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共感はいつも遠くにあった


只今をもって「万華鏡」第6回の投稿を締め切ります。

次回予告は、明日18:00に投稿する「あとがき」にて。

どうも、高倉大希です。




前を通る女子に点数をつけていこうぜ

友だち、できるかな。そんな期待と不安を抱えて迎えた高校の入学式で、はじめてクラスメイトに声をかけられました。「前を通る女子に点数をつけていこうぜ」

「えっ」と戸惑っているうちに、まわりの男子が加わって、採点会がはじまりました。健康診断を終えた女子が、男子の待機列の前を通って教室に戻っていきます。

それはもう楽しそうに、採点をするわけです。この瞬間から、向こう3年が一気に不安になりました。


笑いをともに味わいたかった

そのとき近くにいたヤツが、たまたまそういうヤツだっただけだろう。そう信じて過ごした1週間で、口角が筋肉痛になりました。

「あの子はかわいい」とか。「あの子は巨乳だ」とか。「あいつはキモい」とか。「あいつは調子に乗っている」とか。

おもしろくもないのに笑うのはやめようと決めたのは、このころだったかと思います。郷に入って従うどころか、郷にたどり着く前に膝をついてしまったわけです。


共感はいつも遠くにあった

そんな状況下で共感することができたのは、CDから流れてくるミュージシャンの声だけでした。字義どおり、音楽に救われた過去がありました。

自分と同じようなことを考えている人が、この世に間違いなく存在している。そんな事実を知れるだけでも、随分と大きな糧になったのです。

ただその一方で、苦しみのタネにもなりました。どうして共感は、いつもこんなに遠くにあるのだろう。


知りたいと思うには、ぜんぶ違うと知ることだ

いま思い返してみれば「思春期」というひとことで、片付けてしまえるようなことなのかもしれません。それでも当時の自分にとっては、とても切実な思いでした。

共感に飢えていて、無意識のうちに自分と似た人を探すようになっていたように思います。ところが、近づけば近づくほど、違いが明確になるものです。

知りたいと思うには、ぜんぶ違うと知ることだ。そんな当たり前なことに気がつくまでに、ずいぶんと時間をかけてしまいました。






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高倉大希
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