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雑兵の星 第五話

 左吉は蛇の卵を探すことになった。若侍に命をうけてのことだ。
「たしかに時はかかるが先の見えぬ策ではない。どうだ。蛇の卵を探すことはできるか」
「はい。たやすいこと、山はよく存じておるで」
 左吉はまず近くの池に向かった。蛇は卵を水辺の石や落ち葉の下、土の中に産むことが多い。親蛇に出くわさないよう慎重に探して回った。蛇は夜行性なので欲張らず、陽が落ちる前に引き上げることにした。
 その晩遅く、若侍が左吉たちの寝床にやってきた。相変わらず供は連れていない。
「どうだ。見つけたか」
 左吉は蓑笠に入れた卵をみせた。たくさんある。若侍は「よくやった」と満面の笑みで褒めてくれ、左吉は救われる思いがした。
「さて、城内に入らなくてはならぬな。そこは忍びに任せるとしよう。卵は貰っていくぞ」
「はい。よろしゅう頼みます」
 三人して後ろ姿を見送った。若侍は再び振りむいて満面の笑みをたたえた。
「褒美を考えておくがいい。できるだけのことはしよう」

 籠城戦はひたすら待つ仕事だ。
 交替はするが夜の見張りがあり、左吉はひどく疲れていた。寝床でぐったり躰を横たえると男が声をかけた。
「じいさん、無理すんなよ」
 見覚えある糸のような眼、兵の勧誘をしていた箕吉だった。
 噂では陣に居ても戦に出ず、雑兵を拾ってきたり物売りをしているらしい。箕吉には関わらないほうがいい。亀助も言っていた。
「腰に効く薬をやろうか」
「結構だわ」
 左吉は荷から濃い緑をした葉と包帯を取りだした。そして上衣を上げて葉をあてがい、布切れを巻く。
 箕吉がじっと見ていたが知らんぷりをした。
「なんだい、そんな葉っぱ」箕吉は皮肉そうにいう。
「枇杷の葉じゃ。腰の痛みや刀傷にもいい」
 箕吉は興味を持ったようだが、左吉は背を向けて寝転がり、鼾をかく真似をした。もちろん狸寝入りだ。
「ちっ。じじいめ」
 箕吉は悪態をついて戻っていった。
 枇杷の木のある所を教えたら奴がすべて採るだろう。しかし箕吉はどこかで枇杷の葉を手に入れたようだった。数日のちには屋台に葉を並べ、声高らかに売っていた。
「刀傷や腰の痛みに効くぜ。お侍さん、一枚どうだい」
 遠巻きにも左吉は眉を寄せた。なんという根性だろう。

「腹が減った。おじいさん何かない?」
 すっかり懐いたさゆりは喰い物をねだったり、時には獣肉や川魚を持ってきた。左吉も話し相手ができて気がまぎれる。今しがた掘ってきた山の芋をさゆりに分けてやった。
「この娘はどうしたんだい」
 また箕吉がやってきた。左吉は知らんぷりをした。しかし箕吉はなにを勘違いしたのか、さも可笑しそうに嗤いだした。
「あっはっは。じいさん、春でも買うたのかぁ」
 左吉は呆れて聴こえないふりをした。
 腹を立てたさゆりは箕吉を睨みつけ、向こうに駆けていった。気を悪くしたのだろう。
「器量もいいし、いい女子じゃないか」
 箕吉は腕組みしてさゆりの後ろ姿をずっと見つめていた。嫌な男だ。
「あの娘に構うな」
 左吉は釘を刺しておいた。しかし箕吉の耳には届いていないようだ。
 それからさゆりは姿を見せなくなった。
 左吉は気がかりだった。来なくなったのは箕吉のせいだろう。直ぐにでも女房の待つ家に帰るつもりだったが、さゆりを放ってもおけない。左吉は箕吉を探してみたが、これまたどこにも姿がなかった。

 川に水を汲みにいく道で、思いもかけぬ人に遭った。
「あんた……戦に来なさったのか」
 いつも世話になっていた庵の御坊だ。どうやら骸を弔うため戦場へ呼ばれたらしい。
「このような処でお目にかかるとは」
 左吉は丁寧にお辞儀した。しかし左吉の満面の笑みとは真逆に、御坊は怪訝な顔をした。
「ご内儀が彼岸へ立ったというに、戦に来るとはのう」
「何のことです?」
 左吉は眉を寄せる。亡くなったとは、まこと女房のことか。そんなはずはない。
「下女様には留守をお頼みしましたが……お人違いでは」
「そうか。なら戻ってやれ。確かめるといい」
 御坊は気の毒げな顔をして去って行った。左吉は立ち竦んだままその場を動けない。
 女房が彼岸へ立った。仏になっただと? 嘘に決まっている。儂は女房に南蛮の菓子をやりたい一心で戦にきたのだぞ。
 だが以前、女房は血を吐いた。もし御坊の話がまことならーー確かめなければならぬ。直ぐに女房の元に戻らねばならぬ。
 左吉は必死に駆けて寝床に戻り、身支度をはじめた。
「おい。どうした。なぜ荷をまとめる」
 木の上にいた弥兵衛は、左吉の只ならぬようすに声を掛けた。左吉の肩は小刻みに震えているようだった。
「女房が危篤なんじゃ。すぐ戻らないとっ」
「危篤?」
 弥兵衛は木から飛び降りた。そして青い顔をした左吉の肩を掴み、言い聞かせた。
「落ちつけ。誰が知らせてきたのじゃ」
「御坊じゃ。顔見知りのっ。女房が彼岸へ立ったと」
 弥兵衛は目を剥いた。
「亡くなった? 危篤ではないのか?」
 左吉は首を左右に振り、目も虚ろになっていた。いつもの左吉ではない。
「だから、落ち着くのだ」
「どけっ。儂は行くのだ。ふねのもとへっ」
 無理に行こうとする左吉を落ち着かせるため、弥兵衛は顔を平手で殴った。大袈裟なほどに転がった左吉はガツンと石に頭を打ちつけた。
「すまぬ。正気にもどれ」
 左吉は起き上がると、弥兵衛を恐ろしい目で睨みつけ飛びかかってきた。驚いた弥兵衛はひたすら避けたが、左吉はひるむことなく体当たりしてくる。
 相手は年寄りだ。弥兵衛は手を出さぬつもりでいた。本気を出せば左吉の小さな躰など吹き飛ぶのは目に見えている。
 それでも左吉は気が触れたように渾身の力でぶつかってきた。体当たりしては拳で胸倉を叩いた。しばらく痛さに耐えていた弥兵衛だったが、強烈な一発を右頬にうけて我慢していたものが途切れてしまった。
 ふたりは揉み合って地面に転がり、殴り合いになった。騒ぎを聴きつけた仲間が集まってきた。
「おい、やめろ」
「いいぞ、もっとやれ」
 止めに入る者もいれば囃し立てる者もいた。それも長くは続かなかった。にわかに元気がなくなった左吉は倒れ込んで地面に転がった。ぴくりとも動かない。騒いだ者らは「立ーて、立ーて」と声を投げた。
 ひとりの仲間が「死んじゃいねぇか」と心配し、左吉に近づいて肩を揺すった。弥兵衛は止めにきた亀助に肩を抑えられて我にかえった。
「おい、生きとるんか」
「じいさん相手にやり過ぎだわ」
 皆んなして左吉を見守った。随分と時が経ったように感じたが、左吉はゆるゆると四つん這いになり、やがて起き上がった。
「ほっといてくれ」
 亀助の手を払いのけ、躓きながら山のほうへ向かっていった。
 
 左吉は深い薮の中に転がっていた。躰はボロボロだが痛みを感じることに落胆した。
――生きていたって仕方ない。もう帰る場所はない。左吉は死ぬことを考えた。どうやってあの世に行くか考えた。
 しかし自ら死ぬことだけはできなかった。
 戦で討ち死にするのが一番いい。次に敵が向かってきた時に相果てよう。
 左吉はしばらくその場に留まり、暗くなってから人目につかぬよう寝床に戻った。
 そして、ひたすら寝た。全てがどうでもいい。
 木の上の弥兵衛は左吉が戻るのを待っていた。声掛けを躊躇ったが、やはり心配で声をかけた。
「あんた、おかしな気を起こしちゃいねえだろうな」
 聞いているのかいないのか、左吉はピクリとも動かなかった。
 その晩、山にはしとしとと雨が降った。まだ夜が明けて間もない薄闇の中、ドォーン。ドォーン。太鼓の音がおおきく鳴った。またしても逃げだす者がいるらしい。
 弥兵衛は山城を見たが、視線を戻した。左吉が気になって仕方ない。いつもの左吉は太鼓の音が聴こえると、ぶるぶる震えていた。
 しかし今は肝が据わったように落ちついている。昨日までとはまるで別人だった。もしや自棄を起こして命を捨てるつもりなのか。
 左吉はすでに準備をすませていた。槍を力強く握り締め、ゆっくりと立ち上がる。
「位置につけーい」
 小頭が号すると仲間が駆けて集まった。敵の逃げ道ができぬよう隙間なく並び、目深に兜や陣笠を被って視線を山城へと向けた。
 暑い。朝というに照りつける陽が痛いほど突き刺さり、汗のせいか鎧もひどく重い。時おり城から矢の雨が降ってきた。誰かが抜けだすための目くらましか。
 弥兵衛は左吉のほうばかり見ていた。人はおのれに負けると恐ろしい。そんな奴ばかり見てきたから判るのだ。
 戦では邪念が命取りとなる。戦に出るときは一人きりで常に『無』になってきた。他人を気にするなど一度たりともなかった。今までは敗走するばかりだったが、此度は違う。ようやく巡った好機だ。大物の首ひとつとれば侍に戻れるやもしれぬのだ。弥兵衛は頭を大きく振った。
「追いこめぇ――!」
 大将の言葉に皆「うおおー」と突進した。
 弥兵衛の目に山路を駆ける敵の姿がうつった。十人ほどか。昨夜の雨で山はぬかるんでいる。
 火縄銃が打たれ、大地が揺れたかのように木霊した。木々は揺れ、顔まで泥が跳ねた。
 しかし弥兵衛は左吉の背を追いかけた。年寄りとは思えない身のこなしで、誰より前に進んで止まろうとしない。かと思えば急に止まり、我武者羅に槍を振りまわした。その動きには一貫性がなく恐ろしいほどの隙があり、危なくて見ていられないほどだった。
 気がつけば左吉の背後に敵がついて隙を窺っていた。弥兵衛は先回りして槍で思いきり突いた。
 弥兵衛はおのれの周りに気を配るのを忘れた。脇から忍び寄る兵に隙を見抜かれ、脇腹を射貫かれてしまった。耐えかねた弥兵衛は地に転がり、ふたたび敵を受け容れてしまった。

〈続く〉


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