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『現代俳句』2024年5月号
GWもあっという間に過ぎ去り、5月も折り返しました。5月は暑くなると聞いていたのに、こちらは連日天気予報が外れに外れ、「明日は半袖で」なんて言っていた次の日には土砂降り、なんてこともありました。世の中不安定とは言え、天候まで不安定にならんでええんやで、と半ば同情に近い気持ちで日々を過ごしています。
なんでもいいからどれか一個くらい安定して欲しい今日この頃です。
さて、安定と言えば毎月恒例の現代俳句の感想です。安定のおしゃべり感覚でお送りいたしますので、お時間の許す限りごゆるりとどうぞ。
俳句鑑賞ことはじめ 宮坂静生
わたしは常々鑑賞についてコンプレックスと言わないまでも苦手意識があり、この苦手意識こそが鑑賞の足を引っ張っていると感じています。一度そう思ってしまうと、人間なかなか考えを変えることができないもので、恥ずかしながらそんな苦手意識を持って早数年。試行錯誤の日々です。
そんな中、「ことはじめ」というありがたい文言がありましたので、早速読みました。心に残ったところを引用しておきます。
短詩型文芸である俳句は実作と鑑賞はペアのように重視される。優れた実作者は俳句鑑賞においても、大方が気づかない鋭い鑑賞をすることが多い。それはなぜであろうか。一言でいうと、虚心にして無心になれるからである。実作においても、鑑賞においても、心を空っぽにして対象に向かうこと。ひいては自分の心に立ち向かっているのである。
「優れた実作者」なんて書かれると、まあわたしは優れてませんからねぇと拗ねたことを言いたくなってしまうのですが、そんなことは置いといて。
「虚心」とは、わだかまりを持たない心・すなおな態度、と辞書にありました。先入観を持たないということは大事なことです。俳句に限らず、なにかと対峙するときに先入観があるといろいろとかすんで見えるものも見えません。また、「無心」というのも、なにかを見るときに邪念があっては邪魔ですから、これも何事にも当てはまるのではと思います。初対面の人に先入観丸出しで、邪念まみれでは失礼というものです。
とは言え、意識していないとうっかり先入観にとらわれてしまったり、邪推してしまったりするものです。これは常々心に刻んでおかねば。
後半には、この心得(対象に虚心にして無心にあたる)のほかに、俳句鑑賞の心得が五つ書かれています。箇条書きでメモしておきます。
俳句の謎解きを楽しむ
句意だけでなく映像や音感を楽しみ、作者の心を読み取る
自分や人間を中心とせず、自然的な発想への関心を持つ
ポイントを押さえ、端的に述べる
鑑賞文が取り上げる俳句よりもむずかしくならない
俳句の謎というのはいろいろとありますが、それが「映像」の場合もあれば「句意」のこともあります。その謎を解き、どういう情景が描かれているか、作者はその景色になにを見出したのか考えることは楽しいです。
わたしが難しいと考えるのは三つ目の「広いアニミズム的な発想」とある点です。季語が俳句の中心ということは理解していても、俳句との出会いはやはりわたし自身の体験に違いなく、どうしてもわたしを通ってしまう。最終的に自然に視点を向けられたとしても、必ずわたしが透けてしまうのでは、と思います。それはそれで構わないとは思うので、なるべく自我を出しすぎないよう心掛けたいと思いました。
とても勉強になるコラムでした。こういうページがあるととても励みになり、ありがたいです。鑑賞においてわたしなりの美学が持てるようになれたらいいな、と思いました。
(わたしが句と出会うことで得る体験は、鑑賞ではなく感想として書けばよいということだとは思うのですが。そうなるとわたしが書きたいのはやはり感想文になってしまうなぁ、とこの感想を書きながら思いました)
「翌檜篇」(61) 青年部編
spring 池田宏陸
ゆふがたははるをきのふにするいづみ
ひらがなのたどたどしさが作品群に独特の質感を持たせています。一文字ずつ声に出してみたくなる不思議な句です。日が傾き明日を連想させる「ゆふがた」を「はるをきのうにする」と表しているのが「いづみ」への誘いになっています。その「いづみ」という明るい言葉への着地が春を惜しみつつも、夏を心待ちにしている気持ちの表れのようです。
狂うも好 田中泥炭
飛魚に与へよ吾の紅は
「吾の紅」とはなにか。赤いものは血。血を紅とするのは単純すぎるかもしれないけれど、一旦、血として考えると、飛魚に血を与えるという景になります。怪奇的な光景ですね。このミステリアスな雰囲気が、飛魚のひんやりとした感触にあっています。
売り切れランプ 細江毛玉
やわらかい風にふるえる犬ふぐり
そんなに強くない風に「ふるえる」姿が愛らしい。揺れているならあたりまえの光景かもしれませんが、視点の「ふるえる」という捉え方に犬ふぐりへのささやかなやさしさを感じます。
仏蘭西 二木暖
鳶の笛コルクの一つ余りけり
ピーヒョロヒョロと笛を吹くように鳴く鳶。上空を旋回しているのでしょう。コルクはワイン栓に使われます。一つ余っているということは、ワインの瓶が一本空になってしまったのでしょうか。陽気な宴が終わり、静かな後始末の光景を想像します。
というわけで、5月号でした。
現俳協の会長のページや地区協会の記事を読んで思うのは、会員を増やすことが課題であるのと同時に、現会員の満足度を上げる、現会員のニーズに応えるということも協会としての在り方なのではないか、ということです。
さいわい、わたしは現状に満足しているので、その点について不満に思うことはなく、むしろ関現俳のおかげで俳句を続けているようなものなので、感謝こそあれ不満なんてそんなそんな……(って書いたらなんだかわざとらしいんですが、本当に特にないので……)
ですが、会員はわたしだけではないし、困っている地区協があるのも事実なので、そういうところが少しでも「なんだかんだあるけど楽しくやれてます!」となればと思うのですが。まあ、わたしはしがない会員なので、こうして好き勝手言えちゃうんですよね。なるべく「会員減で収入減」の文字を見なくて済むようになればいいな、と思う今日この頃です(ここ笑うところ!)
それでは最後までお付き合いいただきありがとうございました。
また来月。
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