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冬休みなう(留学3ヶ月目)

大学生活

冬休みに突入。
1月からはB2クラスに昇級、かつ文化コースの授業も取れるようになっていくので、楽しみなことこの上ない。

イベント

ドゥオモでやっていたコンサートに参加。(23/12/2024)
入場無料で当日に行っても入れたらしいけれど、大学経由で席を取ってもらったので、前の方で観ることができた。

<ざっくり概要>
合唱団は、キジアナ音楽院とドゥオモによって2016年に設立されたらしい。思ったより最近だった。シエナ以外からの団員もいるらしく、メンバー数は不定とのこと。カトリック関係の典礼行事の他にもコンサートをすることもあるらしい。
(ホームページ:https://www.chigiana.org/coro-della-cattedrale-di-siena-guido-chigi-saracini/
選曲としては、クリスマス前ということもあり、グレゴリオ聖歌系(アカペラ)の落ち着いた旋律の曲が多かった。作曲家は聞いたことのない名前ばかりで、検索してみると大体1950年代前後くらいの生まれの人で構成されていた。確かに、今まで触れたことのあるミサ曲と比べると和音がより複雑というか、より精密に構成されている印象はあったかもしれない。

<以下、音楽素人による合唱の感想>
第一印象は、「丁寧にまとめられている」だった。
何といっても素晴らしかったのが、男声と女声が合わさったときに違和感がなかったことである。特に男声が、低音で全体を支えつつ自然に存在しているというか、確かに存在しているのにいることに気づかせないというか、とにかく絶妙なバランスだった。合唱をしている妹曰く、「全体として一つの声、一つの音に聞こえるように歌うことが大事」だそうなので、その点で高度な合唱には違いなく、無料公開なんて太っ腹なことをするものだと感心させられた。
また、ソロパートも印象的だった。ソロの歌手の声が一番目立つようにしつつ、全体としての音の膨らみが保たれているという印象。決して軽い印象を与えることなく、ソロの歌手の声を邪魔することもなく、それでもソロの歌声は明確に聞こえてくるという不思議体験をした。
人が多い+舞台もない状態で声が響いていたことにも驚いた。教会の構造も手伝ったのかもしれないが、30人前後の合唱団であの大きさの教会に声が響くというのは、それだけで技術の証明な気がした。

日常生活

面白かったこと

<クリスマスの散歩>
昼頃にふらふら旧市街地まで遊びに出かけたら、最寄りのスーパーが閉まっていたし、レストランや道沿いのお店もほとんど閉まっていて、とにかく静かな印象だった。やはりクリスマスは家族と過ごすものであるらしい。日本との差を如実に感じた。
ちなみに、26日は流石にスーパー開いてるよなと思って出かけるとばっちり閉まっていて、24・25じゃなくて25・26のセットで休むんだというのが意外だった。24はまだ駆け込み寺的な機能が要求される日なのだろうか。

いつもより人が少ないドゥオモ広場


<言語の切り替え問題>
最近、キッチンでよく会うインド人がいるのだが、なぜか英語で話しかけてくれる。英語は話すのも聞くのも好きなので、英語でコミュニケーションをとるにやぶさかではない。
ところが、留学開始からこの方、とにかくイタリア語で話そう・考えようと努めていたものだから、頭の中の言語優先順位みたいなものがすっかり変化してしまっている。外国語=イタリア語になりつつあるというか、「外国語で話しかけられた」と認識すると、自動的にイタリア語での返答を模索してしまうようになったのである。
「How are you?」に対して、「Bene, grazie, e tu?」が出てきてしまうのである。いざ英語で話し始めても、まず真っ先にイタリア語が出てくる。返答に「Yes」を絞り出すことすら怪しい。常に「Sì」で答えてしまう。「日常生活」と言おうとして、まず浮かぶ単語が「vita quotidiana」なのだ。「daily life」って言やいいだけだったのに。
あるいは、考えることが少なすぎて戸惑ってしまうのだろうか。動詞の活用も、法も、定冠詞と名詞と形容詞の性数一致も考えることなく語順を守って忠実に並べるだけでいいなんて嘘でしょ?という気分になるのである。
お陰様で、英語で言っていることは全部わかるのに、インド人に「ああ、英語あんまり得意じゃないんだね、大丈夫だよ」みたいな顔をされてしまった。
それだけイタリア語に慣れてきたということで、喜ばしいことではあるのだろう。

<掃除すっぽかされ>
寮には、一週間に一度部屋の清掃とリネン類の交換をしてもらえる、ありがたいシステムがある。
筆者の部屋は金曜日に清掃が入るのだが、クリスマスシーズンと重なって他の部屋の清掃が押していたのだろう、土曜日にするからと当日言われた。
それ自体は別にいいのだけれど、肝心の土曜日にどなたもいらっしゃらないというのには驚かされた。キッチンに行ったら綺麗になっていたので、清掃の方は来ているらしいのに。
筆者は、清掃の日にはシーツを剥がしてまとめて、毛布類は畳んでまとめて、ごみ袋の口は縛って、靴も邪魔にならないようによけて、とかそれなりに準備しているので、急にキャンセルでって言われるとちょっと困るのである。自己満足ではあるし、恩着せがましいことを言いたくもないのだが、ちょっと、ほんとにちょっとだけモヤっとする。
まあ、管理人さんにメールを書いたので、年内に清掃が入ることを願おう。

料理(パスタの話)

冬休み中くらいは贅沢をしようということで、生パスタをスーパーで調達した。TortelliniとPici(シエナのご当地パスタ)を選んだのだが、どちらも美味しかった。

Tortelliniは、簡単に言うと変化形ラヴィオリのような見た目で、ボローニャやモデナ周辺でよく食される。昔はクリスマスやイースターなど特別な機会の食事だったらしいので、図らずも伝統に則ったかたちになった。リピエナとしては、ハム、キノコ系(ポルチーニなど)、ほうれん草とリコッタなどが有名で、今回はソース(というか作り置き)との兼ね合いから、ほうれん草とリコッタをチョイスした。リピエナのお陰で風味が変わって飽きずに食べられるし、嵩増しにもなるので腹持ちがよかった。
市場で手に入れたrotella(うにゃうにゃした、パスタを切る道具)もあるので、帰国したら作ってみたいパスタである。


Piciは、要するに手で伸ばしたぶっといスパゲッティである。イタリア語のレシピを検索すると、卵を使わずオリーブ油・水・塩だけで捏ねるとの記載があったので、一般的に想像されるパスタよりもシンプルな材料で構成されていることがわかる。0粉を使うというのもユニークなところだと思った。
日本語の記事を読むと、うどんに近いと書いてあることが多かったが、個人的にはうどんというより、だご汁の「だご」に近い食感だったと感じた。ゆで加減にもよるのかもしれないが、もちもちとぷりぷりの間のような食感で、うどんの数倍はやる気のある感じ。牧のうどん的な食感を想像していたため、顎が驚かされた。
ちなみに、目分量でパスタを入れたら思いの外膨らんで、えげつない量が茹で上がってしまう。留学前はその1.5倍くらい食べていた筈なのだが、すっかり胃が可愛らしくなってしまって、久しぶりに満腹になった。
それから、やはりパスタだけあってというべきなのか、ソースの絡み方がうどんのそれとは全く異なっていると思う。仮にうどんをパスタソースに放り込もうものなら、ぐちゃぐちゃのべちょべちょになること必至だが、Piciはパスタの表面がソースと上手く融合して、パスタとしての体裁を保ったまま調理されてくれる。パスタの外側が若干溶けだしたところに上手くソースの油が絡みついて、一体感を高めることに一役買っているらしい。
出汁に入れるうどんと、乳化が命なパスタ(談:父)とで違いが見える気がして面白かった。

余談だが、Piciはパックに無造作に詰め込まれているタイプのものを買ったので、取り出すときにぶちぶちに千切れて困った。今度はきちんと整理されているタイプのパックか(そんなものがあれば、だが)、乾燥しているタイプを買おうと決意した。

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