みんなちがって、みんないい
ここ2〜3日、noteを書く余力もないほど忙しかった。寝付けない日もある私が、布団に入ると一瞬で爆睡だった。
おそらく、来週はもっと忙しい。全庁から提出されるデータを半日スパンで取りまとめ続け、締切がタイトな他業務も並行しなくてはならない。
年明け、体調不良から始まり、続く、息つく暇もない生活の中で、心境の変化を、記録がてら書き残してみる。
少し前、私の投稿を読んでくださっている方がコメントで、この世でのことを修行だと思うことにしている、と寄せてくださった。
この、「修行」というワードが、私の中ですごくしっくりきたというか、名前の見つからなかった私の中の何かにすっぽりハマった。
言い訳、原因、そんなものがいくつも頭に浮かぶものの、例えどんな理由があっても、誰かの気持ちを蔑ろにしたり、無碍にしたり、そういうことは許されない。
私を大切に想ってくれた彼を、大切にしなかった私には、バチが当たって当然というか、つらい、苦しい、そういったものに耐える道が待っているのは当たり前なのだと思う。
これまでは、「会いたいけど会えない人」と思っていたが、最近は、「会えないけどずっと大切な人」と思うようになった。
元気でいてほしい。幸せでいてほしい。真っ直ぐ素直な気持ちで、ただただ願っている。
私は、大雑把に見せているが、実際は、繊細で心配性だ。あれこれ先回りして心配した結果、自分の気持ちを押し殺してしまう。素直に生きることができていなかった。
彼のことが好きなのに、色々な心配事をくっつけて、好きだという気持ちを押し殺した。
仕事もそうだ。激務部署で毎日食らいつくように働いてきたが、根はのんびり屋だから、かなり無理をしている。でも、周囲の期待に応えなくてはと、しんどい気持ちを押し殺してきた。
彼を失って、思った。素直に生きよう、と。深い意味はない。ただ、純粋に、そう思った。
だから、異動願を出した。希望を通してもらえるかは分からない。でも、自分の気持ちに素直になって、意思表明だけはしておいた。
彼にもしも会えたなら、大好きだよと伝えたい。心配事なんて、考え始めたらキリがない。ただ、あなたが好き。ただ、それだけ。
世間一般から見れば、婚活を、頑張るべきなのだと思う。でも、今はまだ、彼のことが好きだから。仕事も忙しいから。
無理はしない。待っていたいから、待つ。山場を迎えている仕事を、しっかりこなす。今の私は、それでいい。それが、いい。
今まで、こんな気持ちになったことがなかった。とても惚れにくい体質だから。
だから、私の人生に、一度だって、彼のような人との出会いがあって、恋と呼べそうな何かが訪れたことに、ありがとう、と感謝の気持ちが芽生えつつある。
成就させようだなんて思うことが、厚かましかったのかもしれない。最近ふと、そんな風に思う。人間は、とても、欲深い生き物だから。
彼のいない日々は、彼と出会う前の日々。そう思うと、私はただ、元の生活に戻っただけなのだ。
修行。そう、今の何もかもが修行なのだ。未熟すぎた私に、神様が与えた罰であり、試練なのだと、自分に言い聞かせている。
一定耐え抜いた先、2か月後の年度終わりに、私がどんな環境、心境にあるのか、想像もできない。
ただ、今は、少し前に感じていたような焦り、不安はなくなった。
彼が元気で、幸せであるよう願うこと。あるがままを受け入れること。与えられた役割をしっかり果たすこと。
どう足掻いたって、自分にはこの3つしかできないし、同時に、この3つが、今の私に必要なことなのだと思う。
なんだか、成長というか、前進というか、そういうものが、他の人よりゆっくりな気がする。
そんなとき、小学生の頃に習った、金子みすゞの詩が、ふと浮かぶ。みんなちがって、みんないい。
多分、そういうこと。私は、転んだり、泥だらけになりながら、学んでいくタイプなのだと思う。
勉強や仕事と同じように、恋愛も、何度も何度も失敗しながら、きっと、うまくいく日が来る(はず)。
みんなちがって、みんないい。
自分のこと、嫌いになりそうだけど、というか、既に嫌いだけど、金子みすゞの言葉を思い出して、諦めずに日々を過ごそうと思う。
日々、勉強。日々、修行。
いつか幸せになれるといいな。
彼も、私も、他の人も。みんなみんな。
以上、
1月26日の私は、そんな風に思ったのでした。