変人は変人
わたしには常識がないらしい。
以前、長男の保育園入園時に必要な資料を市役所へ提出しにいったとき、紙ぺら一枚ぺらりとされて、
「ここに家族構成を書いてください」
と言われた。
看護師時代、患者様の家族構成は何十回と書いた。
それならおまかせを!と、ペンをとる。
夫の四角と、わたしの丸を線で繋ぐ。その線の中心からまた線を書いて、長男と次男を書く、まではいい。
猫は・・・猫はどこに書いたらいいのだろう。
とりあえず四人の横に、当時我が家にいたりりとしろの名前を書いた。
市役所のお姉さんが
「えっと・・・りりさんと、しろさんはおじいさんとおばあさんですか?」
「いえ、猫です」
「ね、猫?」
「はい、猫です。どっちもオスなので四角でかきました。」
「あ、違います。猫はかかなくていいです」
「猫はかかなくていい!?」
「猫はかかなくていいです」
「ネコハカカナクテイイ」
「はい」
「同居しててもですか?」
「はい、同居しててもです。」
「ドウキョシテテモ」
「はい」
「猫も家族なのに」
「猫は家族とは見なされません」
ネコハカゾクトハミナサレナイ・・・。
我が家の猫たちは焼いた赤魚もあじも食卓に乗せた瞬間にひったくっていくので、人間は残った漬物や納豆で食事を終える。
貴重な生シラスを手に入れた時も、ぽんたがわたしの分も全部食べたので、わたしは白飯に醤油と生姜をのせて食べた。
シラス丼シラス抜きでお待ちの方〜!
我が家の猫は人間よりもいい生活をしているのに、それでも家族とみなされないならわたしたちは一体なんなんだ。
・・・わたしはりりとしろを二重線で消し、訂正印を押した。
と、以上のことから、わたしは常識がないらしい。
『らしい』と言ったのは、わたしに自覚がないから。
昔から、変人変態だと言われてきたけど自分のことを変だと思ったことは一度もない。本当にない。一度たりとも無い。
話は変わるが、最近、敏腕経営者やトップアスリートは親がすごい!みたいな本を読んだ。彼らの両親は頭ごなしに叱ったり、叩いたり、気分でキレたりなんてことはせず、褒め、話し合い、尊重し、子どもを一人の人間として対等に扱うそうだ。
はー。やっぱり親の影響ってあるなあ・・・。
感心するわたしは一つの仮説にたどり着いた。
わたしが変だというのも、親ゆずりじゃなかろうか?
遡ることウン十年、わたしがまだ小学生の頃、父・トヨトミはいつもパンツ一丁で過ごしていた。わたしはそれが世の父の当たり前だと思っていたのだが、ある日遊びにきたカヤちゃんが
「りりまるちゃんのお父さん、パンツで恥ずかしい!」
と言ったのを聞いて
世のお父さんは家の中でも服を着てるのか?あれ?トヨトミって変なのか?
と少し、気づき始めた。
182センチと長身のおっさんにもかかわらず、出かける時はわたしのお下がりのキティちゃんの巾着をカバンがわりに持っていくことも、飲みに出たら知らん人を何人も連れて帰って家で飲み直すことも、小学校の運動会の親対抗綱引きでは最後尾で綱を体にぐるぐる巻きつけて引っ張ることも、変かもしれないトヨトミについて思い当たる節はいくつかあった。
トヨトミの母、ロミコだって変だ。
地元の名士の家に生まれたロミコは、呉服屋を営む母と通訳をしていた父のもとで何不自由なく育ったらしい。
欲しいものはなんでも与えられ、ロミコの実家にはマッカーサーとロミコの祖母とのツーショット写真が飾られていた。
そんなロミコは、たまたま通り過ぎた粗末な藁葺き屋根の家に一人暮らしをしていたおばあちゃんを見て、助けてあげたい!と嫁入りしたそうだ。
そこにじいちゃんも転がり込んできて、今のわたしの実家になった。
ロミコがお金持ちのままでいてくれたなら・・・わたしたちはもっといい生活ができたのに・・・。
ロミコにそう言うと
「人に後ろ指さされんで、人の悪口言わん人生はお金より大事やぞ」
と言われた。
やっぱりトヨトミもロミコも変だし、なんなら母方の両親も親戚も変な人が多い。
書けば長くなるのでこの辺でやめておくが、やっぱりわたしが変なのは親譲りやと思う。
だけどトヨトミも、ロミコも常識はある。
二人とも新しいことを覚えると必ずメモをとっている。
変人は変人なりに、努力している。
ならばわたしも、メモをとろう!
ノートを買って、メモを取れば常識だって覚えられる!
新しく買う前に古いノートがなかったか、と部屋を見ると転がっていた数冊のノートたち。
めくると2、3ページは何やらメモがとってある。
・葬式は香典、祝電じゃない。
・大安はいい日。
・ほこりはなんでねずみ色?
・さつまいもは薩摩芋。薩摩で栽培。
認めたくはないが、確かに変人が書きそうな、なんの役にも立たないことばかり書かれていた。
わたしはそっとノートを閉じた。
ほこりって、なんでねずみ色なんですか