浅草暮らし
私の人生で、浅草の家に住むことになるとは想像だにしなかった。
夫が麻布の家から千葉にある病院へ通勤で車で通うたびに、気になっているマンションが建っているよとよく話題にしていた。
駅近というより、駅の上にマンションが建っている、雷門からも徒歩5分、デパ地下も庶民的なスーパーも歩いて10分圏内、お向かいにはコンビニ、老舗から新しい店まで沢山あるよ、寄席もあれば浅草公会堂も歩いて行ける、浅草寺の庭園解放はこんな都会の真ん中にこんな広大な庭がとびっくりするよ、ジャズバーも沢山あるよ、君の好きな銀座も、羽田へも成田へも電車で一本…
次々と浅草でマンションを買う言い訳を数え上げる。
こんなに便利なマンション、もう売れてしまったよねとがっくりしている主人に、一応申し込んでみれば?と伝えたら、ローンの審査で落ちた方がいて、東向きの墨田川を見渡す角部屋を買うことができた。
しばらくは、やはり麻布で暮らすことが多かったけれど、だんだんと浅草の小さなマンションで暮らすことが多くなった。
それ以来、私と主人は秘密基地みたいな浅草暮らしを満喫していた。
麻布で私が遅めに目を覚ますと、主人は、浅草に行ってきますと置手紙をして、既に朝からやっている食堂で一杯ひっかけていたりする。
朝から呑める居酒屋さんがあるの?と尋ねたら、それがあるんだよ、浅草界隈には何件もと、満面の笑みである。
関西生まれの私からしたら、東京の右半分は未知の世界であったけれど、こんなに暮らしやすい街は初めてだと驚いた。
家のすぐ裏やタクシー1メーター圏内に、グランメゾンが2軒ある。
かと思えば、老舗の美味しい居酒屋や蕎麦屋も歩いて行ける。
びっくりするぐらいお高いバーもあれば、庶民的なバーも沢山ある。
街自体が、暮らしを助けてくれる。
そんな浅草大好きな主人が亡くなり、私は、今、彼のことを偲びほとんどの時間を浅草で暮らしている。
20畳足らずの部屋を、お茶室みたいに簡素に暮らしている。
ああ、何て美しい部屋なんだろうと自分を慰める。
香月康男の絵をリビング兼ダイニングに飾り、寝室にあたる部分には良寛の書を掛けている。
デンマークの古い家具や桃山時代の器。小さなキッチンで作るお酒のおつまみ。平安時代の元興寺仏、時代の分からないぐらい古いチベットの托鉢器を香炉に見立てる。
不思議な調和を見せるこの部屋がとても好きだ。
唯一欠けているのは、この部屋の主であった夫だけ。
ミニマリストの部屋は味気なくて嫌いだけれど、一見簡素に見える人には見えるであろうこのお茶室のような豊かな部屋が、私の小宇宙である。
朝の明るい陽光が射すと、ああ、またこの部屋で浅草暮らしが始まると不思議な気がする。
毎朝、遠くに流れ着いたなと思う。
そこから主人のいない部屋で一日を暮らし、夕暮れ、一人ぼっちの明日が来ませんようにと願いながら眠りにつく。
きっと、私がこの世を去るにはまだ早いのだろう。
毎朝、目が覚めるたび、失った人のことを思いながら新しい一日が始まる。
明日もまた。