で「流行り言葉」「バズワード」となっている経営コンセプトの中には、日本企業の経営技術が源流のものもあるにも関わらず。
この本は、「日本企業は、文脈に依存した緊密なコミュニケーションを強みとしてきたが、このことが抽象化・論理モデル化の組織能力を低下させた可能性がある」と言っています。皮肉な相関関係です。
冒頭の元社長の「世界で戦うという気概が薄れてきた」という感覚は、まさに「5つの大罪(経営ミスリード)」や、「似非世界標準経営(似非アメリカ式経営)の逆輸入」を感じとったからこそかもしれません。
おかげさまで私のモヤモヤは少し晴れましたが、あらためて私たち日本人は本質的な弱点や弊害や愚行を認識し、意識を変えることによって、もう一度自信をもって独自のアプローチで取り組んで行けるのでは…と考えます。
先の元社長は、「高齢社会化・労働力不足に直面する日本には余り残された時間も無いのに、どうして皆さんジタバタしないのか不思議な気持ちだよ」とも。
手遅れにならないうちに‼️