当たり前じゃないですか

毎日毎日、ご飯を食べて、掃除して、洗濯して、お風呂に入って、ゴミ出しして、税金を払って、健康保険料を払って…
エアコンが壊れて付け替えに来てもらったり、定期的に契約している換気扇のクリーニングの人もやって来る。

引きこもりの生活の私ですらやることは多い。

そういうことが、全てめんどくさくなった。
何もしたくない、何も考えたくない、誰とも会いたくない。

そんなある日、たまたま気分が優れているときに遊びに来てくれた年配の友人に、死ぬ最期の一日まで生活は続くってしんどいですよねと何気なく呟いたら、

当たり前じゃないですかと言われた。

軽く言われた。

当たり前のことが当たり前に出来なくなっていた私には、天啓のようにその言葉が響いた。

そうですよね、当たり前ですよね、現代で生きるとはそういうことですよね、煩わしいことの連続ですよね、それが限界になったとき、人は突発的に、そして緩慢的に死を選ぶのですよねと思った。

146万人

国が発表している現在の引きこもりの人数である。
引きこもりは気もちいい。
繭の中にくるまれているようである。

「己とともに暮らしたい
天に負うたる幸福を楽しみ
誰にも見られずただ独り
愛からも妬みからも
憎しみ、希望、不安からも解き放たれて」

スペインの詩人、ルイス・デ・レオンの詩の一節である。
今の私の心境そのままである。夫を亡くし、生きる気力を失くしている私にはとても心に響く詩だ。
家に閉じこもりながら、家事をしながら、知らず知らずこの一節を暗唱しているときがある。

先日、叔母が亡くなった。
93歳の大往生であるが、波乱万丈とも実直な人生とも言える人生だった。
地方の素封家の庄屋の家で生まれ何不自由なく育ったが、親が無理やり決めた結婚相手が嫌で嫌で受け入れられず、嫁ぎ先では、夫との性行為がどうしても嫌で、夜寝る前に両足を縄で括って寝ていたそうだ。
そして、とうとう着の身着のまま嫁ぎ先から逃げ出した。
海辺の街へたどり着き、海産業の会社に職を得て、叔母より少し前に亡くなった叔父と出会い結婚した。
つまやかな生活ながらも、二人の子を医者に育て上げた。
ところがである。
その医者に育て上げた子供たちは、見栄えのしない両親を公の場所に呼ぶことはなく、顧みることも少なかった。
子どもは立派に育ったが、そのことに頼ることなく、夫婦二人でコツコツと働き続け、結構な財産を遺した。もちろん、その財産は、二人の子供たちに分配された。
叔母の唯一の趣味は短歌で、時々新聞に取り上げられるのが彼女の心の拠り所だった。
遠く離れた場所に住む叔母の名前を新聞で見つけると、他人からはただの老女に見える、心の深いところにある言葉に驚いた。
彼女の人生を思うと、私は何と甘えた人生を送っているのかと思う。
叔母に、辛い人生でしたか、楽しい人生でしたかと今になって問いたい。

当たり前じゃない、楽しい人生だったわよと答えて欲しい。





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