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8月6日 / 広島原爆を扱った作品たち

原爆の子 (1952年)

これが公開された1952年という年はGHQが解体された年である。アメリカ軍による占領下で、世に出るもの全てが検閲の対象となっていた時代から解き放たれ、当時まだ原爆症に苦しむ多くの人々に焦点を当てた傑作である。

あらすじを説明する。主人公は、原爆によって家族を失い、広島を離れ瀬戸内海で小学校の教師をしている一人の女性である。夏休みになり広島へ里帰りし、家族の墓前に参りに訪れると同時に、被災当時勤めていた幼稚園の園児たちに会いに行く物語だ。

そこで彼女は広島で馴染み深かった一人の男性に出会う。彼はかなり年配に差し掛かるのだが、被爆によって視力を失い、顔にもケロイド状のものができ、身体もかなり弱っていたのだった。彼は息子を含め家族をほとんど失い一人で暮らしていたのだが、実は孤児院に預けられている孫が一人生き残っていたのだった。そして彼女はその生き残った男の孫・太郎を引き取って島で生活しようと試みるのだった。

私を含め、「原子爆弾」というものが実感の無い世代にかかってきている。教科書で習い、NHKのドキュメント番組で何となく概要を知り、修学旅行で原爆ドームに訪れる。ただ受動的に刷り込まれていて、それが全てだと錯覚してしまいかねない程、時の経過と実感の無い空虚な世代の層の積み重ねが生じてしまっている。我々が立ちかえるべき原点にはこの映画があると思っている。原爆投下から7年という生々しい空気の中、実感にありふれていた人たちの強い想いによって紡ぎ出されたこの哀しき話は、まさに血の通っている作品と言えるだろう。これを味わえる作品は残念ながら時の経過とともに少なくなっていくのはしょうがない。だからこそこの映画は日本人全員から重宝されるべきである。事実としてGHQ解体後の日本で後に続く原爆映画の一つの在り方、日本側からのメッセージと立ち位置の表明、それを示したエポックとなる作品で間違いない。

ひろしま (1953年)

「原爆の子」の翌年に公開された映画。これも同様、まだ原爆の記憶が色濃い中での製作と発表であったのだが、この映画を観た多くの現代人は当時の感覚として新しいものを体験することになるだろう。

それは被爆症という病気に苦しむ者たちへの偏見と圧倒的理解の足りなさ、これがこの時既に風潮としてあったということだ。被爆症についてはおろか、広島の原爆投下というものがどれほど凄惨なものであったか、そのリアリティすら持ち合わせていない人間がこのとき既に多く居たのだった。

おそらく戦時中はどの地域でも自分自身が生きることで精一杯で、誰もが苦しみを耐え抜いていたのだろう。そう考えれば広島には縁遠い者や、被爆をしていない者にとっては理解が及ばないのだろう。そういった生々しい現実をまず思い知らされるのがこの作品だ。

何と言ってもこの作品の原子爆弾が投下された広島の描写は凄まじく、温度と臭いとが伝わらぬ映画でありながらも、リアルな地獄絵図を想像せずにはいられないほどの描写の数々、思わず自分もその中に入ったかのように体験せられる。しかしどこまで行っても画面越しとリアルには明確な差がある。その事実を踏まえた上でも、この作品のインパクトはかなり強烈であった。日本人だけに限らず、世界中の多くの人に見て欲しい。少なくとも見ないよりはマシだ。原爆を使えば一体どうなるのか?先ほども綴った通り実感の無い世代が世論の大部分を形成するようになり、実験を握っている政治のほとんどもそうだ。こうなれば自然に危険が近づくのも避けられない。今こそこの世界に生きる人々全員がこの画面を直視すべきだ。

黒い雨 (1989年)

あの巨匠・今村昌平監督によって制作された大傑作。

原作は井伏鱒二の「黒い雨」だ。これもまた日本文学史に残る最高傑作の一つと言っても過言ではないだろう。

まずこれは小説を初めて読んだときの衝撃が忘れられない。文章でこれだけ凄惨かつ残虐極まりない状況を描けるのかと。一々状況が頭の中に映し出され、ニオイや音までもが伝わってくる。文字通り地獄絵図だった。

これもまた、被爆症によって苦しむ家族とそれらに向けられる世間の冷たい目との戦いを描いた日々の物語である。どんどんと追い詰められていく展開に、小説を読み進めるたびに心が深くまで突き落とされていく経験をした。

被爆当時のリアルな惨劇の描写は勿論のこと、後世ずっと苦しむことになる被爆症の現状と、こんな簡単にも二次被爆を起こしてしまうものかと思わせる恐ろしさ、戦時中の理不尽さと軍人に対する国民の感情(ヘイトが主である)、それらが井伏鱒二特有の砕けた文体と面白半分の根性によって丁寧に書き連ねられている。

ある意味戦争の馬鹿馬鹿しさたるものを上手く伝えるためのコメディ描写は映画でも引き継がれていた。被爆の描写の凄惨さもここまで再現できるものか、と流石の今村昌平には感服この上ない。被爆症患者と冷たい世間の目との格闘も嫌な社会の投影がなされていて胸が詰まった。

前半で述べていたことを繰り返す。我々はただ歴史の一事象として原爆を捉えてしまっている。それだけ無機質になっており、当時のリアルが全く浸透していない。二次被爆なんてものがあるのか、知らない人も多いのではないか。とんでもない人数が死ぬのが原爆だが、全員が全員即死するわけではない。綺麗に死にきれなかったものは地獄の苦しみを数週間に渡り味わい続けながら死ぬのだ。そんなことも知らない人が多い。ましてや被爆症というものはいつか死ぬ病気ではなく、一生背負い続けなければならない病気なのだ。原爆の実感を失った現代人がこれからの核兵器というものでどう向き合っていけるものか。いまだに核廃絶すら訴えられない日本政府には呆れや落胆を通り越して絶望しかない。我々の宿命は如何に果たされるべきものか、こういった作品に触れて醸成されるのが望ましいと、筆者は最後に付けておく。

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