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現代俳句協会『青年部投句祭』一句感想

 7月2日から11日にかけてX(わたしはずっとTwitterって言ってる)にポスト(普段はTweetって言ってる)した感想をまとめました。わたし自身のものは自句自解になるので省略しています。トップバッターなので、お手元にある方はよろしければ読んでみてください。
 80名分の一句選と感想です。どうぞ!

わたしにも成分表を冷奴  青野友香

欲しい。何割がなにで、何割がなんなのか知りたい。冷奴のパッケージを見ていて、当たり前だけど「大豆」が最初にあるわけで、そんなとき「そういえば」みたいな発見がある。たまに蕎麦で小麦粉が先に来てて「それはどやねん」と思う。

#(ハッシュタグ)弥勒菩薩が来ない件  赤野四羽

大日如来は来たのに、的な話なんだろう、多分。弥勒菩薩って一番ちゃんとしてそうなイメージが勝手にある。なんなら5分前行動しそうな。でもハッシュタグで語られるようなら一大事ではないのかも。誰かがずっと謝罪してたりして。

不時着のかなぶん摘む菩薩の手  浅山幹也

不時着なのはわかっててもつい「うわぁ~!」と叫びながら払い落としてしまう。この手は修羅である。そんなイレギュラーな存在をやさしく摘んで逃がす。これを菩薩と言わずしてなんと言おうか。まさにその通り。わたしも菩薩の手が欲しい。

いつかただの水になって天の川  安部知菜美

天の川がただの水になってしまったら、きっと誰の願いも叶わなくなるかもしれない。でもそれでいいと思う。もう誰の願いも叶えなくていい。これが最後の願いだとすれば、こんなに清らかなこともないのだから。

教員が教員の愚痴白鳥来  雨華

生徒の前で言うのはよっぽどだと思うけれど、そのよっぽどがある。でもこの愚痴はどちらかといえば他愛ないもので、「ほんとに先生ったら……」というような。生徒も笑いながら聞いている。白鳥がゆったりとやってくる、穏やかなひととき。

カレンダー破られていく去年今年  杏星杏忍

間に合っていない。そろそろ年を越すというときに「そういえば日めくりカレンダーまだ11月やで」ということになっている。急いで破る。もういっそ諦めて全部捨てたらどうかと思いつつ、破っていく。せめて大晦日はゆっくりと破り捨てたい。

埋め尽くす付箋は翼鳥雲に  飯干ゆかり

付箋が鳥の羽根の一枚一枚のようになっている。飛べそう。辞書か参考書かわからないけれど、飛べそう。試験勉強かしら。「埋め尽くす」ほど貼ったら付箋の意味を失くしそうなものだけど、それだけ追い詰められてるってことかしら。ファイト!

すずしさににてゐるくちをほどきつつ  池田宏陸

涼し気な人がおもむろに話し出す唇をじっと見つめている。「ほどきつつ」とあるので、他にもなにかしら動きがあるのかもしれない。話し出すのではなく、微笑んだだけかもしれない。わからないけれど、とても魅惑的で引き寄せられる。

進みつつ芋虫浅く眠るかな  生駒大祐

寝ているんじゃないかと思うほどゆっくりと、ただし確実に進んでいる芋虫。「浅く眠る」という絶妙なタッチが芋虫の進捗を適切に表している。こう言われると一度くらい芋虫をじっと見てみるのも悪くないような気がしなくもない。

平和とは水鉄砲の届く距離  石原百合子

〇〇とは、とあると身構える。言い切られると圧倒されるからだ。この句は圧倒されるようなことは書いていない。でも確かな主張がある。水鉄砲はひとりではできない。遊んでもいいだろうが的がいる。的になってくれる人がいるのはしあわせだ。

漣は龍の鱗に似て冬日  一関なつみ

わたしが憧れることのひとつに「冬の海に行き、寒い寒いと言いながら浜辺を歩く」というものがある。この句はまさにそんな冬の日の光景で、いつか海に行ったらこの句を思い出して「龍見たことないけど」と言って笑いたい。

ネモフィラや帽子をとりかへつこして  磐田小

かわいい。もしかしたらまったく同じ帽子かもしれない。紅白帽とか、黄色い帽子とか。でも仲良しの友だちとなにか取り換えっこするのっていいな。このネモフィラは一面に咲いているような気がする。妖精のやりとりだったりして。

クリスマスケーキの箱をたたまねば  うっかり

「たたまねば」の脱力感がいかにも山場を越えた感じがしていい。クリスマスが過ぎて、とか、パーティーのあとで、とか、場面はいろいろ想像できるけれど使命感はブレない。明日ごみの日なのかな。立ち上がるまで5分はかかりそう。

アマギフやひとりつきりのクリスマス  うにがわえりも

クリスマスっていろいろあるよね。大勢でなんやかんやするんがクリスマスちゃうよね。だって12月25日っていうだけやし。べつにわたしにとっては特別じゃないし。ひとりのクリスマスが寂しいなんて言われたくない。アマギフ最高。

星涼し私も有機化合物  遠藤寛子

コントの中でメンバーのひとりがけん玉の役をやっていて「そんなことある?」と思った。無機物やん。でもこの違和感は人間だからなのかもしれない。そんな人間も所詮は有機化合物なのだそうだ。「星涼し」の距離の遠さもいい。

初雪や体すみずみまで私  及川真梨子

「初雪」なのがいい。冬を感じる季節に自分の体の実感があるというのが澄み切っていて心地よく感じる。実際そんなふうに感じられることなんてなかなかないだろうし、あればいいな、と思う。体のすみずみまで自分を感じられる瞬間、いいな。

蛇口から滴る音や冬の月  大槻千尋

ぽたりぽたりと水が落ちる。夜にその音を聞くと少し怖い気もする。でも「冬の月」だから恐ろしいことは起きない……といいな、と思う。誰か蛇口捻って閉じてきて!(気になって寝られないやつだ!)

眼裏に字幕の流れゆく夜寒  大西美優

さっき見た映画のことを思い出す。やけにくっきりと文字が見える。役者の顔は朧げなのに、セリフひとつひとつが流れていく。名言ってほどじゃないけど、結構いいこと言ってたな、なんて思いながら帰り道を急ぐ。そんな夜。

山笑う速達ひとつ投げ入れて  尾内以太

春です。言わずもがな、春です。「投げ入れて」とあるので、配達員が郵便受けに、という意味でしょう。いや、速達って窓口で出さないと不安なことない? わたしだけかな。さておき、これはきっとうれしい知らせに違いない。山笑う、ですもの。

終わらない夏と開かずの踏切と  柿谷有史

あるはずのない永遠がそこにあるような。夏の、あの言葉にできない孤独感はどこからくるのだろう。夏はいつか終わるし、踏切だって開くはずなのに……今、目の前にあるのはじっとりとした暑さと焦燥感だ。

春雨の会話のスキマ縫い合わす  加藤絵里子

どれだけちぐはぐな会話になっていたとしても、パッチワークのように縫い合わされて終止する。春雨のパラパラまばらな雨音に似た会話を想像する。あまり弾んではいない、けれども誰かのおかげで会話は成り立っている。

青き踏む彗星の尾の触れし野に  加藤右馬

彗星の尾が触れた野原って魅力的。しかも枯野じゃなくて草原。なにか物語が始まりそうなわくわくする光景。決して星が落ちたわけじゃない。ただそう見えただけ。きっとそうだけど、それでも十分わくわくする。

保護犬の眼に暮れ残る冬の空  金子泉美

保護されたことで、犬自身に「今まで」と「これから」が明確に線引きされるのだろうか。人間にとってはおそらくそうだ。犬に見える色は人間とは異なる。だったら暮れ残る冬の空は何色に見えているのだろうか。うつくしく映っていることを願う。

落ち葉の中に有楽町を捨てにゆく  川嶋ぱんだ

「捨てにゆく」とわざわざ言っているあたり、有楽町への愛着はあるのだろう。捨てるのだから愛着もへったくれもないのだろうけれど、それでも「落ち葉の中に」というのがオシャレでいい。なんだか口に出してみたくなるフレーズ。

海といふへだたりを越え星は冴ゆ  川又夕

海が隔たりになるというのは往々にしてあり、遠い異国に思いを馳せるたびに「この海がなければ」と勝手なことを思う。とは言え、星はそんなこともお構いなしに輝き続ける。それは少しの希望でもある。

紫陽花は群青夜が溢れ出す  北山暁亀

紫陽花が群青色だったら見てみたい。すごく大事にしたい。これは「夜が溢れ出す」とあるので、夜の色を映した紫陽花ということなのかもしれない。いずれにせよ群青に染まった紫陽花は持って帰りたい。

かまくらに小高き机作りけり  岸快晴

子どもが使うにはちょっと高いかもしれないサイズ感。大人が作っちゃったから仕方ない。「小高き」とあるので、精巧に作っているというよりこんもりと積み上げている感じなんだろう。全体的にかわいらしい。

かまくらや子は脱獄のごと削る  木村菜智

それはもう一心不乱に削っているんでしょう。脱獄と言えば『ショーシャンクの空に』ですが、この視点も子どもに対してそう感じたんでしょうか。とにかく一生懸命に削り続ける姿が目に浮かびます。健気だなぁ。

何らかの柑橘類のたわわなる  久留島元

なにかはわかんない。わかんないけど、たわわに実っている。柑橘類ってことはわかる。そういうことって結構あって、「いっぱい実ってていいね」「いい匂いだね」みたいな、他愛ない感じがいい。

観音さまアオスジアゲハは耳ですか  黒岩徳将

観音像にアオスジアゲハが止まっている。ちょうど耳あたりの、いや、もはや耳にしか見えないレベルの位置。手を合わせて拝む。いろいろと願い事はあったはずなのだが……そんなことより訊いてみたい。えらいおしゃれな耳ですね。

凩は気まま私は糞真面目  紅紫あやめ

真面目って悪いことなんですかね。いつも思うんですけど。真面目でなにが悪いんですかね。糞真面目で大いに結構だと思います。凩吹きすさぶ冬の日を、どうか誠実で勤勉な私で過ごして欲しい。わたしもそうするし。

ひとつぶの銀河すなわち鯨の眼  神野紗希

数ある星の中でひとつぶ、というのもいいし、それが鯨の眼なのもいい。なにがと言われるとどうとも言えないけれど、なんかいい。宇宙と海の繋がりがこういうふうにあったらロマンチックだなぁ。

跳び箱を跳んだら初夏の最後尾  後藤麻衣子

並びたかった。初夏の最後尾に、わたしも。跳び箱、跳べないんですよね(知らんがな) めちゃくちゃ羨ましい。躍動感といい爽やかさといい初夏の眩しい日差しまで見えてきて……また列に並んでいく足取りも軽そうで、いいなぁ。

光あるうちに若葉の中を行け  近藤幽慶

はい! と思わず返事をしてしまった。まばゆい。ただただまばゆい。若葉そのものでもあるし、若葉を照らす光でもあるけれども、この眩さは「行け」の潔さにもある気がする。大きく深呼吸して、いざ。

葬送の後ふつふつと牡丹鍋  坂本吟遊

粛々と故人を見送ったあと、よく煮込んだ(煮立った?)牡丹鍋を食す。腹が減ってはなんとやら。そういえば牡丹肉というのは鍋に入れっぱなしでも硬くなりにくいんだ、と教授が得意げに言いながら食べさせてくれたことがあった。その通りだったな。

焼林檎ナイフの重さほどの罪  坂本空

焼林檎を食べるときに使うナイフ、となるとそれほど大きくはない。食器のナイフは凶器となるにしても刃渡りもさほどだ。かと言って、軽いかと言われればどうだろう。絶妙な間合いではないだろうか。

絹にしらぎく縫はれて夜の長さかな  佐々木紺

このしらぎくはおそらくきれいな刺繍なのだろう。絹に縫うとなると玄人に違いない。わたしみたいな不器用が縫ったものではない。ていねいなしつらえ。夜長をたっぷりと満喫している、静かな時間が優美でうっとりしてしまう。

秋草や子らは眠りをうつしあう  佐々木貴子

あくびがうつる光景を「眠りをうつしあう」と表現しているのだろうか。子どもの愛らしさがぐっと身近に感じられ、外遊びに飽きたのか、疲れて寝そうになっているのか、とあれこれ楽しく思い耽ってしまう。かわいい。

ぶち込んでトマトラーメン笑ふなバカ  塩谷人秀

「トマトどうすんの」「ぶち込む。そんでトマトラーメンにする」「入れりゃあいいと思ってるでしょ」という会話が聞こえてきそう。下五の「笑ふなバカ」には言った相手との距離感が垣間見えていい。

初日の出ジャコメッティの影を曳き  鈴木光影

キュビズムかなにかの絵画展に行った際に、ジャコメッティの彫刻作品を見た。なにがどうということはなかったが、言われてみれば影が印象的だったように思う。わたしは哀愁を感じたが、初日の出にその影を曳くとは……世知辛い。

春立つや神の顔している赤子  須藤結

インスタで友人の子どもの写真を見ることがある。これがまたかわいい。他人の子どもだからかもしれないが、天使かと思う。この句は「神の顔」とある。アルカイックスマイルだろうか。ふくふくとした赤子の頬を思い出す。愛おしい。

水鳥やゆらりと許し飛び立った  高木水志

なにを許したのか、飛び立っていく水鳥。「や」で切れはあるものの、これは水鳥のいる(いた?)光景だろう。「ゆらり」というのは体の動きでもあり、心の動きでもあるように感じる。そう思いたいだけなのかもしれないけれど。

ほつといて呉れよ恋猫なんだから  髙田祥聖

人の恋路を邪魔する奴はなんとやら。野暮にもほどがあるというものです。「ほつといて呉れよ」というぶっきらぼうな言いぐさに「恋猫」という言い訳になるやならんやの言葉が続いているのがいじらしい。

かき氷ではなくなつたものを飲む  高村七子

そう。かき氷には、かき氷でなくなる瞬間がある。ゆえに、わたしはかき氷を食べきったことがない。正しくは、かき氷でなくなった途端、食べられなくなる。そうか。飲めばいいのか。いや、それもどうだろう。怖くてできない気がする。

真言の落花一片飛花の内  田中泥炭

仏の言葉の中にも花が散るってなんかいい。難しいことはわかんないんですが。呪詛だったらどうしよ。呪詛でもいいか。呪詛でもいいですね、それはそれで。言葉の中に、いや、言葉が花なのかな。それもよいですね。

たたかふを知らず生まるる蛙の子  珠凪夕波

蛙って戦うんですかね。人生で。繁殖期に争うことはあるのかな。それって「たたかふ」なんですかね。ふとそんなことを思って、知らずにいられるならそれが一番なんじゃないかと、そういう人生って穏やかでいいんじゃないかと思いました。

一月を失いながら蝶の夢  千葉みずほ

蝶の夢を見ているのか、蝶が夢を抱いているのか。いずれにせよ、一月を「失いながら」とあるので、欠落感はぬぐえそうにない。でもその欠落感は絶望ではなくて、蝶の軽やかさに救われる部分もある気がする。

手品師が秋思を鳩に出来ずゐて  土井探花

なんでも鳩に変える手品師が、秋思だけ鳩にできない。秋思ならあたりまえ? そんなことはない。種も仕掛けもあるのだからどうにだってできるはずなのに。きっと持て余してしまうんだろう。それは少しだけわかる気がする。

観ないまま返す映画や立葵  友定洸太

わかる。ていうかよくやる。結局観ないんだよなぁ……観たくて借りたはずなんだけどなぁ……でも、本当に観たかったわけじゃなかったのかもなぁ。観たかったら映画館で観てたかなぁ。立葵のひっそりとした美しさでチャラに、ならんか……(ならん)

平凡さの奥行アイスクリーム  永井円

平凡にもいろいろある。アイスクリームの種類くらい。結構あるな。一概には言えないっていうやつか。それを言い出したら、平凡って一種の思いこみなのかもな。アイスクリームだと思ったらラクトアイスだった、とか、そんな感じの。

北風が始業のチャイム連れて来る  中村亜希子

びゅうっと吹き込んできた風に誰かが「誰やねん、窓開けたん」と喚く。先生が入ってきてチャイムが鳴る。また誰かがいそいそと窓を閉める。そのときにもまた北風が吹く。寒い寒いと呟きながら、ノートや教科書を準備する。寒い。

耳垢を育てるやうに冬帽子  中山奈々

耳掃除するの忘れてたな、と思いながらニット帽を深めに被る。耳垢のことは本来隠したいものだけれど、育てていると思えばいいのか、と感心してしまった。いやまあ、掃除すればいいんだけど。

苺狩り勝ちつづけねばならぬ世よ  西澤日出樹

恐ろしいことにその通りで本当につらい。逃げてもいい、負けてもいい、なんて言うけれど、本当に逃げたり負けたりしたらそこで(人生は続けどなにかが)終わる。苺狩りを楽しむ合間にも、そんな勝ち負けがどこかであるんだろうなぁ。

冷蔵庫開けて閉めて余命って何  野口麻礼

本当に余命ってなんなんだろう、って思いますね。余りの命。命の余り。いや、余るもんじゃないし。余ってもないし。冷蔵庫の開け閉めでなにかが変わるわけじゃないけど、ふと気づくだけの時間は生まれる不思議な扉だなぁ、と思います。

虹のこと話せば話すほど曖昧  野口る理

虹って存在が曖昧というより「存在に曖昧な部分がある」って感じ。虹のはじまりと終わりのところとか、グラデーションの度合いとか。確かにあるんだけど説明するのは難しくて、だからどんどん曖昧になる。ぼやけていく。それが虹っぽい。

日盛りの花器の物欲しさうな口  野住朋可

洗って乾かしているところを想像しました。ぱっくりと開いた口。花器なので閉じていることはないでしょうが、これは一輪挿しではなさそう。「物欲しさうな」という表現が花器への愛着を感じて好きでした。

咳に「いるよ」きりすと  浜脇不如帰

咳の中に、咳をする体の中に……と考えているうちに、「いるよ」がむくむくと立ち上がってくる不思議。それはキリストそのものではないのかもしれないけれど、居る(在る)ということ。居る気がしてくるのがおもしろい。

宇宙からみたら人間など蛍  林ひとみ

ですって。ちょっとうれしいのはわたしだけなんでしょうか。そうだといいな、って思ってしまうのですけれど。つらいことがあったときに思い出したい。「わたしなんか宇宙から見れば蛍やし。光っとこ~!」って思いたい。

色重なるポスカの線よ冬暖か  疋田纏

ポスカってかわいい。めっちゃ好き。乾くと上からまた線が引けるのもいい。そうやって重なっていく線の色鮮やかなこと。「冬暖か」の穏やかさでかわいさが増す。

旧姓に戻りたき日のおでんかな  檜野美果子

なにかあったわけじゃなくても、戻りたくなる瞬間があるんじゃないかと思いました。なにかあったのかもしれないけれど。ぐつぐつとおでんと一緒にこの気持ちも煮込まれていってしまうんでしょうか。

夕立の明るさ一人きりの良さ  日比谷虚俊

語感の良さが第一にあって、それは「夕立の/一人きりの」「明るさ/良さ」の対比から成り立っているものだと思うのですが。雨が降ってもひとりきりのよさを感じるって、清々しくていいですね。わたしも感じてみたい。

立ちながら眠るポニーや花の昼  福田望

桜の木が近くにあるのでしょうか。そんなこともお構いなしに眠っているポニー。とてもかわいいです。桜そっちのけなのはこのポニーをじっと見ている人も同じです。そろそろお昼ご飯の時間でしょうか。

溶けそうなほど見つめたりゼリーの黄  藤田亜未

ぷるんとしたゼリーがおいしそう。早く食べればいいのにじっと見ているんでしょうか。もったいなくて食べられないのか、黄色がきれいで見惚れているのか。いずれにせよかわいい光景。このゼリーはやわらかそう。

冷奴しばし仏像として見る  藤田俊

仏像って、木の中から現れるらしいですね。かぐや姫みたいな感じじゃなくて、掘るのとは違うらしいです。そういうことが冷奴にも起きた……のかもしれない。見えたのかもしれない。とは言え結局食べるんだろうな、とも思うんですが。

一歩目を犬に譲りて霜柱  正山オグサ

愛犬との散歩でしょう。シャクシャクと音を立てて歩く様子を想像します。犬は霜柱と知って歩いているかはわかりませんが、一緒に楽しく歩いている光景を思い浮かべます。すてきな朝です。

苔枯れて真つ白き色となりにけり  水越晴子

濃い緑が美しい苔も、枯れてしまうと真っ白になる。この「真つ白き色」というのがまさにそうで、本当に「嘘でしょ?」と思うほど白い。白色の絵具を出したみたいで、それが「色」という言葉で表現されているのかもしれません。

旧友の個性が過ぎるサングラス  水の机

「~が過ぎる」と言う表現は今では珍しくないというか、「度が過ぎる」のバリエーションのように使われている気がします。過ぎたるは及ばざるがごとしとも言いますが、このサングラス、ちょっと他人の振りをしたくなるレベルかも……?

宝くじ外れて似合う春ショール  宮川ぶん学

当たってたら似合ってない。外れているから似合う。外れてもそこにこだわらず、あら残念、と軽やかに笑える人なのかもしれない。そう言う人に春ショールはよく似合うと思う。

冬木立凭れて芯を確かめる  村山温子

青々とした葉がすっかり枯れ落ちてしまったあとの木は、どうにも頼りなさげ。木が枯れているわけじゃないんだけれど。そんな冬木立にそって寄りかかってみると、案外しっかりしている。芯がある。生きているなぁ、って思う。

コスモスをくすぐりながら下校班  杢いう子

コスモス畑の傍を歩く下校班。みんな手を伸ばしてコスモスに触れていく。コスモスにとってはくすぐったくてしかたがない。下校班の笑い声に混ざって、コスモスも笑っているかもしれない。

水を吸ふ桜も吾も繋がりて  山岸由佳

桜と自分が繋がっている。人間に根はなく、桜に手があるわけでもない。「水を吸ふ」にハッとさせられる。水でつながるという発想はなかった。新鮮でどこかやさしい気持ちになれる句。

海月を帰そうみな月へ帰そう  山﨑涼

決行は満月の夜。急がないと雲間に隠れてしまうかもしれない。夜が明けてしまうかもしれない。静かに、でも少し急かされるようにして海月を月へ帰す。「帰そう」のリフレインが不思議な余韻を残してくれる。

母の日の母ゐる者の売り場かな  山田祥雲

いない人にとってはなにということもない売り場。父の日もそうですが、「ゐる者の」というのが切実でその通りだと思います。「かな」の詠嘆は切実さを少しだけ軽やかにしているような気がします。

自転車の集ふ広場や月涼し  弓

月が出ている夜に広場に集合する。なんだかすてき。すいうふうに集まれる仲間がいるって、しかも「自転車で来た」って青春だな。大人になったらなかなかできない。大人になってもいつかやってみたい。そんな光景です。

噂とは嘘の脱けがら蛇苺  楊明枳

言いっぷりが潔いですね。しかも内容も内容で、その通りなんじゃないかと潔さのままに納得してしまいそうな説得力もあります。蛇苺という野の花(実のほうでしょうけれども)の着地も雑然としていて好きでした。

手負ひの熊が裏返る  横井来季

なにが起きたんだ~~~~~! と思って何度か読んで、声に出して、やっぱり「どうしたんだ……」と思いました。自ら動いているのを裏返るとは言わない気がするので、裏返されているということでしょうか。緊迫しております。

春よ傘に広がつていく雨の夢  𠮷沢美香

「春よ」という朗らかな呼びかけが心地よい。雨は気分が憂鬱になりがち。わたしもあまり好きではないでけれど、「雨の夢」が冒頭の「春よ」と呼応してやっぱり気持ちがいい。春の雨を好きになれそう。

何もかも知らずに話す暑の鸚哥  吉川拓真

知らないほうがいい。知らずに話してくれているほうがいいに決まってる。おしゃべりな鳥は意味なく語るからおもしろい。知っていたらそれはホラー。鸚哥が「あつい! あつい!」と繰り返す。涼しいクーラーの下で。

少少の金をかへして冬に入り  吉冨快斗

まだ借金はあるんじゃないかと睨んでいます。利息か、返す相手のやさしさか「こんなもんで勘弁」という金額なのでしょう。これから冬だから、という慈悲がどこかにあるのかもしれません。

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相田 えぬ
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