Weep for me
二年間の深くて暗き井戸の底生活の話をしようと思う。
夫を亡くした最初の半年は妙に元気だった。
今から思えば、喪主ハイという感じだ。
相続や、葬式や、挨拶回りとやることは沢山あり未亡人としての仕事をこなしていたが、その実、酒に溺れていた。
酒好きは夫の生前からだったので周りにはあまり気にされていなかったけれどかなりの飲酒量だった。
夫は、日ごろから飲食業の方たちをリスペクトしており、居酒屋からグランメゾンまで何処の店でも大事なお客として扱われていたので、お酒が好きだった彼のためにバーやレストランから弔い酒がこれでもかと届き続け、私はその酒を飲み続けた。
だが、その酒による弔い合戦は、私にとり無残な負け戦だった。
昨日今日の酒飲みのわたしではない。碌なことにならないと分かっていた通りに、井戸の底に降りきる前の半年間で、敗者であり廃者になり果てた。
その半年で、微かな、そして明らかな違和感は幾たびも感じていた。
その象徴的な現象を一つ上げると、以前は一切見ていなかったテレビでお笑い番組を見始めた。
以前なら、くだらないものとしていたプログラムを酒を飲みながら見続けげらげらと笑っていた。その姿こそ、私が嫌いな見苦しいとする姿だった筈なのに。
今ならその理由が分かる。
赤ちゃんを、父親や母親ややさしく近しい大好きな人たちが抱きあげようとすると、彼ら彼女らは反射的に満面の無邪気な笑みを見せる。
その姿を見て、赤ちゃんが笑うのは面白いからではなく幸せだから笑うのだと気づき、 この子は今幸せなんだろうなとふと思ったのだ。
人間とは、幸せだと笑うのが本能なのだ。そして、こう思った。
赤子は、お笑い番組では笑わない。
私にはやさしく抱き寄せてくれた夫はもうこの世にはおらず不幸で、あの頃の私は強制的にでも笑うことを本能で求めていたのだなと。
今ではテレビを見ることはほぼ無いが、お笑い芸人たちがテレビで権勢を誇っているのは知っている。彼らがこれほどまでに必要とされるのは、日本の生活者たちが激しく笑いという癒しを求めるほど、激しく生活がしんどいのだと思う。
かつての私のように。
不景気になればなるほどアルゼンチンタンゴが流行る、という話を聞いたとき、そんな風が吹けば桶屋が儲かるみたいな話と笑ったけれど、かの国の当時の貧困や治安の悪さを思い起こせば、メデジン・カルテルから仕入れる違法麻薬と同じく、男女の性行為を連想させる情熱的な踊りは落ち込む気分を高揚させてくれる合法麻薬であったのだろう。
お笑いも、アルゼンチンタンゴも、苦しい時代に洗練されるというのは事実だと確信に近く思っている。
綺麗な字を書くことに自信があったのに、何故か書きなぐった雑な文字しか書けなくなったし、鬱の兆候として水のことが出来なくなると聞いていたが、本当に風呂、料理、掃除がおろそかになり始めた。
面白いように心も身体も思考もしぼんでいく。
そして、送られてくる高級な酒がなくなると、酒屋に安酒を注文した。
酔えるのなら、何だって良かった。
今の私なら絶対に頼まない酒であり、そんな戦後のカストリ酒みたいな酒がネットで気軽に注文できる便利さと恐ろしさを天秤にかけ前者を選び取った。それこそがアル中の思考と行動だ。
安酒の悪酔いは、より一層私を蝕んだ。
パチンコは合法でなぜ闇カジノは違法なのか。
ソープランドは合法でなぜ立ちんぼは違法なのか。
そして、同じく体と心を蝕むはずなのに、酒は合法でなぜ麻薬は違法なのか。
それは税金を払っているかどうかで決まるのだ。
国が潤うことなら政府は何であっても許可証に判を押す。
プッシャーが確定申告した話は古今東西一度も聞いたことが無い。
飲料会社は莫大な税金を払い、それゆえ許可された酒という麻薬を私は体内に入れ続けた。
そんな日が続き一年過ぎる頃に、ああ、今日は死ぬのに最高な日だと感じた最悪な日があった。
平井堅のノンフィクションという曲にこんな歌詞がある。
「惰性で見てたテレビ消すみたいに 生きることを時々やめたくなる」
正にそんな感じだった。
体の強い人もいるのだから、心の弱い人もいるだろう。正直なところ、以前は、自殺する人のことをそう思っていた節がある。
だけれど違っていた。
さて、どうやってこの世とおさらばしようかな?
とりあえず、Amazonで私の世代でベストセラーになった「完全自殺マニュアルガイド」を注文したら、なんと今でも隠れたベストセラーだった。
一読すると、首括りがいちばん推されている。
そこで、ネットで調べると、確実に逝けるという荷物用のあるブランドの縄が推されており、それもAmazonで注文した。
そうしたら、Amazonから「心がしんどい時へ」というメッセージが届いた。
流石世界一のグローバル企業だ。
この本を買いこのロープを買う人、というタイプを把握し、ちゃんとAIが判断し心配してくれるのだ。
この定番のパターンで逝っちゃう人たちすごく多いんだな、私もその一人なんだなと思うと思うととても笑えた。
その乾いた己の久しぶりの笑い声で我に返り、うん、まあ、今日じゃなくてもいいかと思い、最期の酒と残していたロマネコンティを飲み、最期の煙と残していたコイーバを吸った。
井戸の底では、ずっと死ぬことを考えていた。そして、死んだ後のことを考えていた。
ワタシノタメニナイテクレ…
壊れたレコードが回り続けるように、繰り返し繰り返しそう祈っていた。
夫のために私が泣き続けたように。
私は街の書店で本を買うのが好きで、何でもかんでもAmazonでは買わないようにしていたが、今では恩義に思い、何でもかんでもAmazonで注文している。
いや~、一度ハマるとなかなか抜けられないわ、Amazon生活は。
私が、死への誘惑にハマってなかなか抜けられなかったように。