死にかけた時に選んだのは、文章ではなかったという衝撃
人間は、目標がないといけないそうですが、
私は若い頃から、目標がありませんでした。
夢も希望もありませんでした。
ただ、楽しいことといえば、
弟が持っていたゲームと、
(自分のじゃなかったのが悔しい。なぜか知らないけど、弟は何万もするゲームを買ってもらえるのに、私は誕生日も千円くらいのものしか買ってもらえませんでした。母は弟だけが自分の子供だと思っている節があり、私のことは昔も今も無視し続けています。弟がかゆいと言うとすぐ皮膚科に連れて行くのに、私はいくらかゆがっても無視、とかね。同じ症状だったのに……みたいなことはよくありました)。
あとは、ノートに自分の頭の中にいるキャラクターを書くことだけが楽しみ。当時は漫画と文章が半々でした。
何も知らない空想好きの子供だったので、昔は、自分は漫画家になるもんだと思っていました。そのうち「手が震えて絵がうまく描けない」ことに気づいて断念するんですが……。
とにかく、人生は嫌なことだらけなので、
空想のノートだけが楽しみでした。
家族にいろいろ問題があった(怒鳴ったりキレたりする人が多い、自閉症の弟などがいる、自分もそれっぽいとなんとなく自覚あり)こともあり、
高校を出たあたりからうつっぽくなり、
まともな生活ができませんでした。
なので、何事にもやる気がなく、
役に立つようなことを何もできずに、
30くらいになった時かなあ。
「このままではまずい」と思って、
いきなり、何もコネがない大阪に移住しました。
とにかく、生まれ育った街から一度出ないと、
成長できないと思ったんですね。
結局また北海道に帰ってきちゃったんですが、
大阪は今も大好きです。
いきなりパッと行ったのに、
仕事を与えてくれたし、
(なぜか、大阪にいる間だけは、普通に働けていました。なぜなのか今でもよくわかりません。地元ほど差別がないからかもしれないな)。
私にとっては、天国のようにいい街でした。
好きな服を着てキラキラを身に着けて、
好きなことしゃべっても許される。
(残念ながら、私の地元ではそれができません)
場所を変えても、自分の弱さは同じでした。
それと、大阪に行ったら文章書くのはやめて、生きることに専念しようと思っていたのに、
結局何をしていたかというと、
『アンゲルとエレノア』という、
めっちゃ長い小説を完成させてしまいました。
やっぱり自分、文章書くのはやめられないんだなと思いましたね。どこへ行っても。
帰ってきてから、前も書きましたが、
壮大な幻聴を発症。
やっぱり、人生は辛かった。
脳の構造が変わってしまったのか、
それまでできていたことが、
どんどんできなくなっていきました。
何もする気がなくなり、無気力に。
漫画が描けなくなりました。
(女性の表現に疑問を持っていたのも原因)
乗り物に徐々に乗れなくなっていきました。
元々高いところが苦手だったのですが、
ビルの高層階に行けなくなりました。
(今も、デパートの最上階のレストランには行けません。ギリギリ7階くらいが限度。高層ビルのオフィスやタワマンの話は聞くだけでぞっとします)。
人の多い所もだめになりました。
(元々音に敏感だから苦手でしたが)。
治療薬の副作用で働くのがつらくて、
30代は作業所に通う以外は、
何もできないまま終わりました。
気晴らしにスマホゲーム(グラブル)に没頭して、自分のキャラ好きを確認したくらい。
カタリナさんが好きだった。
それも、そのうちやめたほうがいいと思うようになり、今はスマホゲームは一切やってません。
一度困窮のあまり実家に帰ったのですが、
失敗だったことがすぐにわかりました。
私は無口で、物音や怒鳴り声が苦手なタイプ。
しかし、母はすぐ怒鳴るタイプ。
しばらく別居していて忘れていたのですが、私と母は昔から仲が悪かったのですよね。
会話がまともに通じたことがない。
「お前は人格が歪んでるから何にもなれない」
みたいなことを学生時代に言われました。とにかく、私のやることは全て全否定なんです。買ってきたものはけなす(泣きながら捨てる羽目になる)理由もなくキレて叩く。髪の毛をつかんで引っ張る。
大人になったら少しはマシになっているのでは……と思ったら、何も変わっていなかったんですね。
草薙龍瞬さんの本で『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』という名著があります。
それに書いてあるような失敗をやらかしてしまったんですね。
大人になってお互い丸くなっただろうから大丈夫だろうと思って同居したら、実は何も変わっていなくて、怪物は怪物のままだった……という。
(この本、題名のせいで手に取りにくいですが、ほんとにいい内容なので読んでみてください)。
人間の性質って変わらないんですよ。
キレやすい人は、歳をとってもキレやすいし、
無口な人は、いくら人生経験を積んでも、いつまでも無口です。
歳をとっても、何も変わっていなかったんですよ……お互いに。
やはり合わないものは合わないのです。
なので、福祉の人と相談して、「離れた方がいい」ということになり、40歳になる少し前にグループホームに移りました。
ああ、人生終わったなと思いました。
社会的に、私は認められない存在なんだなと。
なんにもやる気がしない日が続いていたのですが、ふと、
「サキ達の話を書き直したい」
と思いました。
中学から大学にかけて、頭の中で動いていたキャラクター達を、形にしたくなったのです。2015年頃に一度ブログに小説で書いていたのですが、その頃は治療薬の副作用が重く、続けられなくなって中断していました。
また、やってみるかな。
と、再開して今『小説家になろう』に連載しています。
やっぱり、私のやることは文章なんだ!
と、思うわけですよ、この時点では。
小学生の頃から(人には見せなかったけど)ずっとキャラクターが頭の中にいて、創作し続けていたわけですから。
これが自分の天性の素質だと、思いますよね?
ところが、
人生って何が起きるかわからないですね。
思いがけないことが起きたのです。
サキ達の話を再開してから一年ちょっと経った今年の前半。
急に、
「自分が書いていることは、良くないことなのではないか」
と思い始めました。そして、仕事中に強い不安に襲われたのです。
今までに書いた小説の残酷な場面を思い出し、
「あのシーンは書くべきではなかった」
とくよくよ悩みだし、実際、過激と思われるシーンを削除したりしました。
それまで平気だったことが、
突然耐え難くなる。
歳を取るとよくあることですが、
まさか天性(だと思っていた)の文章にまでそれが来るとは思いませんでした。
その後、ショックなことが2つありました。
まず、やっと就職した会社の正社員が、障害者雇用に反対していてすごく差別的であること。
「弱者なんか救済しないで死なせておけばいい」
「俺が偉くなったらあいつはクビにする」
と私の前で平気で言う人。たびたびこういうことを言っているのが聞こえるので、ものすごいストレスです。でも、生活費のことがあるから、仕事はやめるわけにはいきません。
2つ目。
これが衝撃的なのですが、
夜中に、突然息が苦しくなりました。
「あ、私、死ぬかも」
と思いました。その時思ったのが、
「ギターと歌をやっておけばよかった」
だったんです。
あれ?って思いませんか?
そこは文章じゃないの?って。
結局、発作?はすぐにおさまりましたが、
(その後、健康診断に行きました。貧血でした)。
死に際に選んだものは、文章ではなかった。
ショックでした。
確かに昔、ギター弾きながら歌ったり、声楽を習ったりしたことがあったのですが、
誰も聞きたがらないしら、騒音になるからと、やめていたのです。
ああ、どうしようって思いました。
大事なのは音楽で、文章ではなかったのか?
今まで文章に費やしてきた時間は何だったの?
それから、自分が書いた小説のアクセスを確認したら、平均1万くらいでした。
つまり、ほとんど読者はいませんでした。
(人気のある作家さんは億がつきます)
誰も読まない文章に、人生の大半を費やして、結局病気の自分しか残らなかった。
文章が、書けなくなりました。
今更新しているのは前に書いたストックです。なくなったら、休みます。
今まで優先順位第一位だった『書くこと』が、急に『どうでもいいこと』になってしまいました。
かといって、音楽やれるかというと、難しいのです。グループホームに住んでいるので、好きに音を出すわけにもいきません。
職員さんには、
「昼間なら大丈夫だからやってみなよ」
と言われていますが、
やはり、未完成のサキの話が(書けないのに)頭に引っかかっていて、
今、何もできずにいます。
やってみたことといえば、
昔歌っていた歌を声に出してみたこと。
やっぱり、若い頃のような声は出ません。
息が長く続かないので、
歌える曲も限られてきます。
何より、音楽って、お金がかかります。
月10万で暮らさなければいけない自分がやっていいことなのか。
今、人生に迷っています。
中年の危機というものでしょうか。
今まで唯一絶対だと思っていた文章が、
急に、そうではなくなってしまった。
ほんと、人生って、
何が起きるかわからないですね。
しかし、何にせよ、
これからは、
『今よりマシな自分になっていきたい』
と思います。
いじめや差別は日々経験していて、
その辛さを知っているので、
自分は絶対、マイノリティーを差別しないようにしよう!と思っています。
できるだけ礼儀正しく、親切に。
死ぬまでの間、できることは少なくなっていっても、人格まで歪ませないようにしたいと思っています。
今も、母の言葉がトラウマです。
「お前は人格が歪んでいる」
発達障害のことを知らなかったゆえの無知な発言だったのかもしれません。
でも、私の人生を変えました。
大学を辞めました。
人格歪んでる人が大学出ても意味ないと思ったからです。
あとで就職が不利になった時後悔しましたが、かといって、あの時あのまま学生生活を続けられたとも思えません。父の死でただでさえうつ状態でしたから。
親の言葉って重いんですよ。
他人を否定するようなことは、
一時の感情で気軽に言ってはいけない。
反面教師の母に教わりました。
機嫌が悪いとすぐまわりに当たり散らす人だから……。
これからどうしたらいいか、
全くわかりませんが、
できるだけ良き人でありたいと思います。
全体的に愚痴でしたね……すみません。
読んでくれてありがとう。