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病気がわかったひとに寄り添うということ。

大前提が通じない、家族間の価値観のちがいを知ったのはある意味恐怖でした。何を話しても理解が進まない、弟とだけ安心して話ができる。

手術を受けるのはわたし自身なのだから。なのに父も母も標準治療を受け入れてくれない。そう言うと、あんただってこのサプリを受け入れないじゃないの、と、話は堂々めぐりでヒートアップしていきました。

母のトラウマ

どうしても母の言うサプリメントを受け入れられず(だって胡散臭い!)、それでも母の気持ちの溜飲が下がるのなら、と、手術を受ける病院での再検査のときまでという約束でサプリメントを飲んでみました。でも、効くはずがないんですよね。医学的に認められていないものですし、そもそもわたし自身が「効かない」と思って飲んでいるのですもの。

一月後の再検査でもポリポーシスはもちろん存在し、当然のように西洋医学の標準治療へと進んでいきます。しかしそこで母は「もっと真剣に“効く”と思って飲まないからやん」と言います。ここまでくると、母はスピリチュアル的な方法で治そうとしているのだろうかと、気持ちの悪い違和感をともなう疑問が湧きました。効くと盲目的に信じて飲めば治る、ということなら、臨床試験をパスした医薬品などいらなくなるし、そのサプリメントでなくとも、ただの水でさえ病気をなくすことができてしまうではないか。しかも、それは効かないだろうと1ミリでも思ってしまったわたしには、何か月飲もうとも効くことはないということではないか。

母の考えを推測すると、“効く”と100%信じてサプリメントを飲んで病気を“消滅させる”ということだったように思います。

「効くわけないやん。でもそれで貴方の気持ちが済むと思ったから飲んだんやろ」とおもわず言いました。「お母さんは手術して、こうして生きてるやん」「手術しなかったおばちゃんは亡くなって、手術したお母さんは生きてる」「だからわたしは手術をするねん」と。するとどうでしょう、顔を真っ赤にした母が震える体を抑えながら、「あたしがどんな気持ちで生きてきたと思ってるの!!」と叫びました。

わたしはその言葉を聞いたとき、あぁ母はずっと自身の手術のことや手術後の身体と充分に向き合いきれていないのだ、消化しきれていないのだなと感じました。話せる相手がいなかったのか、苦しかったことなどを自分の経験としてプラスにしてこれなかったのだな、と。それゆえに、おなじ状況にある娘に寄り添う励ましのことばをかけることなどできず、じぶんのことで精いっぱいだったのだなと改めて感じたわけです。

父のトラウマ

本庶佑(ほんじょ たすく)さんの研究のような、最先端医療で治してくれへんのかな。そう言ったのは父でした。
父は病院に付き添ってくれるたびに、「妻が当時はこんな手術を受けて、ごにょごにょ」と言っては「娘さんに手術を受けてほしくないんですねぇ」と看護師さんになだめられ、「いま現在でも切る(手術する)以外に方法がないってことやろ」と言っては医師を困らせ、結局のところわたしに何を選択させたいのかもわからないまま、なぜか一触即発の日々がつづきました。

これもまた、娘を特別な患者として扱ってほしいという父親の気持ちの裏返しだったのでしょうが、表へ出てくる言葉は自分が妻のどんな様子を見てきてどれだけ不安だったかの吐露にすぎませんでした。こんな風にしか言えないわたしのことを親不孝な娘だと思われるかもしれませんが、やはり当事者としてパニックで泣きたかったのはわたしです。ほんとうに妻のことを25年案じつづけ助けてきていたのなら、そのノウハウを娘にも教えてくれることもできたろうに。

父としても、母に手術を受けさせてしまったことや母にしてやれなかったことの、後悔や無力感があったのかもしれません。

病気に直面するとき

そりゃあ、わかっていますとも。40年ほども付き合ってきた親ですもの。言うてることの奥の奥の、奥の方~の、奥底には、娘の身体をどうにか傷つけない方法を、そして術後の生活で苦しい思いをさせない方法を、病気をまったくのゼロに消す方法を、と思っていたには違いありません。

だけれど、いま、手術をするのかしなければどうなるのかで不安を感じているのは、父でもなく母でもなく、娘であるということ。わたし自身は、このGAPPSという病気を放置しておいたらどのくらいのスピードで癌化してしまうんだろう、ということにいちばん恐怖を感じていました。もしかしたらすでにいくつも癌化しているのではないか?だって密生しているポリープのすべての細胞を採取して生検に出したわけではないですから、見落としがあるかもしれない・・・。

そんな不安に寄り添ってくれるわけでもなく、わたしの気持ちはずっと置き去りでした。父と母は、外野のどこか遠いところで、おのおのの感情に取り込まれていたなぁと回想しています。相手の気持ちを汲むことやじぶんの気持ちを表現することの苦手な二人を遠巻きに見守り、わたしは子どもの頃から感じていた孤独感とともに、じぶんの身体と精神状態をじぶんで守るために「手術に対する怖さを乗りこえ手術を受ける覚悟を決める」しかなかったのです。

何に不安を感じどんな励ましや後押しがほしいのか、どんな情報が有益なのか、そういうことを大きな視野でみてもらえる両親であれば、この治療へ進むまでの道のりはもっとおだやかであったのにと思えてなりません。

あなたの近しいひとにも、病気に直面するときが来るかもしれません。そんなときは、じぶんのパニックをコントロールして、まずはその人の気持ちを知り、寄り添ってあげることから考えてみてください。そうして、病気を100%治すということを目的としないでください。人間の身体に起きる病気は、白黒つけられるゼロか百かの問題ではないのではないかと感じています。治療とは病気を消滅させるということではない。病気が見つかっても、日常生活への影響を最小限に抑えること、そしてその人の人生を最大限生きることが、わたしたちの目指すべき場所なのではとわたしは思います。





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