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ダメ人間と恐れ (1)

最も有害な形の恐怖は、何か危険があるのに、私たちがそれと対決するのをいやがっている場合に生じる。

(ラッセル 幸福論 第5章 疲れ)

世の中には、ダメ人間と呼ばれる人がいる。水道料金の催促の書類が来ていても、来ていることはよく承知しているのだが、そっと置いておく。月額で課金されている使っていないサービスがあっても、そのままにしておく。一言送るだけのメールをずっと放っておいてしまう。
彼ら(男性に多い気がする)の特徴はなんだろうか?知能のレベルが低いわけではない。むしろ彼らのひらめきは評価される傾向にある。
彼らの最大の特徴は、完璧主義であるということではないかと考えている。求めるレベルが高い、というよりも、他者からの評価におびえている。突然の変化に期待し、なだらかな改善ができない。水道料金のたとえでは、電気料金も一緒に払わないと、そういえばあれも...と思考が広がって収束しない。

わたしは多分にダメ人間の気がある。だから彼らの気持ちがよくわかる。そっとしておきたいのだ。心に波風を立てたくないのだ。嵐の後には凪がやってくる、直視したほうがいい、ということも百も承知なのだけれど。
わたしの父は度を超えたダメ人間だった。わたしが18のときにガンで亡くなったが、彼は自分の身体にガンができていることを、少なくとも治療を始める2年前には気づいていたのだ。しかし誰にも言いだせなかった。家族が心配しても怒るだけだった。早期治療していれば生きていただろう。
これは極端な例だけれども、ダメ人間っぷりは他人につらい思いを抱かせることがあることには、気をつけないといけない。そしてダメ人間の性質を全く知らない方も多くいることに留意しなければならない。

最近、一子相伝のダメ人間ぶりが顔を出し、いろいろと考えているときに、冒頭のラッセルの言葉に出会った。
(続く)

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