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現実には決して到達しない完璧な美の世界(マメールロア)

つれづれ音楽雑感 第30回


子供向けのピアノ連弾の体で作曲されたこの曲は
大人向けの感じがします。
シューマンの子供の領分にも通じるような

子供も楽しめるかもと思えるのは
3番目の
第3曲 パゴダの女王レドロネット
かもしれません

この曲には思い出が
娘がピアノ教室に通い始めの頃の発表会で
先生方がこの曲を弾きました。

スイスの時計職人
とも評された彼の真骨頂が発揮されたような
快活で華やかでエスニックな曲です。

当時のパリは非常にコスモポリタンな雰囲気の街だったように思います。
世界中の芸術家が集まったのは勿論、政治亡命の革命家さえ
  ※鄧小平は1920年に、藤田嗣治は1913年留学
文化相対主義とか自由とか
進歩主義的な空気に溢れていたのではないでしょうか

ラベルの母はスペインのバスク地方の出身ですが
バスク語は孤立した言語で、他のインドヨーロッパ語の系統ではありません
ヨーロッパにあっても非常に独自の文化を持ち
母からの間接的にしろ
基本的な音楽観に強く影響を与えたはずです。

「作曲家は創作に際して個人と国民意識、つまり民族性の両方を意識する必要がある」との言葉が伝えられています。

私が最初にマメールロアで好きになったのは、それより前

第5曲 妖精の園 です。

私は勝手に
この曲にラベルの本質が立ち現れるように感じます。

現実には決して到達しえない完璧な美の世界 

それが妖精の国の隠喩ではないでしょうか

実は初めてこの曲を知ったのは管弦楽組曲版です。
もちろん管弦楽の魔術師の鮮やかなオーケストレーションも素敵だったけど

この曲はどこか人間の悲しいい宿命も表現していると感じさせる

彼は完璧主義者でした。

「私の曲は解釈するには及ばぬ」と
事細かに楽譜に指示してあるらしい。

だから作為の権化のような気がしてくるが・・・

ラベルのどの曲にも感じるけど
やはり、作為を超えて音楽の美が立ち現れるのが素晴らしい

それは、彼も自覚していたようで
次のような言葉が伝わっている。

「それにしても、人々は私が「自然に人工的」であるということを理解できないのだろうか?」

むしろ、自分の作為を超えて美しい音楽が立ち現れるのを信じていたはず
勝手に、バッハに重ねてしまう。

これも勝手だけど
劣等感こそ、あくなき音楽美の追求に彼を追い立てたと思う

”軍隊に志願したが不合格になった。” (体重が満たない)
”低身長をプロポーズした女性に笑われた” とかのエピソードも
生涯独身だったけど、彼は非常にオシャレで化粧さえしていたらしい

でも、彼は母の愛に包まれた幸福な子供時代を過ごした。

でも、どんなに美しくても
二度と戻れない世界
それでも、彼はそれを追い求めることをやめることが出来なかった。

非常に精緻な書法は彼なりの武装かもしれないけど
もはやここでは、どんな武装も一瞬で霧散してしまう。

束の間の、
幸福だけに満たされた
完璧な美しい世界

でも、あっけなく消える運命だけど

黄昏の季節に生きていると感じる年寄りには
やけに染みる世界です。



初めての方におすすめ



一番好きな終曲



初めて聞いたのは管弦楽組曲版


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