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雑兵の星 第二話

 犬山城下に大きな音を立てて騎馬武者が駆けてゆく。
 砂ぼこりの舞う中、民らは頭を下げてやり過ごした。また戦が始まる。
 どこか殺伐とする中、通り脇で通行人を値踏みする男がいた。
「もしや、兵を探いとるんか」
 左吉が声を掛けると、男は振りむいて愛想笑いをした。しかし直ぐに無表情に戻る。
「なんか用か、じいさん」
「戦に行きたいんやが」
「あんたが?」男は訝しげな表情をした。
「まあいいや。名はなんだ」
「左吉や」
 男は「はん」とだけ答えて立ち上がり、着流した小袖の裾を帯にねじ込んだ。
「こっちは箕吉だ。覚えとけよ」
 箕吉という男は足早に歩きだした。後に続けばいいのか迷いながら、左吉は小走りでついていく。箕吉は真っ直ぐ崖上の平城――犬山城に向かうようだった。
 広場にはすでに大勢の男が群がっていた。
「そこに居ろ」
 吐き捨てるように言った箕吉は、左吉を置いて去っていった。
 目の前には長い行列が幾つも連なっていた。何の列かはわからないが、左吉もひとまず最後尾に身を寄せる。周りはガタイがよく日に焼けた者ばかりで、左吉はしごく肩身が狭かった。小半時経ってようやく左吉の番がきた。
「歳はいくつだ」
「し、四十半ばでごぜえます」
 もじゃもじゃと髭の生えた侍が、左吉を睨みつけた。歳を誤魔化した罪悪で左吉の額にはおびただしい汗が噴きだす。左吉は五十をとうに越えていた。
「得意な武器はなんだ」
「え、えーと」
 左吉が口ごもると、侍は時が惜しいように「あっちへ行け」と手を払った。
 次の列では鎧や蓑笠が与えられた。下っ端の鎧は見るからに粗末だが、身につけるとそれなりの重さがあった。山道はともかく長い道のりを走れるのか。周りの者は槍や刀、鍬に竹槍、いろんな武器を持っている。
「武具は持ってこなかったのか」
 侍に訊かれた左吉は、申し訳なさげにコクリと頷いた。
 
 槍部隊に配された左吉は仲間のもとへ連れていかれた。
 仲間は十三人で、左吉ほどの年寄りはいない。もと百姓や流れ者、家を焼かれて空腹を満たすため戦に来たものばかりだ。
「さあ、出るがや。先発隊がまっちょるぞ」
 親方の野太い掛け声で目的地へ出立した。左吉も鎧をつけて荷を背負い、後をついてゆく。腰は早くも悲鳴をあげたが、休みたいと贅沢が言えるはずもなかった。
 二日かけてようやく陣場につく頃には、膝、背、腰、躰すべての感覚がないほど疲弊していた。陣には先着隊がすでに到着していた。
 戦さ場の岩村城は急峻な山城で、敵の城主と兵たちが籠城しているらしい。時おり抜けだす兵もいて、見張りと外からの接触がないか監視しなければならない。
 走り回る戦でないことに左吉は安堵した。山はいい。落ちつく。左吉は目を閉じて深呼吸した。
「なにしちょるがや、左吉。荷を置いたら手伝いに行け」
 すでに仲間はいなかった。小頭に尻を叩かれて手伝いに行ったようだ。
 
「火を起こしたから来いよ」
 野宿の準備をしていると、同じ部隊の与助に声をかけられた。
 焚火を囲んだ者は六人だ。腰を下ろして雑炊をすする者もいれば、酒を煽る者もいた。一体どこで手に入れるのだろうか。左吉は粟の握り飯を頬張った。だいぶ硬いがまだ喰える。
 立派な鎧をきた侍が、すぐ横を通りすぎていった。足軽だろうか。仲間たちは頭を下げた。
「儂らとはずいぶん身なりが違うでな」
 左吉が口にすると、仲間たちは一様に手の動きを止めた。
「ワシらと足軽は、身分が違うぞ」
 亀助と名のる男が呟くと、左吉は首を傾げた。
「足軽は下っ端じゃが侍じゃ。雑兵のワシらは戦が終わればお払い箱。だからワシらを馬鹿にしちょる」
 亀助は竹筒を一気に煽った。中は酒らしく独特のにおいが立ちこめる。左吉は不思議に思った。
「戦が終わって帰れるんなら、えぇではないか」
 男たちが一斉に左吉を見た。左吉はなにかおかしな事を言ったかと戸惑う。
「じいさん、女房がおるのか」
「え。ええまあ……」
「そうか。ええのう」
 仲間たちは黙りこんだが、亀助が続いた。
「みんな独り者だ。居場所がないから戦にくるんじゃ」
 そうだったか。戦で家族を亡くしたのか。左吉はなぜか申し訳なく思い、頭を垂れた。
「なあ、かかぁはどんな女子だ」
 さも興味深いように与助が訊いた。与助はそろそろ嫁をもらう年頃なのか。
「えーと、女房は……おとなしいが、かしこう女子で」
 皆が注目して次のことばを待っている。
「ひとつ言えば、十わかってくれぇて」そういって左吉は照れた。
「べっぴんか? でも爺さんの女房なら、婆さんだな」
 どっと笑いが起こった。左吉はむきになった。
「女房はべっぴんだわ。儂の女房には勿体ねぇぐれえで」
「まだまだ若いのう、じいさん」
「ええのう、かかぁが欲しいもんだわ」
 男たちは一様に羨んだ。亀助は酒も手伝ったのか、目がとろんとしている。
「たまらん。春を買うてくるわいッ」
 先に立ちあがったのは与助だった。向こうへ跳ねて駆ける後ろ姿に、ほかの者は肩を揺らしながら笑った。後から亀助も追いかけていく。
 左吉はふねを思いだしていた。心が和んだが、すぐに切なくなった。今頃どうしているだろう。寂しくしてはいないか。
 とうとう女房に言えなかったことがある。
 あれは城下で薬を手に入れて、家に戻った時のことだ。お医者の薬を飲ませて落ちついたところで、雉のヒナに青菜をやった。二人してしばし見守った。ヒナが懸命に菜をつつく姿はなんとも愛らしかった。
「どうしましょう。このまま山に離すと、けものに襲われちまう」
「この子は儂の代わりに、ふねの話し相手になってくれるわ」
 女房は不思議そうに首をかしげ、夫の顔をみた。
「どこかへ出掛けるんか、おまえさん」
「ご贔屓くださる庵の下女さまに、ときどき来てもらうよう頼んだ」
「どちらへ。どのくらい」
 心配そうな表情をする女房に心が痛んだが、息をひとつ吐いて左吉は言った。
「二十日。二十日で戻るし。心配するな」
 
「ところで、かかぁを置いて戦に来たのはなぜだ? 扶持目当てか?」
 一人が訊くと、ほかの者も膝を寄せた。左吉は躊躇った。ここで話していいものだろうか。
「ぶ、武功を上げたいんだわ」
 仲間は「如何にも」と頷いた。「ワシら首ひとつも獲って、侍になるのが目的じゃ」「そうじゃ、そうじゃ」と盛り上がった。
 酒も入ったところで寝床に戻ることにした。暗闇で呟く。
――手柄をあげて、南蛮菓子を女房に喰わせる。
 それは左吉の望みだった。
 
「おまいら、さぼるなよ! 首ひとつも獲らんで、タダメシ喰うなッ」
 今日は兵糧が配られる日だった。
 部隊の世話役、小頭の又兵衛は、目が落ちくぼんで頬骨が張り、まるで怒った猿のような顔をしている。左吉はいつも怖くて肝が縮む。最後尾、左吉の番がきた。
「左吉。かかぁ恋しさで敵に背を向けるな。わかったなッ」
 誰に聞いたか女房のことを持ちだしてきた。左吉が生返事すると、又兵衛はわざと顔を覗きこんできた。
「おい、ちゃんと聞いちょるんかッ」
 唾が顔にかかり、左吉は米を落としそうになった。貰ったのは雑穀交じりの米、塩。水はおのおの川で汲む決まりだ。
 そろそろ長雨の時期。蒸し暑くなると生水は腹を下しやすくなる。さらに兵たちは川魚や野草も生で食べるため、頻繁に腹を下すようだ。
「酒だ酒だ――」
 若い連中はさっそく米を酒に替えてきた。左吉は首をひねった。分配は五日に一度しかないのに、酒で腹が膨れるものか。
 左吉の楽しみは飯を喰うことだ。いそいそ火を起こしていると、通りがかりの男が声を掛けた。
「じいさん、荷に気をつけな」
 意味がわからなかったが「ああ」とだけ生返事しておいた。疲れた躰と腹が満たされたことも手伝い、その晩は深い眠りにつけた。
 
 朝。起きてすぐ様子が違うことに気づく。
 昨日炊いて干した兵糧がない。懐に入れた銭も消えていた。盗まれたのだ。誰がやったか見当もつかなかった。
「よりによって、儂の寝込みを襲わんでも……あぁ」
 昨夜、男が忠告したのはこのことだったのか。

〈続く〉


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