雑兵の星 第四話
雑兵らは夜が明けても深く寝入っていた。
疲れた。ひと眠りして家へ帰ると決めた左吉は、寝床へ戻って泥のように眠った。
――旨そうなにおいがする。
昨日からなにも食べていない。女房がなにか焼いているのか。儂はとうとう女房の待つ家に帰ってきたのか。ああ良かった。まっこと良かった。ふね。おまえも元気になって良かった――。
先に気づいたのは木の上の住人だった。下に降りてきて左吉を揺する。
「なあ、じいさん。この女子を知っておるのか」
目を開けると、眉を寄せた弥兵衛が左吉の顔を覗きこんでいた。すぐ後ろで何かが燃えている。
左吉は驚いてガバと起き上がった。
よくよく目を凝らすと、弥兵衛の後ろで肉が旨そうに焼けているではないか。しかも盗みを働いていた娘が火の番をしていた。
「おじいさんも食べるかい」
弥兵衛と左吉は並んでゴクリと喉を鳴らした。
「あんた、なんでここに……」
「腹空かせてんだろ、やるよ」
弥兵衛が我先にと手を伸ばした。左吉は弥兵衛を睨みながら、涎を見られぬよう袖で口元を拭いた。
「あたいは、さゆりってんだ。おじいさんの名は」
「じいさんは左吉、ワシは弥兵衛」
弥兵衛はすっかり串の肉で手なずけられたようだ。
「後をつけてきたんか」
「ここを寝床にしたい」
「なんをゆう。盗みをはたらく者なぞ……」
左吉は口ごもる。さすがに弥兵衛に遠慮した。しかし当の弥兵衛は「ええぞ。悪さをするもんはワシが追い払ってやる」と上機嫌だ。
女が陣にくるのは春を売るため、銭を稼ぐためだ。だが、さゆりは違うようだった。
さゆりに声掛けする兵もいたが、そんな時は威勢よく小刀を出して追い払った。薄汚れた身なりをしているが整った顔立ちをしており、女房の若い頃に似ている気がした。
さゆりは左吉や弥兵衛から離れようとしなかった。時おり姿を消して、また戻ってくる。身の上話はしないが、やはり雑兵仲間のように彷徨っているのだろうか。
十日経った。
山城のようすは変わりない。見張りで幾日も過ぎてゆき、さすがの左吉も退屈しはじめていた。早く帰りたいが、弥兵衛やさゆりの目があって、直ぐには帰れそうもない。
「おい、じいさん。滑稽な話でもないかぁぁーあ」
見張り番で近くにいた与助が欠伸をしながら聞いた。
「儂の頭は硬くできちょるもんで思いつかん」
「なんや石頭かよ。わはは」
いく度となく取り留めない話をしてみたが、退屈には変わりなかった。
そこへ見回りの侍がやってきた。下っ端ではなく立派な甲冑を着た武将だった。
「変わった動きはないか」
凛々しく張りのある声、二十歳にならぬ瑞々しい青年武者とみた。
「敵を炙りだす策があれば、遠慮なく申せ。褒美がでるやもしれぬぞ」
「へえ」
左吉と与助は山肌に額を擦りつけるように平伏した。侍は二人の肩をぽんぽん叩き、颯爽と斜面を下りていった。
「おい、褒美が貰えるってさ」
与助は目をキラキラさせている。まるで子どもだ。容易く考えが浮かぶはずなかろうと左吉は思った。
やがて交代になり寝床に戻ると、弥兵衛とさゆりが何か喰っていた。
「おじいさんの分もあるよ」
「こりゃめずらしい。瓜やないか」
山に居たら瓜など口に入らない。さゆりは奇妙な女子だ。どこで手に入れてくる。
「そういえばさっき若い侍が来てったよ。城の者をおびき出す作戦を考えろってさ」
「ここにも来たのか」
山城をとりまく兵は二万とも三万とも聞いている。そんな中で雑兵に声をかけるとは目のつけ処が違う。よほど焦っているのか。
左吉は考え事をしながら腰をおろし、竹筒を傾けた。水はなんだか嫌な臭いがした。
「うーん、この水は腐りおる」
「暑いからねえ」さゆりも手で顔を扇いだ。
瓜を喰い終わった弥兵衛が訊いた。
「なあ、もし褒美が貰えるなら、さゆりは何が欲しいんじゃ」
さゆりは「うーん」と唸り「おじいさんは?」と左吉に振ってきた。
「儂か? 儂はなんも。ああ、でももし貰えるなら……」と言いかけて口ごもった。
「なんだよ」
さゆりと弥兵衛は膝を寄せてきた。左吉は南蛮菓子と言いかけて止めた。代わりにこう答える。
「女房への土産がほしい」
二人は顔を見合わせてから、ハハハと愉快そうに笑った。
疲れて昼寝をしていると呻き声が聴こえてきた。誰だろう。気になって声のほうに行ってみると、亀助が地を這うように苦しんでいた。驚いた左吉は駆け寄って声を掛けた。
「どうしたんじゃ。腹でも痛むのか」
額に脂汗をだらだら浮かべ、のたうち回っている。かなり激しく痛むようだ。
「いつからだ?」
「……飯を食うてからや」
腹の虫の仕業か。腹の虫は暑い時期になると悪さを始める。生水はもちろん、川魚も猪の肉も生で食せば、厄介者の恰好の餌食となるのだ。
左吉は腰にぶら下げた小さな巾着を取りだし、黒い粒を手のひらに乗せた。
「さあ、飲むんじゃ」
躊躇する亀助の口に丸薬をねじ込み、水を飲ませて再び横に寝かせた。
丸薬は左吉が自作したものだった。
こいつを持ってきてよかった。腹の虫のせいで仏になる話は珍しくない。お医者も陣にいるらしいが下っ端は自力で治すしかない。
ほどなく周りの部隊でも腹痛で苦しむ病が流行りだした。寝込む者も大勢いるという話だ。
幸いにも亀助は快復した。
しかし、そのせいで丸薬が効くと噂になって、左吉は困惑した。二日ほど前に腹が痛いというさゆりにも渡しており、丸薬はあと数粒しかない。
「聞いてよ。いいこと考えたんだ」
弥兵衛と左吉が揃っているところに、さゆりがやってきた。
「褒美だよ、褒美……じゃあなくて、おびき出す策だよ。腹の虫はどうかな」
左吉は意味がわからずに眉を寄せた。
「腹の虫がどうやって敵をおびき出すんじゃ」
「城の中で流行らせるんだよ」
弥兵衛と左吉は目を丸くした。
「ほら、城内には井戸がたくさんあるだろ。そこに仕掛ければいいのさ」
「仕掛けるって、何をじゃ」
「そいつは今から考える」
聞いていた二人は黙りこんだ。中身のない話に呆れたのだ。
「だってさ、城の奴らだって食いもんがなくて餓死するのと、腹が痛くて城から出てくるのと、どっちがいいと思う?」
戦にでて半月が経った。戦を早く終わらせて帰りたい。さゆりのいうことは最もだ。
「よし、小頭に相談してみるか」
「はッ、何いってんだよ。あんな奴に手柄をやってたまるか。前にここへ来た若侍を探すんだよ」
「そうか。その前に何を仕掛けるか、考えなくてはならんな」
三人は誰にも聴かれないよう肩を寄せた。
ほどなく左吉と弥兵衛は心当たりを探した。しかし三人で妙案を考えたというのに、若侍はどこにも見つからなかった。
その晩、早めに床についた左吉はぐっすりと眠っていた。
「おじいさん、おじいさん」
さゆりの声で目を覚ますと、側にもうひとり誰かいた。あの若侍だった。
「お侍に会いたかったんだろ。連れてきてやったよ」
さゆりが耳打ちした。若侍はよく見ると細面で目元も涼しい整った顔立ちをしていた。供を連れていないが、どこぞの二代目だろうと想像がつく。
「なにか策が浮かんだか」
若侍も弾んだ声を掛けてきた。
「あるにはありますが、すこし時がかかるはんで……痛っ」
左吉がもたもたすると、後ろでさゆりと弥兵衛が(しっかりしろ)とばかりに尻をつねって合図した。若侍は首を傾げた。
「なんでも申してみろ」
「城の井戸に、ある物を仕掛けるので」
「井戸? 毒を仕込むのか?」
左吉は首を左右にふった。
「腹の虫です」
若侍は眉を寄せた。
「お侍様もご存じかと思いやすが、腹の虫は腹で暴れる厄介者で」
「うむ。皆、そいつで苦しんでおるようだな」
話を聞いてくれると思った左吉は、話を続けた。
「腹の虫は蛇の赤子に似とるそうです。あ、この話は昔、お医者に聞いたんやが」
若侍は意味が解らぬようだったが、黙って耳を傾けていた。
「つまり、蛇の赤子を井戸に投げ入れたら、どうかと」
「蛇の赤子だと?」
さらに眉を寄せた若侍はしばらく黙ったのち「そういえば」と膝を打った。何やら心当たりがあるようだ。
「城内には霧の井なる井戸があると聞く。城主が蛇の骨を投げ入れると、霧が城を包みこんで敵に目眩ましをさせるとか」
若侍の思いもかけぬ話に、三人は息を呑んだ。
左吉の思いとは少しばかり違うようだが、若侍の策に繋がれば、これほど嬉しいことはない。
「岩村城は、蛇が守る城、ということですか」
弥兵衛が切りだすと、若侍は深く頷いた。さゆりも後に続いた。
「すると、蛇は城の守り神なのでは?」
三人は「なるほど」と頷いた。蛇の骨をご神体として扱うのなら、守り神といえるかもしれない。左吉もあることを思いつく。
「ならば、どんなに飢えても、蛇を喰らうことはせんでしょう。山では蛇を焼いて食べる者もいますで」
さゆりが思いついたように続いた。
「そうだ。城が蛇の巣にでもなれば、女や子どもは気味悪がって逃げだすのではないですか」
若侍は「ううむ」と唸り、なにやら思案を始めた。三人はその姿を黙って見守った。
〈続く〉