初稿の連載小説「もっと遠くへ」3-2
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煙草の先端の燃える箇所をただただ眺めながらいましたら、
「いや、何か用があるんかも知れんから、一応聞いとこ思て」
亮介が続けます。僕は、なんと答えればいいのか分からず、とりあえず黙っていましたら、
「時間あるなら、これから一緒に飲みに行かへん?いいとこ知ってるから。もし、あれやったら無理にとは言わんけど、あんまし乗り気じゃない?それともなんか用あった?」
不思議なもので、こちらが黙っていれば、言葉が次から次へと出てくる男でしたので、
「いや、帰っても特にやることはないです」
と、答えました。
「じゃあ、行こや」
煙草の火を矢印代わりに、道を指し、言われた通り、後ろを付いて行きました。亮介は生まれも育ちも関西の人間で、東京に来て一年とちょっとが経っていましたが、地元の言葉を大切にしているようで、標準語を少しも話しません。
そんな亮介とは反対に、僕には愛国心というものは少しもありませんでしたので、数カ月ですっかり、東京の言葉に慣れてしまい、関東の人間と間違われるほどでした。
僕たちは、駅の反対側にある、亮介行きつけの店に入りました。
朝方まで営業しているというその店は、僕ら若者世代のたまり場になっていて、ここで皆、週末には朝を迎えるのだと、亮介が教えてくれました。
初めは麦酒で乾杯して、つまみに枝豆と冷奴、それからとん平焼きを注文しました。それらは全て亮介が頼んでくれた物で、
「これ、食べれる?」
と、都度、僕に確認をとってくれていたのですが、それが面倒になったのか、
「逆に嫌いなもんは?どうしてもこれだけは食われへんって物」
と、あたかも名案でも浮かんだかのように聞いてきました。正直、嫌いな物はたくさんありましたし、お金を払うなら、尚のこと、注文なんかしません。ですが、好き嫌いがある人間を正義とは思っていなかったので、どう答えるのが正解なのか分からず、
「嫌いって物は特にはないです。なんでも食べます、ゲテモノ以外なら」
と答えました。
ゲテモノが亮介のツボを刺激したのか、しばらく一人でケラケラと肩を震わせながら笑っていましたが、一呼吸置いて、「はあ」と、参った顔で、
「嫌いなものがないのはいいことや」
と、感心していました。僕のことをよく出来た人間だと褒め、それはきっと立派な両親に育ててもらったのだろうと、持論を展開し、不衛生なメニュー表を眺めながら、
「偉いな、お前は。うん、偉いよ、俺なんか嫌いな物ばっかりや」
と、よりによって僕の苦手な茄子の揚げびたしを注文していました。くたくたになった茄子の上で風に煽られる鰹節を見ていると、子供の頃、新喜劇が始まる前に流れていた、大きめな赤ちゃんが野菜たちと踊るコマーシャルのことを思い出し、懐かしく思うのでした。
後に分かった事なんですが、亮介も茄子は好きではなかったようで、好き嫌いがない僕に対して(実際はそうではない)、僅かばかりの抵抗といいますか、茄子を食べる自分を少しばかり大人に見せたかったようです。その話を聞かされた時は、二人して腹を抱えて笑いました。
「そんなん、もっと早く言ってくれよ、俺が阿呆みたいやん」
「あの時は、てっきり好きとばかり思ってたので」
「いやー、あれはきつかったわ、あん時の茄子は、親父の脱ぎたての靴下よりも、おかんのブラジャーよりもくたくたやったしな、茄子も可哀想やん」
嫌いな茄子を男二人がやせ我慢をして食べ、五百円を払う。あの時の五百円に何の意味があり、どのような価値があったのだろう、と思う。
だが、一つだけ確かな事があるとすれば、あの頃の僕たちにとって、ポテトフライや、唐揚げがどうも邪道に見えて仕方なかったのだと思う。大人になりたかったのだと思う。
僕たちは五百円とやせ我慢を代償に、ほんの少しだけ大人になる事が出来たのかもしれない。
「勉強代と思ったら五百円なんて安っすいやろ」
亮介ほど、楽観的という言葉が似合う人間を僕は見たことがありませんでした。もしかすると、何も考えていなかったのかもしれませんし、全てを諦めていたのかもしれませんが、それは僕にはわかりません。
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続きは9月4日(月)です。
お待ちください。