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短編集【シャンプー瞑想】第2話『金魚』

第2話【金魚】

ベランダで夫のつなぎを干し終えると、その日の家事から解放される。パンパンと音を立てて、LLの夫のつなぎを叩きながらシワを伸ばす。快晴の空の色をしたつなぎは、花曇りの日でも、心地よくはためいた。

毎日午前11時頃には、自転車で夫のいる自動車工場に大きなお弁当を届けに行った。
工場では、夫の両親と彼と三人で働いていた。
街角の小さな木造の工場に入ると、たいてい2台の車が並んで置いてあり、義母さんが「おはよう」と出迎えてくれる。
あとの二人は、車の下に潜っていて姿が見えない。
「おはようございます」といって、車のシートでできた応接椅子に座る。
大きな真鍮の薬缶が、椅子の脇のストーブの上で沸いていて、お茶を飲むときは欠けた急須にお湯を注ぐ。北国の春はまだ、ストーブが必要だ。
私の分も入れて全部で四人分のお茶を入れるのは、私の役目だった。
そのうち、ここらへんでは、もう一人っきりだという金魚売りの爺ちゃんが、行商の休憩のため立ち寄って、義母さんとたわいもない話をしながらお茶を飲む。

爺ちゃんの足元に置かれた金魚の盥をしゃがんで見るのも私の楽しみだった。こうやって金業売りの爺ちゃんの盥の中では生き生きしているのに、どうして、家の水槽で飼うとすぐ死んでしまうのだろう?
あのチルチルとミチルの青い鳥のように、手に入るとただの黒い鳥だったみたいに。

結婚するまで、私は三年、仕事の合間に、夫の工場に通って、一緒になれる日をひたすら夢見ていたものだった。ときどき喫茶店にいって、ランチを一緒に食べたり、夜は地元の若い人たちが集まるライブハウスに行って、お酒を飲みながら、楽しく会話できた。
私は好きな人と、平凡に、妻が働かなくてもいい家庭を作って、子供を育てて、孫ができて、老いて、一生を終えるというイメージを持っていただけだった。

私の実家は父も母も仕事で留守がち。たまに揃えば、口論になり、父はサンダルはいて、外に逃げていった。
母の憤りは、毛穴からシューシュー出ていた。すごく、吠えたあとの、息遣いが重くて、なんとも哀れだった。
しばらくして、黙々と、母は煮炊きを始めるのだった。
父は公務員だったけど、母に生活費を一銭も渡さないのだ。
母の美容師収入で、生活が維持されていた。
母がどうしても足りない時に父に言うと、しょうがないなぁと、母に不足分だけを渡す。
普通の家庭なら、お父さんが家計を支え、お母さんはニコニコしながらご飯を作ってくれたり、洗濯してくれたり、お掃除してくれたりしている。
それと比べて、我が家はどう?
お母さんはいつも仕事しているから、ご飯の時間も遅いし、部屋は子供たちが散らかすし、ぐちゃぐちゃ。お母さんって、大変そう。。。
私はお父さんみたいなのは選ばないようにしよう。
夫は、毎月ちゃんとお金を渡してくれる人がいい。

夫の工場は、親子三人で、黙々と営業していた。
義父さんは、本当はかなり大きな酒造会社の御曹司だったらしい。本来なら後継だ。義母さんとの結婚を反対され、勘当されたと夫に聞いた。
義父さんは、相当な博識を持ったひとで、国立大学の教授とか、映画関係者とか、評論家とか詩人とかよく遊びにくる。友人の中には、心中で死んでしまった有名なDという作家もいた。地位と財産を投げ打って、
小さな町工場で、黙々と車の整備をしている。義母とはいつも、一緒だ。
愛し愛され続けた魂の記憶をよりどころに、
勘当に耐え、小さな営みを続けている二人だ。
私は密かに、若い時の二人の出会いを想像したり、なぜ、そこまでできたのか?いつか二人に事情を聞いてみたいと思っていた。
勘当されるほどの情熱と小さな工場を営み続けている冷静さを併せ持った夫婦を、素敵な人たちだなあと思っていた。

結婚したら、毎日一緒だもの。一緒に工場を閉めて、家路に着く。ささやかな食卓。お風呂・テレビ・そして眠り、、、。毎月夫が家計を支えてくれる。金額は貯金はできない、ギリギリだけど、ありがたい。きっと、甘い時間が増える。

でも、すぐには子供ができなくて、結婚生活は平穏だった。

夜も一緒に過ごせることになったのに、彼ったらテレビを見て横になっているだけだ。独身時代と同じ過ごし方をしているだけだそうで、、、ああ、夫のいびきによって、夢は現実に引き戻される。夫に言わせれば、私のいびきもすごい時があるって。
工場ではボソッと今日は何時頃終わるよとかの会話あるけれど、家に帰ればただの同居人だ。
夫にまとわりついてみるが、ハエみたいに払われる。
結婚する前は手を繋いだりキスしたり、ハグしたり、スキンシップが自然にできてたのに、どうしちゃったんだろう?
作った夕食やお弁当の感想きくと、まあまあ美味しかったよというので、まあまあって、いうところが残念だった。
私の唇は、部屋の中を、金魚のようにうろうろ泳いでいる。

盥のなかの金魚たちに連帯感はあるのか?
毎日しゃがんで見る金魚の盥。
その中のある1匹が弱っていく。
徐々に水面に向かってパクパクするようになった。

ある日、その金魚はいなくなって、他の威勢の良い出目金が幅をきかせていた。

金魚売りの爺ちゃんに「あの金魚どうしたの?」ときいたら「売れたよー」と言ったけど、私は信じてはいない。

虹色の空に向かって、身投げしたに違いない。

 二人の溝で金魚が弱りかけている  美文

『金魚』その2

【現実は同じ。解釈が違うだけ】
ある日、洗濯干していたら、女の人の声が聞こえたような気がした。
振り向いても誰かいるはずもない。

結婚してから一年半。
太陽が、やや光源をあげた気がする。
新緑が光を分散して煌めいている。
市街地の中心部にある大きな公園は桜の季節を終えて、新緑が眩しく輝いている。

3ヶ月前に私は流産してしまった。
満開の桜のトンネルを歩いても、
気持ちは暗転のままだった。

桜の散り際を見ているときは、
産まれなかった赤ちゃんのことが不憫で胸がぐぐっと詰まった。

自転車に乗って、新緑の街路樹の下を走っている私の瞳に
アイスクリームの屋台が映った。
100円のアイスクリームを屋台のおばさんから買って、屋台の側の丸い切り株に座って舐めた。

毎年、桜まつりのときには、このアイスクリームの屋台の周りには
多種多様な屋台が立ち並び、賑わっている。
金魚すくいもあった。
本当に上手い人は、あんなに薄い金魚すくいで、何匹もすくい上げる。
コツがあるんだと思うが、私は、すぐ紙が破けてしまう。
金魚すくいと同じように、流産しちゃった私。

アイスクリームを舐めながら、私はぼんやり金魚すくいを思い出していた。
「どうぞ、これ。シャンプー瞑想って名前のシャンプーのサンプルです。」不意に渡されたから、ポカンとくれた人を見上げると、綺麗な中年女性だった。
「今日、見本使ってみてね。(笑)このシャンプー、不思議なことに、使えば使うほど、あたたかい気持ちになるんですよ。先にお湯だけで髪を洗ってから、シャンプ〜つけます、クリーミィな泡立ちで、指先が気持ちいいよ。お湯を盆の窪のところにためてから流してね。まったりすると、何故か、どんどん、不安が消え、鳥の声や虫の音、今まで気にもとめなかった音楽が聞こえてきて、光が降り注ぐような感じになるんですよ」
「。。。。。。。。え?」
「あー、突然ごめんね。
なんとなく、気になって、、声かけちゃって。」と名刺をくれた。
名前はYUZU。
職業は、耳つぼセラピストと書いてあった。

工場へお弁当を届けて、いつものようにお茶入れて飲んだ。
金魚売りの爺ちゃんや、お義父さんの知人や、お義母さんの妹や、夫の友達が入れ代わり立ち代わり、工場に寄って油売っては帰っていった。

なんだか、今夜は早く帰ってシャンプーしたいとおもい、ちょっとお先にスーパーで買い物して帰ることにした。

買い物して、家に帰ったら、夕暮れの日差しが窓から差し込んでいた。
光の中の更に小さな光が瞬きながら私に押し寄せてくる。
私の中にも小さな光が瞬いているような気がしてきた。
私の中の私が、シャンプーしてもいいよ!って言ってくれてるみたい。
実は私は美容師の娘。物心ついた頃から、お母さんにシャンプーしてもらうと、最高に幸せだったのだ。
大好きなシャンプー時間。

シャンプーサンプルの蓋を開けたら
ふわりと甘くオレンジのような爽やかな香りがした。

「シャンプー瞑想」。。。
商品の名前が、なんだかスピリチュアル。
修学旅行で京都に行ったとき、座禅体験して、棒でバチンと活入れられたな〜

さて、先に湯シャンして、シャンプーを手のひらにのせて、頭の後頭部から上に順番にまぶしてから泡立てた。
もこもこして、なんだか泡立ちがきめ細かくていい気持ち。
泡って、しあわせで優しい気持ちになれるなあ。

瞳を軽く閉じたら、いつもの道の隣に細い路地があったことを思い出した。
あの路地を曲がったらどこに行けるんだろう?
まてよ。。。。
あの路地は見たことあるなぁ。
幼稚園に入る前の記憶が蘇った。
確か3件目に、Kちゃんのお家があった。

あの路地を、渡ろうとしたときだった。
あっ!突然左にバイクが迫っていた。
☒☒暗転。。。
夕焼け色に私の体が染まっているのを、私はみた。そして、
木のたらいで産湯に浸かってる赤ちゃん(それは私)
お母さんに抱っこされて泣いてるシワシワで真っ赤な顔の赤ちゃん(それも私)。。そんな光景が見えたかも。

気がついたら、病院の治療を受けていた。
奇跡的に、足の捻挫だけで助かった。
でも、Kちゃんにあげようと手に持っていた、金魚はどこに行ったのか?

きっと金魚は私の身代わりになったに違いない。

そうだとしたら、金魚には、いままで、ありがとうを言ってなかったじゃない。
身代わりになったかもしれないことを
ちゃんと受け止めてはいなかったよね。
鉄の塊のバイクにぶつかったんだよ。
ほとんど、何でもなかったなんて、奇跡だよね!!
夕焼け空に向かって私をふわっと持ち上げてくれたのは
金魚だったのでは???

4歳の頃の私は、ただ、生きているだけだった。
本当に、生かされているだけで、いつの間にか寝て、いつの間にか起きて、着替えて、食べて、おしっこ、うんちしたり、ゴロゴロしたり、庭で草むしっていたり、虫追いかけたり、、、母や父に甘えているときが幸せ。
あのときあの路地で事故ったあと、
私は、自分はいつか死ぬのか、死んだらどうなるのかを、考えるようになった。
空を見上げて、あの雲の上に行くのかなあとか、星を見上げては、あの、星の一つになるのかなあとか、流れ星見ては、誰か死んだかもとおもったり、
この世界からいなくなると思うと、胸がキューンとなったものだ。
心は、どこにあるのかも不思議で、体とこころが離れるような感覚を覚えたものだ。
一体私ってなに?
目をつむると銀河が広がるだけだった。広大な渦を巻いた星空に漂っているうちに朝になって、起きてを繰り返していた。

たった一つわかったのは、私は死ぬまで生きるということだけだったように思う。自分は、目に見えないサイクルの中の一つなんだろうと感じた。
それからはあまり悩まなくなった。
自分は死ぬまで生きる存在なんだ。その後は、寝ているときのように銀河にいるんだろうと、悩みにひとまず終止符を打ったように思う。

空をみあげると、大きな意志が、私に話しかけてくるみたいだ。
子供の頃は、空を見上げると、なにかに守られていると感じていた私。
だんだん空を見上げなくなって、この頃は失った子の事ばかり考えてうつむいていた。当然空から守られている感じは全くしなくなっていたな〜。

シャンプーの泡立ちの中で、
私は大きな意志に守られている感覚がだんだん蘇ってきた。
何があろうと、私は死ぬまで生きるんだよね。
色々な体験をして、喜怒哀楽を味わう。
体の中の細胞が、いちいち文句を言わずに毎日生きることを繰り返しているように、どんな逆境でも、元気に生き続けることこそが、私の使命かもしれないなあ。
そういえば、私が元気だと、周りも元気に対応してくれる。

宇宙は私の体の中にある。
私は宇宙に守られている。
宇宙は私。私は宇宙。宇宙は私。私は宇宙。

金魚鉢の中の金魚を除くと、金魚は私を見ている。
金魚を見ている私と、金魚に映っている私は同じ人。
思考がぐるぐる回る。
それに合わせて、頭をマッサージ。
いつのまにか、何も、考えられなくなって、ただただ、頭を両手で包んで深呼吸だけしていたら、本当に不安が取れて静かになった。。。

【一瞬は永遠!!】

ふっと、ひらめいた!

あの子の一瞬は永遠だったのだ、

私は無意識のうちにシャワーーの蛇口をあけて、温水を盆の窪にためながら
ゆっくりと泡を流していった。

最高に輝いた!永遠と同等に!

体内記憶を持つ子どもたちの証言によれば、ママのおなかの中だけで、産まれなかった子も最高に幸せだったんだって。とある友達が言ってったっけ。。。
体験したことが最高なんだって。私はその子の魂に選ばれたんだって。
その子も私も、現実は同じ。解釈が違うだけなんだって。。。

あの子は幸せを感じて一泊二日くらいの旅を終えた。
一瞬この世に宿って、永遠の世界へ帰った。

私はつきものが落ちたように、腑に落ちた。
ありがとう。
私を選んでくれて。
あなたに叱られないように、うつむかないで、ママは元気に暮らすよ!!

シャンプーのシトラスな香りが気分いい。
シャワーと一緒に涙も流した。

身代わりになった金魚ちゃんも、永遠になって輝いているんだよね。
ありがとう。

空を見上げて、私は生きるよ。

私が私をのぞく金魚鉢 美文














































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