所属意識・オンラインで相手を知ること
オンライン化が進む中、所属意識、違いを全て受け入れるのではなく、意識することがとても大切だなと最近感じています。
オンライン授業での体験から、色々考えを巡らせてより感じるようになりました。少しまとまりがないですが、思ったことを書いていきます。
授業内のディスカッションでは何を学んだかではなく、論文が何を論じていて、何を問題としていて、その問題の関連事項を共有します。最初は書いてあることをまとめてだけいましたが、書いていたことやその感想を論じても全くクラスメイトが反応しませんでした。
クラスメイトは関連する新しい問題や現在話題になっていること、それについて思った自分の意見をシェアしていました。なるほど、と思い真似してみると議論が活性化してディスカッションも楽しくなりました。
相手の悪い点は指摘しませんが、新しい視点をもった意見は素直に面白いと生徒も先生も褒めてくれます。
少しでも良い意見はすぐに褒めてもらえるので、本当にそう思っているのか、ただお世辞で言っているだけなのか・・・と、日本の会社の人や家族には、言葉そのままに褒められることがあまりなかったこともあり、最初は疑わしく思っていました。
ただ、最近は同じメンバーと約1ヶ月間、画面越しでディスカッションを繰り返すうちに、、言葉の言い回し、声のトーン、表情で段々面白いと思っている度合いがわかるようになってきたました。そういうこともあり、褒めた方がその場に打ち解けられることができ、認められている気持ちになり自分の意見を言いやすくなります。更にそこから議論が活性化するように思います。
プロジェクトマネジメントの授業で、自分がプロジェクトをやる上でどういう環境を求めるか話していたときに、自分がメンバーから受け入れられている、認められているという気持ち一番大切と話しているクラスメイトが多かったことからも、それをより感じました。
授業や仕事だけでなく、社会から認められている、ここに所属していいのだという安心感はオンライン化が進み、直接会う機会が減っている今だからこそとても大切なのではないかなと感じました。
相手の意見を褒めるということが相手を認めることにもつながっていくと思います。
私はフィンランドでは移民であるため、日本にいる時よりも所属意識の大切さを感じています。幸い、個人としての私を認めてくれる、優しいクラスメイト、ルームメイト、課外活動メンバーに恵まれ、所属意識を持てています。だからこそ、知り合いがほぼいなかったフィンランドでも、今のところホームシックになることなく暮らしていけているのだと思います。(もちろん日本食、特にサーモン以外の魚は恋しくはなりますが!)
こちらに来ると、性格以前に、民族、出身国、話す言語、宗教、食習慣がそれぞれ違うので、全ての違いを受け入れようとしてしまうと疲れてしまいます。
時間のない中で人を判断しなければならない場面もあり、また人をみる目を鍛えることも大切だとも思います。ネット上では自分と異なる人の意見を簡単に排除しがちですが、違いがあると頭の片隅に置いておくだけでいいのではないでしょうか。
嘘をついてまで褒める必要はありませんが、オンライン上で人と出会う時は、まずは相手を良いところを見つける、そこから違いを感じていくのでいいのではないかなと。
そうすることだけでも相手は認めてくれていると感じ、心穏やかにお互いを知ることができるように思います。