ゆっこさん

主人が15年ぐらい前に友人になったユキコさんという、とても魅力的な浅草っ子の女性がいた。

青山の行きつけのバーでユキコさんのご主人と知り合い、友人関係が始まり自然と奥様のユキコさんとも仲良くなったそうだ。

ユキコさんは、見かけは派手好みの普通の50代の女性だったけれど、主人と暮らす麻布の家にいらしたときに、驚いたことがある。
家に飾っていた、香月泰男や熊谷守一の絵の作家名を言い当て、直ぐに反応されたのだ。
それらの絵画は地味だけれども味わい深い絵で、派手好みのユキコさんが好むタイプのものではなかった。
しかし、私の父のコレクションしていたものと、この家の絵は似ているととても懐かしそうに言われた。

浅草の情報通のバーテンダーによると、ユキコさんの実家は浅草でとても裕福な家だったそうだ。
お父様の審美眼にも驚嘆した。
ユキコさんの父親が人生の最期に買った絵画は熊谷守一の母子像のデッサンだった。

私が主人を通してユキコさんと友達になったときは、もう、ご実家は随分前に廃業し普通のOLをされていた。旦那さまは、昔ちょっと名を鳴らしたアートディレクターで、自慢話の好きな人だった。けれどその業界の第一線で働き続けるのはなかなか難しく、ユキコさんはコールセンターで働きサポートしていたが、結局、ご主人がアートディレクターの仕事を辞めたことをきっかけに離婚された。

私たち夫婦は、ユキコさんのことを愛情をこめてユッコさんと呼んでいた。

ユッコさんの家と私たちの浅草の家は近所で、生活圏内が同じなのでよく遭遇した。いつも明るく、派手で、豊かな胸の谷間をチラ見せするファッションを好み、スーパーなどでたまたま出会うと、次、飲みに行きましょうね!と約束するのが常だった。

ユッコさんはお酒が大好きな人だったが、新しい年下の彼氏はお酒が一滴も飲めない人なので、約束のバーには一人で現れて、主人と私とユッコさんで飲んでいた。

それほど仲良くしていたのに私たち夫婦はユッコさんが亡くなっていたことを知らなかった。

なぜなら、主人が病気で歩けなくなり、浅草の人と会ったり飲みに行くことが全く無くなっていたからだ。
いつも3人で飲んでいたバーのバーテンダーの話によると、もう5年以上前からがんを宣告されていて、身内の人にしか告白しておらず、お酒が一滴も飲めない彼氏がバーに入って来たとき、ユッコさんが亡くなったという報告だと直ぐにわかったそうだ。
主人より20歳若かったユッコさんは、結局、主人より前に亡くなっていた。

不思議な体験をしたことがある。主人のかかりつけの病院へタクシーで行くときはいつも通りを挟んだユッコさんのマンションの前を通るのだが、ある通院の日、ユッコさんのマンション無くなっているねと彼が言う。そんなことはなく、ちゃんとマンションはあるのに、主人がそういうので、変なの!という会話を交わしたことがある。
あのとき、ユッコさんはもうこの世にはいなかったことを考えると、それから程なくして亡くなった主人の別れの挨拶だったような気もする。

レイバンのティアドロップのサングラスが似合っていたユッコさん。

近所のスーパーでも、ひときわ素敵に目立ってましたよ。




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