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沈黙を嫌わないで


只今をもって「万華鏡」第8回の投稿を締め切ります。

次回予告は、明日18:00に投稿する「あとがき」にて。

どうも、高倉大希です。




カラスの声

子どものころ、電柱にとまっているカラスに「こんにちは」と言われたことがあります。カァカァという鳴き声が、たまたま「こんにちは」に聞こえたとか、そういう話ではありません。それはもうはっきりと「こんにちは」と言われたのです。

急いで親に伝えましたが、「そうなのね」と笑われました。うちの子が変なことを言っていると、あしらわれてしまったわけです。それ以降、カラスに声をかけられたことはありません。あのときは、無視してごめんな。


産声

人が生まれて、最初に発するのが声です。「俺様がこの世に生まれてきてやったぞ」と言わんばかりに、大きな声で泣き叫びます。そんな大きな声を聞いて、まわりの人たちはニコニコします。本来、泣き声とは喜ばしいものなのです。

声は、自分の存在を証明するための手段です。ここにいるぞということを、まわりの人に知らしめます。だからどうしようもないときは、大きな声で泣けばよいのだと思います。びっくりするくらいに大きな声で、泣けばよいのだと思います。


通らない声

声を褒めていただくことが、よくあります。自分では、いまいちわかりません。録音した声を聞くと、違和感があるのと同じです。自分の声を正確に認識するには、相応の努力が必要なのだろうなと思います。

職業柄、大人数の前で話す機会がたくさんあります。はじめのころは、声がぜんぜん通らなくて随分と苦労しました。当然、今となってはスッと通すことができます。相手にぶつけて返ってくるものを受け取って、はじめて声がわかります。


沈黙を嫌わないで

声を出し続けなければならないという、謎の風潮が存在します。すこしでも間があくときまずさを感じてしまう、というあれです。沈黙が好きな身としては、たまったもんじゃありません。沈黙を嫌わないで、と言いたくなってしまいます。

間を埋めようとして紡がれた言葉は、たいてい風に吹き飛ばされます。たとえ声がなくたって、あなたの存在と対峙しています。

そう考えるとやはり、あのときのカラスには申し訳ないことをしました。無視してごめんな、こんにちは。






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高倉大希
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