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研究書評(インターネットとメディアの変容)



研究書評(0427)

今回取り上げる文献

横田明美(2019)「効率性や経済合理性を「ほどほどに」統御するための公法学 ― 山本龍彦(編著)『AIと憲法』に寄せて」『自治総研通巻』487号
URL:

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jichisoken/45/487/45_69/_pdf/-char/ja

最終閲覧:2023年4月26日


内容総括・選択理由

本文献は山本龍彦(編)(2018)「AIと憲法」、日本経済新聞社の議論をもとに、AIの効率性や経済合理性を「ほどほど」に制御するため、憲法についての考察を行なったものである。

先週での書評では、人々の重大な意思決定に際したAIによる補助に関する文献を取り扱ったが、その流れとして、本稿ではAIによる政策立案を視野に入れた文献を取り扱うこととした。

また、今週のThe Guardian書評における「AIは大統領になれるか?」という問いに触発されたこともあいまり、研究テーマを方向転換を検討している。

AIによる政策立案は、おそらく合理性の限界を追求する上で1つのアプローチの一つであるし、実際にそういった流れは出現し始めている。それらが人智を超えた際に、我々はどのように政治と関わればいいのか、という漠然とした視点を得た。

内容(主に政策立案に関する記述に注目する)

AIの予測力は驚異的であり、その成長を見ても、特筆すべきものである。現在は地方議員の人手不足や社会全体の人手不足から、AIを利用することで、効率化を図ることが期待されている。

AIが人間より遥かに優れた政策立案を行い、遥かに優れた決定を行うことができるのであれば、どのように社会は変容するのだろうか。実際にA Iを大統領にする、「ロボット大統領」構想であったり、多摩市長選において議事録をAIに読み込ませ、AIの政治活用を試みた「松田みちひと」候補等、事例は確実に出現し始めている。

このような状況下において危惧されることの一つが政治家の役割の後退である。遥かに人間より優秀な主体によって政治が運営されるのであれば、AI活用に関してもより多くの議論が必要となると言える。

AIが政治を行う問題点としては、意思決定のブラックボックス化が起こるということである。例えば、人間の因果推論が困難になると、それらを実際に政治に反映させる際に障壁が生じうる。本文献では、「ラブホテル件数」が「女性のボーナス額」と正の相関があるとAIが断定したという事例を挙げており、因果推論の点で人間の存在は必要であるとしている。

総括

今までのテーマとは大きく異なり、マクロな視点であった。AIの問題は、今ままで掲げていたフィルターバブルや偽情報のどちらにも関わる問題であった。資本主義の出現により大きく変容した政治体系がさらなる変容を起こすのであれば、AIによるものであろう。しかし、研究テーマとしては若干の取扱ずらさがあるため、AIの政策立案に関するモデルケースの考察等を視野に入れることも検討したい。
迷走中

みなさんこんにちは。以下ではゼミで取り扱う研究書評を紹介させていただきます。今回は"Vom Gatekeeping zum Gatewatching"(ゲートキーピングからゲートウォッチングへ)という論文を取り上げて、書評を行います。

研究書評(0518)

今回取り上げる文献

Bruns,A.(2009).
Vom Gatekeeping zum Gatewatching Modelle der journalistischen Vermittlung im Internet: Profession–Partizipation–Technisierung, 107-128.
URL:https://snurb.info/files/2008_DFG_Vom%20Gatekeeping%20zum%20Gatewatching_preprint.pdf

最終閲覧:2023年5月15日

内容総括・選択理由

5月11日の研究発表において取り上げたように、本研究ではゲートキーパーのフレームワークを用いて、プラットフォーム事業者、ひいては新たな情報仲介者の分析を行うことを試みる。文献の横断的分析において、ゲートキーパーのフレームワークが多様であり、医療や家庭といった多分野に応用可能であるという所感を持った。定義が非常に流動的であるゲートキーピングの、メディア・インターネット分野における適切なニュアンスを理解する意図で、発表内で紹介したhelbergerと同様、インターネットメディアにおけるゲートキーパーを考察した本文献を取り上げた。(余談であるが、Brunsはドイツ、helbergeはオランダといったように、インターネットとゲートキーパーを絡めて研究したものは、ヨーロッパにおいて盛んなように思う)
本文献は2009年に執筆されており、つまりはインターネット黎明期におけるメデイアとしての側面を探ることができる。メディアとしてのインターネットに当時のユーザが期待を寄せていた要素や、黎明期において重視された理論的枠組みを把握する意図で本文献をピックアップした。

内容(特にインターネットにおけるゲートキーピングの記述に注目する)

メディアの形態がインターネットになったといって、従来メディアが持っていた2つのゲートキーピングの段階イングレスステージとエグレスステージは依然として重要性を持っている。入力、出力、レビューという一連の流れの中で、例えば、情報が完全に文脈を持った形でユーザに届く出力段階はインターネットのメディアにおいても同様に見ることができる。
一方で、入力段階は従来のメディアは大きく異なると言える。インターネットでは一般ユーザが各々情報を発信することができる。従来メディアにおいて、ゲートキーパーが厳格に情報の漏洩を防いでいたものが、インターネットでは機能をすることが困難となる。従来メディア、例えば新聞やラジオにおいて、諜報機関などが守っていた三つの門「入力・出力・レビュー」は全てインターネットにおいて迂回できるようになった。さらに、ユーザはより多くの情報を得ることができるため、既存メディアの批判をより容易に行えるようになったことに留意する必要がある。
インターネットにおけるゲートキーパーはゲートキーパー(門番)というよりはむしろ図書館員であると言える。情報は発信者の増加により、同時に増加するため、インターネット上には膨大な情報が氾濫すると言える。インターネットの図書館員としての性格は「客観的」「公平」「無関心」と、従来の恣意的な従来のゲートキーパーとは対照的である。さらに、ユーザは従来のゲートキーピングに対して中央集権的な印象を抱いており、能動的な情報収集のモチベーションが高まっている。
そこで、インターネットにおけるメディアには、ゲートキーパーでなく、ゲートウォッチャーが重要である。ゲートウォッチャーとは、ユーザー自体が情報の監視官になるという考え方である。ユーザはゲートウォッチャーサイトにおいて有用な情報を持ち寄ったり、アクセス可能なリンクを提供する。そして、従来メディアにおけるゲートキーパー(ここではおそらくプラットフォーム事業者を指す)はそのサポートに徹することが重要である。これらを達成することができれば、一種の理想的なメディア体系を作り出すことができる。

総括

黎明期における一種のインターネットに関するイデオロギーに触れることができた。黎明期における見解と、現在の見解との間で強く関係しているものは、「情報は氾濫するから、何らかの文脈を持ってそれを伝える必要がある」というものである。黎明期における思想で必要とされていたものが、いわゆるゲートキーパーに代替するゲートウォッチャーであり、それらの主体はユーザであった。対して、現在のインターネットに存在する情報に文脈を付与する主体はユーザでなくアルゴリズムである。アルゴリズムを一種のゲートウォッチャーであると考えることは、部分的に可能であろう。それらが関連するリンクを提供したり、情報を提供するという点では、アルゴリズム、もしくはフィルターバブルやサイバーカスケードといった現象はゲートウォッチャー的である。一方で、黎明期において提唱されたゲートウォッチャーはユーザ主体であるのに対し、現在のゲートウォッチャーは「数多のユーザの行動履歴をアルゴリズムにインプットし、ブラックボックス化した何か」である。つまりは、従来メディアの終焉によってゲートキーパーも姿を消した、それに伴ってレッセフェール的な情報のやりとりが可能になったように思えたが、プラットフォーム事業者の働きにより、人智では理解のできないゲートキーパーが誕生したと解釈できる。
本文献の批判としては、プラットフォーム事業者を変数として捉えていない、本文献の言葉を用いるのであれば「客観的」「公平」「無関心」と捉えたものである。しかし、プラットフォーム事業者はあくまで利潤の追求を目的とした企業である。インターネットを公共的な存在、空間であるという認識は黎明期に多く見受けられるが、空間そのものに対する考察は、やはり不足していた。膨大な量のインターネット広告が見られる空間において、パリサーや本文献の著者であるBrunsが掲げるサイバーリバタリアン的思想には限界が生じている。本研究において取り扱う従来メディアにおける、利害関係を前提としたゲートキーパーのフレームワーク活用は、ある程度意義があるのではないかと再確認した。

研究書評(0525)

今回取り上げる論文

Chin-Fook, L., & Simmonds, H. (2011). Redefining gatekeeping theory for a digital generation. The McMaster Journal of Communication, 8.
URL:https://journals.mcmaster.ca/mjc/article/download/259/226

最終閲覧:2023年5月24日

内容総括・選択理由

今回もインターネット上におけるゲートキーパーに関する考察を行っているものを取り上げた。研究の進捗から、現段階ではゲートキーパーのフレームワークを用いたメディア研究を鳥瞰することに注力した。一方で、本研究が行われたのは2011年であり、パーソナライズ機能の影響が明確に意識されていないことに関しては留意する必要がある。前回のBrunus同様、本研究に関しても最新の研究ではなく、極めて流動的に変化するデジタル領域での研究においては限界があると考えられる。

要約

ゲートキーパーは一般大衆への情報の流れを調節する。膨大に存在する情報をわかりやすく変換し、人々が理解することを助けるため、大衆がもつ認識に大きな影響を与える。

インターネットは相互活動や双方向でのコミュニケーションを可能にする特性を持つため、従来メディアとは大きく異なっている。ユーザが声を上げることが容易であるため、ユーザ自身が情報の流れを変えることが可能である。つまり、ユーザ自身も二次的なゲートキーパーになる。

ユーザがゲートキーパーになることで、門の流れも一方向ではなくなる。また、有力なユーザ、インフルエンサーがより強力なゲートキーパーとなり、その他のユーザはそれらをどの程度重要視しているのか、という視点が必要になる。

従来メディアとは異なり、人々はずっと少ないフィルターで情報を摂取することができる。さらに、何が正しく、何が重要であるかについても自分で決めることができる。その一方で、そういった動きは従来メディアや専門家の説明責任を低下させるため、人々には文化的なゲートキーパーが必要である。さらに、それらは特定の存在でなく、特に群衆である。

ゲートキーピング理論をデジタルメディアで取り扱う際には、それらが常に多方向であることを意識する必要がある。ここでは、特にインフルエンサーに注目してそのゲートキーピング的性格を分析する。

既知のピアインフルエンサーは、企業、機関、組織、一般の人々にとって同様に最大の投資収益率 (ROI) をもたらす影響力を持つため、各プラットフォーム上でユーザ個人がもつ影響力について定量分析を行う必要がある。

総括

今回は、デジタルメディアにおけるゲートキーピング理論の適用、という視点よりはむしろ「誰がゲートキーパーか」という視点が強かった。実際に定量分析を行った文献ではなく、インターネット黎明期のまとめ論文といった印象であった。さらに、インフルエンサーをゲートキーパーとして分析する方法論の前提の5つ目に、プラットフォームはゲートキーパーとしては考えず、あくまでアルゴリズムの機能として捉えるとあった。これらは私の研究に真っ向から対峙するものである。どうやら、ゲートキーパーを「恣意的なもの」として捉えるものが伝統的ゲートキーパーにおけるある種の必要条件であり、それらがデジタルメディアにおいてプラットフォーム事業者をゲートキーパーとして捉えない要因になっているという所感を持った。

研究書評(0601)

今回取り上げる論文

Nechushtai, Efrat, and Seth C. Lewis. "What kind of news gatekeepers do we want machines to be? Filter bubbles, fragmentation, and the normative dimensions of algorithmic recommendations." Computers in Human Behavior 90 (2019): 298-307.

最終閲覧:2023年5月31日

内容総括・選択理由

今回に至るまで、インターネットメディアにおけるゲートキーピング理論の適応を段階を踏んで辿ってきた。(0518)のインターネット黎明期における議論、そして(0525)におけるSNSの登場とインフルエンサーを意識したもの、そして今回はアルゴリズムやパーソナライズ機能といったプラットフォームにおける作用を意識したものを取り扱う。

また、本文献はエコーチェンバーおよびフィルターバブルの実効性に関する研究も行っている。これらはインターネットにおけるメディアの諸問題をマッピングする上でも重要な検証結果である。また、現時点でフィルターバブルおよびエコーチェンバーの定量分析といった研究は想定してないが、実証におけるプロセスは参考にしたい。

要約

昨今では、より多くの人(54%)の人がジャーナリスト経由のニュース(ニュースサイト・アプリ・電子メール・モバイル通知)より、アルゴリズム形式(検索エンジン・ソーシャルメディア・アグリケーター)を好み、スマートフォンを使用し(58%)若い人(64%)にその傾向が見られる。

アルゴリズムを新たなニュースゲートキーパーとして捉える重要性は明らかである。さらに、プラットフォーム事業者であるGoogleとFacebook(当時)はニュースサイトへのトラフィックの60%に関わっているとされている。その上、Googleのニュース検索は著名なニュースサイトへの紹介が一般的であり、全体の30%を占めている。

本文献ではインターネットにおけるゲートキーピング理論主に2つの手法を採用する。はじめに、フィルターバブルおよびエコーチェンバーの効果を、2016年の大統領選挙時に、クリントン・トランプ両者に関するニュースを参加者に検索させることで実証する(N=168)。次に、それらの結果に基づき、利害関係者(アルゴリズムデザイナー、ジャーナリスト、メディア学者、ユーザー)がそれぞれ持つ課題を明らかにし、ゲートキーパーとしてあるべき姿を模索する。

フィルターバブルおよびエコーチェンバーを実証する以前の前提として、アルゴリズムがユーザにもたらす効果は研究者によってまちまちである。多様性が失われたと評価する研究者もいれば、かえって多様性が保たれたとする研究者もいる。本文献では、道徳的・規範的視点を捨て、全体的な議論をすることを目的とする。

Googleを用いたフィルターバブルおよびエコーチェンバーの実証は、イデオロギー、居住地、年齢、性別、教育レベルを考慮して行われた。結果としては、パーソナライゼーションに関わらず、結果は全体的に非常に似通っていた。さらに、対象とした出版社の99.9%はどちらのイデオロギーにも推奨された。これらを踏まえると従来の編集者より、よりパーソナライズできる能力を持ち合わせながらも、パーソナライズ機能といった主体は、膨大なユーザによって形成された中央集権的なニュースを提供する可能性がある。

メディアと機械の関係性は考察することが困難である。例えば、自動運転の技術においては、機械と人間の関係性を考察する上で、機械がどのような働きを行えば「良い」かという判断は難しくない。一方で、機械がどのような働きを行えば、人間にとって「良い」かという議論は困難である。

総括

研究が比較的新しい点、アルゴリズムの働きを考慮している点で、この文献は価値があった。また、フィルターバブルおよびエコーチェンバーについて、「民主主義」を掲げてヒステリックに議論することは、本質的な議論ではないという所感を持った。私の研究において、特に参考にしているzuiderveen(2016)の研究においても指摘されていたが、フィルターバブルおよびエコーチェンバーは重大な問題になり得るが、イタズラにその危険性を誇張する必要はないだろう。
一方で、実証があくまでGoogleの検索エンジンにとどまっていることは留意する必要がある。例えば、Twitterにおいてユーザがニュース記事のURLを引用し、そのニュースに出会うというルートは極めて一般的であり、それらにはエコーチェンバーといった現象が入り込む余地がある。今回はイデオロギーによる検索結果の違いがないというものであったが、フォロワーにおけるイデオロギー属性が似通っていた場合には出会うニュースにはバイアスが生まれる。
これらを踏まえると、ある程度の仮説を立てることができる。

1:従来メディア体系と大きくは異ならず、ユーザが能動的に検索し探求するニュースに関しては、必ずしも多数ではない主体によって支配されるチャンネルからユーザに情報が届く。それらにパーソナライズ機能の影響が及ぼされたとしても、実証を踏まえたところ、どうやら結果は大きく変わらない。

2:大きく異なる点は二次ゲートキーパーであるユーザである。Chin-Fookら(2011)が指摘するように、ユーザの中でも強い力をもつユーザ、「インフルエンサー」の重要性を理解する必要がある。彼らは必ずしも政治的な文脈を持っているわけではないし、従来メディアにおいてはあまり見られなかった主体である。ゲートキーピング理論は、バラック&バラッツ非決定権力の議論で取り扱われるような政治学的視点を孕んでいるし、民主主義の防衛をテーマに掲げるのであれば、「政治学としてのメディア」という観点を無視することはできない。インフルエンサーは一種の権力過程におけるメディアコントロールのアプローチになりうるのではないか。

3:ユーザに注目するのであれば、「集団」として捉える必要があるだろう。ユーザはフォローやいいね、リツイートを通じて繋がり合うことができる。これらは最も簡単なアジェンダ形成の手段になり得るだろう。1つのツイートについたいいねの数やリツイートの数は従来メディアより文脈やストーリを意識していないものであったとしても、明確な民意の形になりうる。それらは利益集団や、潜在的利益集団の議論のように、政治学として取り扱うことができる。つまり、本質はマシンにあるのではなく、人と人の距離が近くなったことによる変化にあるのではないか。

4:ごく僅かのプラットフォーム事業者が独占的な支配を行える状態には問題がある。データは従来にないほどの消費者との非対称性を生み出すために、何らかの監視体制、もしくは競争状態を生み出す必要があるのではないか。

5ジャーナリスト・インフルエンサーは自らの記事が優先的に表示される戦略(検索エンジン最適化:SEOやソーシャルメディア最適化SMOなど)を打ち出している。つまり、ゲートキーパーを買収・説得・懐柔させる手段が出現しうる。従来のゲートキーパーはあくまで人間が何らかの文脈を持って行うものであったが、ゲートキーパーがマシン、もしくは素人のユーザ(二次ゲートキーパー)であるためにそれらは突破可能な「門」になる。

(0608)

今回取り上げる論文

Napoli, P. M. (2015). Social media and the public interest: Governance of news platforms in the realm of individual and algorithmic gatekeepers. Telecommunications Policy, 39(9), 751-760.

最終閲覧:2023年6月7日

内容総括・選択理由

前回立てた5つの仮説のうちに含まれる重大な要素である「政治学としてのメディア」という観点のもと、Efratら(2019)の論文内において、アルゴリズムゲートキーパーや公衆におけるメディアガバナンスについて取り扱っているとして取り上げられていた、Napoliの論文を取り上げた。前回までの書評+noteでは触れていない論文の読み込みによって、メディアとソーシャルメディアの差異や、ユーザとの関係性について掘り下げることができた。また、不完全ではあるが、問題を概観およびマッピングを検討できる程度に整理できつつあると言える。そこで今回はある程度「政治学」や、従来メディアの「公共性」および「ガバナンス」といった、本研究の趣旨に関わる視点を意識し、論文を選択した。ソーシャルメディアの公共性については中間発表時点においてもコメントによって指摘があったため、それに触れると言う意味合いもある。

要約

本文献では、ソーシャルメディアの重要性の高まりにともない、それらが民主主義に不可欠な情報の提供者として、さらにニュースを流通させる主体として機能しているかについて、評価を行う必要がある。さらに、それらのガバナンスについても議論することとする。従来のメディアはそのパフォーマンスやガバナンスについて「公共の利益の概念」に基づいて評価がなされてきた。本文献の前半ではメディアガバナンスの公共の概念について、後半はこれらをソーシャルメディアに基づいて考察することとする。

メディアガバナンスは非常に包括的な概念である。従来のジャーナリズムは公共の利益に奉仕してきたし、それぞれが倫理的なコードを保有していた。最も明確に表現されている倫理規定は テレビニュースディレクター協会が2004年に発表したものであり、「①プロの電子ジャーナリストは国民の受託者として活動すべきである②公衆へのサービス以外のコミットメントは信頼性を損なう③公衆が啓発された決定を下すことができるようにあらゆる情報を提供する」というものである。これらの倫理規定に加えて、公共の利益の原則において、メディアユーザーの代理としての存在である利益団体がどのような影響を及ぼしてきたかについて議論する必要がある。メディアユーザとそれらの代理としての利益集団によって表明された利益とニーズはメディアガバナンスの定義によく結びついている。メディアガバナンスには主に2つの領域が存在し、アダルトコンテンツや暴力といった問題がある情報の制限と、民主主義をサポートするための最低限の情報のニーズ(例えば最低レベルのニュース、情報、教育コンテンツなど)に応えることである。これらは大きく分けて「制限的なアプローチ」と「肯定的なアプローチ」として考えることができる。総括として、公共の利益に基づくメディアガバナンスは法的な次元でのコンテンツ規制と民主主義を支えるための情報の流通という2つの領域で存在し、それらは社会によって規定される「公共の利益」に基づいて決められる。公共の利益は利益団体や利害関係者による影響を受けることがある。

では、ソーシャルメディアにおける公共の利益とは、従来の公共の利益とどのような差異や特異性があるのか。ソーシャルメディアにおける公共の利益に関する議論は比較的で稀であるため、可視化されていない暗黙の要素を抽出必要がある。ソーシャルプラットフォームは公共の利益に関する制限機関や制限環境が設けられていない状況で運営されている。ソーシャルメディア上でやり取りされる情報の意味づけやそれらのニーズに関する調査を行うことによって、公共の利益がもつ暗黙の要素を抽出することができる。

ソーシャルメディアガバナンスのための最もメジャーなものは欧州評議会が2012年に採択したものである。それらを要約すると、SNSやプラットフォームはさまざまな情報の伝達や交換に関する大きな可能性を持っていて、より多くの市民が情報を受け取ることを助ける。また、個人参加の可能性を高めるものであり、「l公共サービスの価値」を持っているものであるという。それらに基づいて、データ処理に関する透明性の向上、障害者のアクセスの確保、有害なコンテンツの規制、ユーザが自由に活動する権利を行使するための環境の提供などを求めた。
利害関係およびマルチステークホルダーの観点については、プラットフォーム事業者はしばしば協力的であった。米国と協定を結びタバコやアルコールの広告を制限したり、多くのプラットフォームにおいてユーザや著作権の保護が行われていたりすることがあげられる。これらをまとめると、現時点でのソーシャルメディアガバナンスの2つの領域においては1つ目の「制限的なアプローチ」の視点において非常に強く関係している。

肯定的なアプローチの視点としては、公共の利益の「個人主義モデル」という点が非常に参考になる。インターネットはニュースの生産から流通までを担う環境であり、プラットフォーム事業者が自律性を担保した環境を提供している以上、その結果としての流通する情報はユーザの意思のエンパワーメントの延長線上にあるため、責任は本質的に個人に帰結する。

ソーシャルネットワークにおいて、ユーザは2次ゲートキーパーとしてますます重要な役割を担っている。今までジャーナリズムが担っていたフィルタリング・仲介・開示の役割を実行しており、かつ広範囲で行なっている。さらに、従来メディアが重要としているニュースとソーシャルメディアにおいてトレンドとなるニュースのギャップは、実は個々のユーザが行使できる自律性が高まったと評価できる。
一方で、プラットフォームに存在するアルゴリズムは考慮すべき存在である。伝統的なメディアが政治的プロセスに影響を与えようとなんらかのアプローチを行うことを危惧するように、それらをソーシャルメディアにおいても危惧することは合理的である。このような懸念は、伝統的なメディアにおける規制の導入におけるフロウに一致している。結論として、アルゴリズムの権威や正当性に関する議論は議論の周辺に追いやられる傾向にあったが、ソーシャルメディアガバナンスにおける議論が必要である。

総括

本文献の視座は、Efratやzuiderveenと似通ったものであった。従来メディアと比べて、ソーシャルメディアはチェックアンドバランスのシステムは有効に機能していると考えることが妥当であるし、個人主義が徹底され責任がユーザに帰結するという点においても、人権的な観点から自律性の助けになっていると考えられる。
これらは本文献を読む以前から得ていた視点であったが、特筆すべきはプラットフォーム事業者に関する記述である。利害関係やステークホルダーとプラットフォーム事業者における関わり方については、あくまで「制限的なアプローチ」であるものの、協力的な立場を示していることは留意する必要がある。文献冒頭においては、facebookが「メディア企業」として取り扱われていることに対して強い抵抗し、あくまで「テクノロジー企業」として取り扱われることに努力を行なっているということが取り上げられている。利害関係者との協力(言い方を変えるのであれば癒着)はそういったスタンスにある程度矛盾すると考えられる。さらに、文献内でも指摘されていたように、ソーシャルメディアの規制は、国家の法的および規制上の管轄区域の定義と実施がより困難であるために、規制が困難である。さらに、チェックアンドバランスが行使されるのはあくまでアルゴリズム下におけるプラットフォームであるため、認識論的ニヒリズムの視点が必要である。非決定権力における権力行使の観測手法や、TwitterやMetaといったプラットフォーム事業者の外部環境分析をマクロな視点で行う必要があると考えた。(これらは研究の全体の指針ではなく、コンテストやコンペティションにおいて活用したい)

(0615)

今回取り上げる論文

Garimella, K., De Francisci Morales, G., Gionis, A., & Mathioudakis, M. (2018, April). Political discourse on social media: Echo chambers, gatekeepers, and the price of bipartisanship. In Proceedings of the 2018 world wide web conference (pp. 913-922).

https://dl.acm.org/doi/pdf/10.1145/3178876.3186139

最終閲覧:2023年6月14日

内容総括・選択理由

今回は、前回と同様ソーシャルメディアにおけるアルゴリズムゲートキーパーの役割に着目したものの、NapoliやEfratとは異なり、民主主義の防衛の観点からアルゴリズムゲートキーパーに対して視座を持つKiranらの研究を取り上げる。今回の文献においては、エコーチェンバーの記述に注目した。NapoliやEfratは、ユーザがゲートキーパーとなる「二次ゲートキーパー」の存在によって、従来のメディアガバナンスにおいて達成されなかったユーザの能動性やチェックアンドバランスのシステムを達成しているとした。一方で、これらはEfratのように検索エンジンのみの研究では取り扱えないTwitterやFacebook(当時)のソーシャルネットワークを想定していないし、Napoliの研究で取り扱われなかった二次ゲートキーパーの弊害という観点から一種の限界を提示することができる。そこで今回は、二次ゲートキーパーの弊害として想定できるエコーチェンバーについて掘り下げる。なお、前回取り扱ったマクロの視点でのプラットフォーム事業者の外部環境分析については、行き詰まったため今回は取り扱わない。

要約

本文献では、Twitter上においてエコーチェンバーがどの程度存在するのか、また、エコーチェンバーがどのように構造化されているかについて研究する。ここでは「ユーザがソーシャルネットワークから受信するコンテンツの政治的傾向がユーザの共有するコンテンツの政治的傾向が一致する場合エコーチェンバーが存在する」と考える。Twitterのデータセットを活用し、エコーチェンバーの程度についての研究を行ったのち、党派ユーザと超党派ユーザの分析を行う。

定量分析の結果(ここはテクニカルなのである程度略)、政治的にトピックとなっているテーマを議論に適応すると、エコーチェンバーの存在を裏付けることができる。ユーザの情報の生産と消費の極性の分布は明らかに二峰性であり、生産と消費の極性は高度に相関関係があるといえる。

その一方で、トピックが限定されていなければそのような現象は発生しない。これらはリツイートネットワークが政治的話題に対してより高い二極性を示しているというBarberaの結論と一致する。

また、分析を通して「超党派の代償」が生じていることについても特筆すべきだ。本文献では、超党派のユーザを「パルチザンユーザ」と定義している。パルチザンユーザは超党派の代償として、いわゆる党派性の強いユーザの方がより大きなインタラクションを受けることができるという側面がある。双方の間の調停を促す可能性がある超党派を抑圧してしまう可能性を「超党派の代償」は示しており、問題である。

また、超党派の情報受信者であり、党派的な情報の発信者であるユーザを、本文献では「ゲートキーパー」として捉えて分析する。多様な情報を受け取り何らかの意思によって特定の情報を発信する主体としてのゲートキーパーはエコーチェンバーの議論において取り扱われることが少ない。また、情報のインプットとアウトプットの差異が大きいユーザに関しても分析を行った。彼らも別の定義での「ゲートキーパー」として考えることができる。これらは、政治的スペクトルの両端から情報を受信し、バランスの取れた「中道派」のコンテンツを作成するユーザなどを指している。

一方で、それらのゲートキーパーたちが、オープンマインドに活動しているのか、もしくは、反対派の意見の情報を得て攻撃するための「番兵」として行動しているのかどうかについては明らかにならなかった。
仮にゲートキーパーが前者のように活動しているのであれば、ユーザが自らの能動性を民主的に発揮するための存在となるだろう。

総括

本文献における二次ゲートキーパーでのユーザの位置付けは、NapoliやEfratとは異なっていたものの、完全に対抗するものではなく、むしろChin-Fookのインフルエンサー研究的であったと言える。二次ゲートキーパーは単に定義できるものでなく、多様な役割をもつアクターが共存していると考えることが妥当であろう。また、党派・超党派の視点からユーザを分類することは有効であったように思う。
一方で、テクニカルな論文であったため、いわゆるメディアガバナンスといった本質的な議論に触れられていなかったことに関しては残念であった。
従来のゲートキーピング理論をここまで多くのソーシャルメディアの概念・アクターに当てはめていたが、最も注目されているのは、二次ゲートキーパーであった。二次ゲートキーパーの分析は一種の有効な分析であるが、やはりテクニカルに傾倒してしまう。政治学としてのソーシャルメディアという視座を失わないためにも、次回以降はメディアガバナンス等を取り扱いたい。

(0622)

今回取り上げる論文

Helberger, N., Kleinen-von Königslöw, K., & Van Der Noll, R. (2015). Regulating the new information intermediaries as gatekeepers of information diversity. info, 17(6), 50-71.

内容総括・選択理由

中間発表にて取り扱ったHelbergerの文献を書評にて取り上げる。前回・前々回と、やや「プラットフォーム事業者とゲートキーパー」という視点をやや失っていたため、研究を本筋にもどすためにも、プラットフォーム事業者のゲートキーパーとしての側面に最も焦点を当てたHelbergerの文献に回帰する。Helbergerは本文献においてゲートキーピング理論の再考や伝統的なゲートキーパーとソーシャルメディアゲートキーパーの差異についてまとめている。なお、今回は前半のみの考察をおこない、後半部分は来週に行うこととする。

要約

政策立案者や研究者がFacebookやGoogleといったメディアにおける情報の多様性について議論するときに、「門番」や「ボトルネック」という概念が多く登場する。法的・および公共政策の観点から、彼らにゲートキーパとなる資格はない。一方で、彼らがゲートキーパーになり、公共政策の目標の実現の妨げとなる場合は、ゲートキーパーを制御するという伝統がある。そのような観点から、プラットフォーム事業者に対して、伝統的なゲートキーピング規制のツール(アクセス義務・正当性の担保・多様性保護の要件の制定等)も検討されている。

本文献では、プラットフォーム事業者がゲートキーパーとして機能した場合懸念についてマッピングし、それらがどの程度実証研究によって裏付けられているかについて示す。そして第二に、従来のゲートキーピング規制のツールが、プラットフォーム事業者に対する効果において非常に限定的であることを示す。そして第三に、ゲートキーパーとしてのプラットフォーム事業者が社会に及ぼす影響は、情報の多様性によるものではなく、ユーザへのアクセスであることを示す。

情報の多様性に関する懸念は、ソーシャルメディアにおいてドミナントとなっている概念である。実際、プラットフォーム事業者によって行われるフィルタリングやターゲティング、推奨機能などは供給の多様性のみならず情報の接触の多様性にも影響を与える。

プラットフォーム事業者が多様性に及ぼす影響に関して懸念されている原因が、さまざまな段階において権力を行使することができるためである。ゲートキーパーは伝統的に2つあり、情報へのアクセスの制御と、ユーザと情報を結びつけるために必要な仲介リソースやサービスの制御によって行われるものがある。伝統的に、前者は編集者であり、後者はケーブルネットワークのチャンネルやテレビのオペレータなどが挙げられる。事業者が編集者として機能する場合は、多くの場合情報に対する不服申し立てによって行われることが多い。また、より広大なフィルタリングを行っている場合もある。(これらはNapoliの制限的なアプローチとして考えられる。)また、後者のゲートキーピングを行った場合、事業者においてはコンテンツの見つけやさや露出の多様性などが想定される。これらには検索エンジンやソーシャルメディアにおけるアルゴリズムを生成するエンジニアが重要な位置付けとなっている一方で、彼らは公的責任や多様性を十分に重視していないことが明らかになっている。

これらは「コンテンツの最大差別化」という傾向から見ることができる。事業者は公衆が関心を寄せるコンテンツに関しては情報の多様性を最大化する一方で、それほど重要でない場合に関しては最小限の情報の差別化を図る。そのため、例えばエンタメに関心が集中している場合、政治的なコンテンツについては中心に収斂する。

結論として、プラットフォーム事業者は、地域ごとの法律や感覚に準拠するために編集コントロール(これらは主にアルゴリズム等に発揮される)を行使する。エンジニアの介入が政治的動機によるものである可能性は低いが、エンジニアはジャーナリズムや専門的規範、管理構造を欠いており、多様性を削減することを目的とした外部からの影響に対する脆弱性がある。

総括

今回の文献では重要な幾つかの視点を得ることができた。一つ目は、プラットフォーム事業者におけるゲートキーパーとして行使できる手段としてある「アルゴリズム」に関してである。アルゴリズムを生成するエンジニアに対する脆弱性は他の論文であまりみられない視点であった。また、Facebookが特定の政治メディアと提携を組むことといったように、近年アピールされている「テクノロジー企業」という枠で、事業者を定義できなくなっているという所感を持った。アルゴリズムに注目するのであれば、食べログが不定説なアルゴリズムを生成したことによって問題視された経緯等を調べることも有効であるのではないかと感じた。

(0629)

今回取り上げる文献


前回(0622)と同様
Helberger, N., Kleinen-von Königslöw, K., & Van Der Noll, R. (2015). Regulating the new information intermediaries as gatekeepers of information diversity. info, 17(6), 50-71.

最終閲覧:2023年6月23日

内容総括・選択理由

今回は前回と同様の文献を取り上げる。選択理由に変わって、簡単な研究の進捗をまとめることとする。

私は中間発表から現在に至るまで、中心的な研究者の視座を俯瞰し、いくつかの類型を見出した。ソーシャルメディアにおける研究は、はじめにテクニカルなものとそうでないものに二分される。

テクニカルな研究では、主にソーシャルメディア上で起こるとされているアルゴリズムを取り扱うもの、ユーザの政治的情報の摂取状況や発信・共有状況を探るものといったものがドミナントであった。アルゴリズムの研究においては多くの場合において、パリサーやサンスティーンといった研究者が危惧していたアルゴリズムの問題が過大評価されていると結論づけている。検索エンジン、ソーシャルメディアといったプラットフォームの違いはあるものの、特に「議論の極性化や分断」といった点において具体的な影響を示したものはなかった。一方で、政治的トピックに関する人々の情報のやり取りや集団の形成についてはある程度問題視する声がある。

テクニカルでない研究においては、着目するアクターや事象によって分類することができる。テクニカルでない研究において根底にあるのは「従来メディアと何が異なっていて、何が問題なのか」という問いである。
従来メディアにおけるガバナンスとソーシャルメディアにおけるガバナンスの「違い」に注目するのであれば、従来のゲートキーパーが行っていた編集(この場合情報を選択し文脈を持たせて報道することを指す)が極めて民主的なプロセスによって行われるようになった、といった結論を出すものが多い。一方で、偽情報や不適切なコンテンツといった「制限的なアプローチ」の必要性、もしくはアルゴリズムや先ほど挙げた極性化を引用し、最低限与えられるべき「肯定的アプローチ」が十分に行われていない可能性を指摘する場合もある。
情報の消費者、つまりは市民に注目した場合、付与された新たな役割である「二次ゲートキーパー」としてのはたらきについて言及するものが多い。これらは肯定的に論じられることと、危険性を指摘するものとして論じられる場合がある。二次ゲートキーパーにおける肯定派は、メディアガバナンスにおける監視者となりうる可能性を引用し、極めて民主的なメディア形成の一助になることを歓迎している。一方で、従来はある程度の規範に基づき、伝統的メディアによって行われてきた「編集」という作業が、インフルエンサーやインタラクションがアクティブなユーザによって代替されることを重大な転換点として捉えている研究者も多く存在する。これらは、偽情報やプロパガンダの流布、利害関係に基づく何らかの工作活動といったものを危惧している。こういった情報の消費者の変容が、従来メディアとの「違い」として考えられる。
最後にプラットフォーム事業者である。プラットフォーム事業者に対する眼差しは研究者によってまちまちで、「ソーシャルメディアは公共性を獲得しているため、無視する」といった視座のものから、「メディア企業ではなく、テクノロジー企業である」というプラットフォーム事業者自身が主張するスタンスに基づく視座、さらには、「アルゴリズムを編集することができるユーザとの圧倒的な非対称性を生み出すゲートキーパー的な主体」といった視座がある。メディアガバナンスに派生して、彼らを規制するために、アルゴリズムの透明性であったり、情報の多様性を担保することを求めたりする要件を作成するといった手段がある。しかし、プラットフォーム事業者はあくまで「企業」である点や、従来メディアにおけるプロセスの不透明さ、および国境を越える場合のある働きかけの困難さから規制に関しては、ドミナントなものとはなっていない。プラットフォームを提供する事業者を規制する法律は一般およびセクター固有の競争法である。一方で、これらの規制は公の議論やメディアの多様性を促進することに焦点を当てていない。これまで検索に関しては、電子プログラムガイド(EPG)規制がほぼ唯一の規制事例と言える。

要約

今回は後半部分の要約を行うこととする。前回扱った前半部分に関しては、ソーシャルメディアにおいてよく議論されるアジェンダや論点について、記述およびマッピングを行っている。後半部分は伝統的なゲートキーパーをどの程度導入できるかについて検討する。プラットフォーム事業者をゲートキーパーとして取り扱うことに対しては、多くの曖昧さと不確実性がある。多く議論される「情報の多様性」についても、それらがサービスの目的やユーザにとっての評価基準位なり得ないことを留意する必要がある。ソーシャルメディアにおいて、コンテンツにアクセスするための仲介者の存在は望まれており、ユーザのアクセスを制限していると評価するということが困難であると言える。

そのような状況において、事業者(本文献内では新たな情報仲介者と表現されている)がゲートキーパーになりうるのはコンテンツ選択の際のユーザの選択が十分に多様であるかどうかに委ねられる。一方で、これらは情報の供給の側面にフォーカスした従来のゲートキーピング理論では測定できない事象である。一方で、多様性は唯一の価値規範とはなり得ない。

事業者に対しては何らかの多様性を保持する要件を求めるという潮流が現在の政策的な議論に多く見られる。これらの研究のパイオニアはKreileとThalhoferによるメディア法とその多様性の保護を検索エンジンに導入するというものである。一方で、これらの提案の問題点としては、法的な意味で事業者を「編集者」としてトリガーできない可能性があるということである。また、自動化されたアルゴリズム的な制御を編集者に分類できるのかどうかという点においても限界がある。

BarzilaiやLaidlawが指摘する通り、既存のゲートキーピング理論を用いてそのまま新しい事業者を概念化することは全くもって無用である。そのため、既存のゲートキーピング理論より、細かい概念化が必要である。例えば、Barzilaiはゲート・ゲートキーピングメカニズム・ネットワークゲートキーパーを区別している。

ソーシャルネットワークおよび検索エンジンでは、プラットフォームやユーザー間の相互作用を無視することはできない。他のユーザとのつながりを強める「いいね」や、投稿へのタグ付け、フォロワーなど、さまざまなレベルでの接続性がある。これらが、従来の一方向でのゲートキーピング理論が適用できない要因となっている。さらに、ユーザは他のユーザにコンテンツを推奨する「エンパワーメント」を行うことにより、新しい形での情報の露出における多様性に貢献することとなる。そのため、プラットフォーム事業者に対する多様性の法的要件は、現在のボトムアップ式の情報の多様性に対する阻害要因となりうる。

これらを踏まえると、ゲートキーパーのより一層の人権主導の概念化が必要である。ゲートキーパーのコントロールに対して、ユーザが権利を保護した形で法的要件を儲ける必要性があると言える。

ユーザが中心となるアプローチが必要である。ゲートキーピングメカニズムにおける決定要因、つまりは分析フローはBarzilaiが参考になる。ゲートキーパーにおけるゲートのパフォーマンス・情報を生成するパフォーマンス・門番との関係・ゲートキーピングの文脈における代替の存在などが挙げられる。アルゴリズムといった代替の存在を肯定しながらも、露出・提示された情報に対して精査し、ゲートキーピングがもたらすバイアスの影響を減少させることがユーザ中心のゲートキーピングメカニズムを作る上で重要である。

総括

ソーシャルメディア・検索エンジン上のゲートキーパーをBarzilaiのフレームワークで分析することで、事業者に限らず、多元的に存在するゲートキーパーを部分的に理解することができた。また、トレンドとなっている事業者の規制方法や、それらの限界(例えばプロミネンスルールの導入や多様性の法的要件等)について触れられていた点についても非常に参考になる。また、政策立案者による何らかのアプローチは、かえって情報の露出の多様性を損なう危険性があるという点についても非常に新鮮な視点であった。

一方で、露出される情報の多様性を一種の指標として評価することに傾倒しすぎていた。例えば、いいねやハッシュタグを用いて行われる「民主的な共同フィルタリング」に関しては、アルゴリズムにおける性善説が前提となっている。アルゴリズムによって不公平な商業メディア慣行が行われることに対するリスクに関する記述はかなり不足している。文献における着地点としては、「アルゴリズムを形成するのはエンジニアであり、メディアガバナンスの視点が欠落している、定量分析の範疇を超えるものであるため、パーソナライズ機能をオフにすることでその妥当性を保つ」といったものである。つまり、アルゴリズムの健全性というよりはむしろユーザの選択肢を増やす方向にシフトするものであった。

(0706)

今回取り上げる文献

Van Dijck, J., & Poell, T. (2013). Understanding social media logic. Media and communication, 1(1), 2-14.

内容総括・選択理由

前回のゼミ内で行われた4回生による研究相談では、4回生が実際に行った研究フローについて説明をいただき、今の自分の研究の地点をなんとなく理解することができた。
4回生が特に強調されていた「研究のマッピング」の実践は、研究活動において意識的に行ってきたつもりであるが、各アクターの機能に関する考察が十分でなかったことは否めない。「マッピングを行い、切り口を見つけ、仮説を立てる」あたりが研究発表までの急務である。それらの要素はおそらくこの記事に散りばめられているものの、一旦整理するプロセスを大切にしたい。ソーシャルメディアおのダイナミクスは基本的に双方向であり、多方向である。ある程度の図式化やアジェンダのレベル分けはある程度必要であろう。そこで、今回はソーシャルメディアの10年の歴史を整理しつつ、社会制度とソーシャルメディア間にあるダイナミクスや基本原則について考察した文献を取り上げることで、マッピングを試みることとする。

要約

新しいメディアのエコシステムが、社会秩序をどのように再構築するかを理解するために、ソーシャルメディアを支える戦略やメカニズム、経済環境に着目する。ソーシャルメディアは以前のマスメディアと同様に、公共生活のあらゆる分野に浸透している。

ソーシャルメディアは大まかに定義すると、「Web2.0の思想的および技術的基盤に基づいて構築され、ユーザ生成コンテンツの作成と交換を可能にするインターネットベースのアプリケーションのグループ」とすることができる。今世紀最初の10年間に急速に台頭したソーシャルメディアプラットフォームはネットワーク化された文化の一部であり、FacebookやTwitterなどのソーシャルネットワーキングサイトおよびYouTubeといったユーザ生成コンテンツサイトは広範囲なエコシステムを形成する中核となった。

ソーシャルメディアは、以前のマスメディアの論理と複雑に結びついている。これらが市民・企業・国家の権力の相対的な形成にどのような影響を与えるかについて議論をおこなう。本文献では、ソーシャルメディアを戦略とメカニズムの2つの視点で分析する。さらにそれら2つの視点を、プログラマビリティ・好感度・接続性・データ化という4つの視点に細分化し、説明する。

プログラマビリティ(戦略):新聞とテレビがメディアのドミナントであったとき、「プログラミング」という用語は、番組表といったスケジュールされたコンテンツに関連んしていた。これらは、番組が視聴者をあるコンテンツから次のコンテンツへ移る際に視聴者が画面から離れないようにするための編集戦略である。従来メディアにおけるプログラマビリティは視聴者の視聴体験を連続的な流れとして定義するためのコンテンツ操作を行う主体の能力を指す。Twitterといったプラットフォームでは。アルゴリズムやインターフェイスを微調整してデータトラフィックに影響を及ぼすことができる。ソーシャルメディアにおけるプログラマビリティはユーザのコミュニケーションや生成におけるトリガーを操作したり、コード化された環境におけるコミュニケーションを通じて情報の流れに影響を与えることができる。アルゴリズムはコード化された命令に過ぎないが、お気に入りやリコメンド機能、共有など、あらゆる種類の関係活動をどのように形成するか観察する必要がある。また、プログラマー・エンジニアはプラットフォームを介して、ユーザ関係やコンテンツを制御する可能性がある。そして、これらは多くの場合、API等を利用しない限りは観察ができないために、分析も困難である。
一方で、ユーザはプログラマビリティを操作するプロセスにおいて、アルゴリズムに対抗したり、プロトコルに反抗することが可能であるために、主体性を保持している。総括として、従来メディアにおけるプログラミング戦略は、ユーザが主体的に選択した結果現れる編集戦略である。

好感度:2つの目の原則は、好感度である。従来メディアでは、「好感が持てる」人々を押し上げる強力なメカニズムがある。群衆を魅了する能力に応じて政治家から芸能人までさまざまなアクターが有名人のちを獲得した。それらに加えて、従来メディアには特定のアジェンダを設定したり、特定のトピックを強調するという力は、学者の間でも多くの理論化された主題である。初期のソーシャルメディアでは、すべてのユーザが平等にコンテンツに投稿できるという平等かつ民主的な働きが期待されていたものの、TwitterやFacebookが成熟されるにつれて、人気のある情報のフィルタリングを行う技術が発達した。

接続性:従来メディアは公共的もしくは商業的な目的に応じてコンテンツを結びつけること、もしくは広告主と消費者を結びつける。従来メディアは地理的な要因を考慮しながら、ニュースや情報、エンタメを形成する。対して、ソーシャルメディアは 多くの人の結びつきを意識するものである。これらをソーシャルメディアの正の側面として捉えることはできるが、ソーシャルメディア理論として捉えるのであればより包括的な議論が必要である。ソーシャルメディア理論における接続性は、拡散性の議論と深く関わっている。マスメディア理論における接続性とは異なり、ソーシャルメディアプラットフォームでは地理的、もしくは人工統計的に区切られた視聴者を扱うことはなく、オンライン上のつながりの相互形成を強調する。これらを踏まえると、ソーシャルメディア理論における接続性に対して、双極的な要素を導入する。アルゴリズムによるターゲティングを行いながら、人々を結びつけるものである。多くの論者は民主的な繋がりを促進を肯定するか、ターゲティングによる分断を危惧するかのどちらかである。
人々との繋がりを肯定する論者の理論的根拠には、初期ネットワーク社会学に由来する。ソーシャルメディアには相手を選択してコミュニケーションを行うことができるために、カスタマイズされたコミュニティを形成することができる。これらは従来の抗議活動における集団的行動から、結合的行動への移行を助長する。抗議活動は伝統的に集団の識別と行動の枠組みの構築と普及に依存しており、これらを結びつけるには明確な階級とグループが必要であったが、ソーシャルメディアの普及によりハイブリッドな結合が可能となった。
対してアルゴリズムによるターゲティングに対しても、プライバシーや能動性の観点から批判にさらされる(ここは割愛)これらを議論する上で重要なのは、自動化されたアルゴリズムをめぐって、ソーシャルメディア理論の一部として肯定・否定と定義するのではなく、私的領域と公的領域で議論を分けるべきである。私的利益・公的利益・企業利益の階層を再形成するためにどのようにターゲティングが形成されるかを分析することは必要である。

4つ目のデータフィケーションについては割愛する。

総括

メディア理論という切り口から、ソーシャルメディアにおける特異性を簡潔にマッピングしており、非常に参考になった。そして、私が中心に据えている「ゲートキーピング理論」および「アルゴリズム」、「メディアガバナンス」、「二次ゲートキーパーとなるユーザ」といった視点は切り口として有効であると考えた。論理のフローとしては、従来メディアとソーシャルメディアの差異をゲートキーピング理論を中心にすえて記述→ゲートキーパーは誰で、どのような権力を行使できるか、どのような外部要因が権力行使・およびアクションを引き起こすか考察を深める→行使できる権力、およびアクションは実際どの程度重大であるのかについて考察する、といったものを採用する。今後の研究の展望としては、重大であると評価できるゲートキーパーによる権力行使・アクションに対して「民主主義の防衛」という観点からどのような政策を打ち出せるか、どのような倫理的・人権的な要件に配慮すべきか、といった点を考察したい。なお、前提として、「メディアガバナンス」の考察を通し、「ソーシャルメディアの現在考えられている、目指すべき姿」を研究の視座として明らかにしたい。

(0928)

今回取り上げる文献

加納正雄 2008年 「アメリカの NCEE と日本の経済教育の比較研究: 仕事と職業に関して」『滋賀大学教育学部紀要 I 教育科学』No.58 p.157-171.

選択理由・内容総括

今回は、資産形成学生論文アワードに向けて、筆者(青木)が行った先行研究の調査における文献を取り上げる。資産形成学生論文アワードは、筆者が夏休みを利用して挑戦した論文コンテストである(現時点で提出できるかは、大変グレーであるが)
本稿では、若年層に対する投資を拡大することを目標とし、研究を行う。ここで取り上げる先行研究は、アメリカの金融教育の根底にある、NCEE (National Counsil  on Economic Education)を通して、日本の金融教育のあるべき姿を模索している。

要約

日本の金融教育は市場経済というよりはむしろ道徳教育的な思想を反映しているといえるのに対し、アメリカはより市場経済的、ビジネス社会的な思想を反映していると言える。今後の社会はアメリカ型の市場社会に向かうと予想されるため、日本における金融教育にも、転換が必要である。

本研究では、NCEEの考え方に基づくテキストである『ファイナンシャル・フィットネス』の内容に照らしながら、日本の金融教育との比較を試みている。

所得:アメリカでは、所得は労働の対価であり、教育レベルによる影響を強く受けるものであるとされている。さらに、起業家はリスクを引き受ける存在と定義され、重要視されている。対して、日本では、所得と労働の関係性を強調すると言うよりはむしろ、「勤労感と感謝の気持ちの育成」や「社会への貢献」が強調されるようだ。教育と所得の関係性について、金融教育で強調されることはないものの、学歴(学閥)に対する信仰は根強い。

貯蓄と投資:アメリカにおいて、貯蓄は将来の消費として定義される。対して、日本では、特に「節約としての貯蓄」という視点が強い。アメリカにおいて、貯蓄は合理的意思決定によるものとしての位置付けがあるが、日本における貯蓄は「健全な金銭感覚」という考え方がある。また、日本では、家計において預金率が高く、投資の割合が低い。これらには歴史的要因が多い。対して、アメリカでは、リスクを引き受けることによって収入を得るとともに、資金を分配する役割があるという考え方が強い。

支払いとクレジット:近年では日本の金融教育においてもクレジットカードに関わるものが盛んに取り扱われるようになったが、これらはどちらかといえば「リスクヘッジ」的な役割が強い。対して、アメリカではクレジットカードをいかに有効活用するかという視点が強く、合理的意思決定の思想が強い。

金銭管理:金銭管理はNCEEにおけるその他三つの観点の総括であり、日本における相違点もそれに準ずる。

総括

金融教育のみならず、日本の教育で取り扱われる価値規範と、実社会のギャップはある程度是正されるべきであると考えた。(とりわけ教育と所得の関係に顕著に見られる)
とはいえ、実務上の観点を取れば、指導要領の改正や、現場への負担などが生じることが想定される。また、政治判断においても、イデオロギーの問題がつきまとうだろうし、教育、特に学校現場におけるアプローチは政策としてもなかなか困難かもしれない。今回の論文コンテストは金融機関に対する提言という形態を取ることができるため、多様なアクターを想定した施策を検討したい。

(1012)

今回取り上げる論文

Lorenz-Spreen, P., Oswald, L., Lewandowsky, S., & Hertwig, R. (2023). A systematic review of worldwide causal and correlational evidence on digital media and democracy. Nature human behaviour, 7(1), 74-101.

選択理由・内容総括

最新の定量調査のトレンドを掴む意図がある。psエキスポに向けて、自らが「学部生としてできる研究」を形にするフェーズにきたと言える。私は現在でも、定量調査の手法を捨て切ってはいない。パワーに関する議論を、客観的に示すことができるのが理想である。とはいえ、民主主義とソーシャルメディアという視点を失うことなく、研究を行いたい。

要約

本文献では、ソーシャルメディアの使用と、さまざまな政治的変数の関連性について分析し、民主主義の衰退とソーシャルメディアの因果関係に関して考察するものである。

ソーシャルメディアは、技術が高尚な目的と悪意ある目的に使用されるというデュアルユースのジレンマに直面している。

ソーシャルメディアは両刃の剣である。MeTooといった事例などにより、市民に力を与えているが、一方で、二極化やポピュリズムなどの破壊的な行動を招く恐れもある。

これらを裏付ける多くの実証研究には矛盾が生じており、マッピングが必要であると言える。それらのマッピングと統合を行った。

手法は難解であるために、今回は割愛するが、理解し次第追記したい。

結果をやや羅列のようになるが記述する
・検索クエリがソーシャルメディアと政治的変数において最も高い関連性を示した。

・ソーシャルメディアの使用が、極性的な表現(肯定的な関連、否定的な関連)はどちらにおいても全く関係しない。一方で、アルゴリズムが民主主義的であるか、もしくはパーソナライズされて偏っているかによって、有益または有害に分類できる。

・投票率とソーシャルメディアの関連性によれば、民主主義国家においてはこれらは有益に働く場合が多い。アフリカや中東の権威主義体制への政治参加に対するデジタルメディアの因果関係を調査した研究は不明であった。

・ソーシャルメディアは、政府や政治への信頼、メディアへの信頼に対しては有害であるという結果となった。これらは特にCOVIDの事例に挙げられる。

結果の総括として、やはりソーシャルメディアは両刃の剣であったが、有益または有害とみなされるものは、部分的には対象となる政治システムに問題が生じている場合がある。

総括

定量調査を包括的にマッピングすることは、一種の研究の方向性として据えていたため、参考になった。ソーシャルメディアと、政治システムにおける関連性は考える必要があるし、突破口があるなら、「そこ」であるように思う。

(1026)

今回取り上げる論文

Sundermann, G., & Raabe, T. (2019). Strategic communication through social media influencers: Current state of research and desiderata. International Journal of Strategic Communication, 13(4), 278-300.

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/1553118X.2019.1618306?casa_token=9_TcIl6YEi0AAAAA:xFWSTnYRBXTBRNWwrZlpPt15jDDAXaq-7Zi45ICfnPpIrNUO8QNnB8AMrIpipZoY5UW8jgsiRbdG


選択理由・内容総括

psエキスポの予選が終わり、なんやかんやと一週間を忙しく過ごしていたら、悪いものに当たったらしく、ひどい腹痛と高熱でダウンし、なんとか地獄の底から這い出てこの書評を書いている。研究を急ピッチで進める必要もあり、今回は思い切って戦略的インフルエンサーコミュニケーションに絞った。インフルエンサーはゲートキーピング理論ではマスとしても、ゲートキーパーとしても位置付けられない得意な存在であるし、メディアガバナンスにおいても十分に取り扱うことのできない存在である。インフルエンサーについては多くの文献で議論が試みられているが、明確な定義もない上に規制もない。実は、この視点は競争力CAにおいて「ステマ規制」に関する議論を行なった際に得たものだ。つまりは、「依頼した企業は罰せられるが、インフルエンサーはお咎めなし」といったもの。ステマは政治的コミュニケーションとは十分に関わる可能性があるものであるし、さらに言えば、行動経済学の視点が政治学に輸入されることもよくある話である。
さて、この文献であるが、ラスウェル・フォーミュラを利用している。39件の査読付き論文のレビューを通じて戦略的コミュニケーションを体系化したものである。最終的には論点を整理し、今後の研究の必要性を訴えるものであった。また、この論文においてもコミュニケーション科学およびソーシャルメディアにおける研究を多く引用していたため、非常に有用な論文であった。

要約

本文献では、インフルエンサーによる戦略的コミュニケーションの昨今の研究を整理し、今後の研究の必要性について論ずる。特に、ラスウェル・フォーミュラによる既存のレビューの組織化と構造化に重点をおいている。その上で、本文献が明らかにしたいのは以下の点である。
a戦略的インフルエンサーコミュニケーションにおける研究の現状
bどのような理論モデル、アプローチが適用されているか
c研究の空白
d推奨事項

Strategic influencer communication
インフルエンサーコミュニケーションは、従来チャンネルの衰退により新たに生じた方法である。この目的は、認知の向上、特定の話題の社会的な増加など多岐にわたる。インフルエンサー(専門家やオピニオンリーダー)はフォロワーの数などによって人気を高めている。特徴として、1従来では アプローチできなかった層へのアプローチが可能になる 2消費者にとってインフルエンサー(以下SMI:Social Media Influencer) は有名人(これも曖昧な定義であるが)より共感しやすい 3 SMIはコンテンツの共同制作者である 4 SMIは雇用されていないため創造なコンテンツを生成できる 5 SMIと著名人との明確な差は、組織からのコントロールの有無である。

Structured literature review←ここは定量をやる上で非常に重要
Vom Brocke et al. (2009) and Webster and Watson (2002).を用いた文献の特定と分析。(これらは定量で使う際のデータの選定に使えるだろう。)

EBSCOhost、Emerald Insight、Web of Science を含む電子データベース検索を実施し、構造化検索の基礎キーワードには“influencer marketing,” “influencer relations,”“influencer communication.”を用いた。

第 2 に、インフルエンサーとのコミュニケーションだけでなく、関連する概念 (奨励されたブロガーの推薦やマイクロセレブなど) も含めた幅広い文献背景を取得するために、後方検索と前方検索を適用する(Levy & Ellis、2006)。

要素としては、以下の3つを採用している。(a)論文は査読済みで、オンラインで入手可能で、英語で書かれているか。 b) 記事の焦点はインフルエンサーコミュニケーションのトピックに関連しているか。 c) 記事は、SMI コミュニケーションに関する研究を組織するためのフレームワークの 5 つの要素の 1 つにリンクしているか。←(つまり、構造化には、ラスウェルフォーミュラの一連のフローは必要なく、どれか一つの要素が含まれていれば研究の妥当性を示せるのか?)

使用したソフトウェアはMAXQDA2018であり、構造化分析。各論文の研究焦点、基礎となる理論構成および理論に関する類似点と相違点の特定を目指した。

なお、今回の研究の限界として最も重要な点は、研究の現状の提示が目的に置かれており、その相互作用等には主軸を据えていない点である。また、今回の理論モデルをやや改訂して、ソースに「ソーシャルメディアインフルエンサー」を追加し、コミュニケーションフローの要素に、「組織」を追加している。

総括

今回は非常に長くなるため、手法で一度ストップすることとした。リサーチデザインは極めて私がデザインしたものと似通っていたため驚いた。ただ、本文献でも指摘していたとおり、コミュニケーションモデルの複雑性と多元性によって、ラスウェルフォーミュラの限界はやはり考える必要性がある。一方で、やはり論文ベースの研究を想定すると、双方向のコミュニケーションモデルの実証は困難であると感じた。せいぜい、研究の現状、といったところになってしまい、途端にスケール感が失われる。もう一度リサーチデザインを考えたい。一方で、論文の合理的な選定方法や、MAXQDAを用いた分析手法は非常に参考になった。ぜひ活用したい。

(1102)

今回取り上げる論文

Sundermann, G., & Raabe, T. (2019). Strategic communication through social media influencers: Current state of research and desiderata. International Journal of Strategic Communication, 13(4), 278-300.

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/1553118X.2019.1618306?casa_token=9_TcIl6YEi0AAAAA:xFWSTnYRBXTBRNWwrZlpPt15jDDAXaq-7Zi45ICfnPpIrNUO8QNnB8AMrIpipZoY5UW8jgsiRbdG

選択理由・内容総括

前回と同様である。今回は定量調査の結果についてのパートを要約する。研究進捗としては、MAXQDA以外のソフトで構造化分析が可能であるかの検討および学会調べである。どちらも苦戦中であるが、スピード感を上げて行いたい。

要約

組織:組織は戦略的インフルエンサーコミュニケーションにおいて極めて重要な要素である。非政府機関・州機関・企業など、あらゆる機関がSMIと関わることができる。組織におけるコミュニケーションモデルに関しては、2段階フロー理論に基づくものがあり、SMIはブランド関連関連のメッセージを咀嚼して配布し、フォロワーは自身のネットワーク内でメッセージを取得、応答、共有をする。戦略的インフルエンサーコミュニケーションにおける重要な要素は4つの要因がある。1:インフルエンサーと組織との長期的な関係構築は効果的な戦略的インフルエンサーコミュニケーションの重大な要因であると言える。2:ユニークな製品を売るブランドは有利になる可能性があるということ。一方で、これらはフォロワーが比較的少数なSMIであり、フィードに多く表示されすぎるとユニークさの認識が低下し、効果が薄れる。3:消費者の態度変容に対し、最も効果的なものは専門家または一般人のブログコンテンツに最も影響される。4:製品一致仮説

SMI(ラスウェルフォーミュラにおけるWHO)
SMIはメッセージの仲介者として機能する。信頼性としては、属性に依存する。情報源の信頼性は専門知識・信頼性・魅力の3つの側面に起因する。一方で、矛盾を示す研究もある。ブロガーの信頼が購入意思にプラスに働くという結果と、統計的に有意な結果ではないという研究がある。また、フォロワー数は正の相関がある。また、特殊コミュニティにおける微小有名人がどのように人気を獲得しているのかという研究がある。このような事例においては、特定のメッセージを伝え続けること、それらが共通性を持っていること、アクセスしやすいことが保たれていれば人気が高まると言える。

コンテンツ(ラスウェルフォーミュラにおけるSays What)
コンテンツはSMIによって1つ以上のソーシャルメディアプラットフォームで配信され、ビデオもしくは文章の形式で配信される。ここではマイクロSMIの重要性が特に如実に現れる。4つのカテゴリがある。1:専門知識を提示することでフォロワーに影響を与える商業領域のもの2:コミュニティ領域に組み込まれたリレーショナルコミュニケーションモデル、SMIを私生活レベルで知ることで、共感できる人物として投影するモデル3:自分を常に称賛しサポートしてくれる友人の役割4:ソーシャルキャピタルとしてより顕著な役割を果たす機能

ソーシャルメディアプラットフォーム(ラスウェルフォーミュラにおけるIn Which Channel)
結論、プラットフォームによって異なる。固有のプレゼンテーション方式(字数制限やビデオの方式など)に左右される場合と、消費者の使用動機やモチベーションにより左右される場合がある。

受信者(ラスウェルフォーミュラにおけるTo Whom)
パラソーシャルの関係では実際に対面したかのような感覚を得る。フォロワーへの返信によってそれらは加速する。他者をより信頼する傾向のある個人は第三者の影響を受けやすい。信頼傾向がスポンサー付きコンテンツに対する消費者の態度にプラスの影響をあたえる。

効果(ラスウェルフォーミュラにおけるWith What Effect)
戦略的インフルエンサーの変数として位置付けられ、ここでは購入意図やブランド認識、SMIに対する態度などが挙げられる。一方で、やや矛盾が見られる研究が多い。

総括

まとめ研究的な側面が強い。想像以上に定量的な分析が入り込んでおらず、ラスウェルフォーミュラを利用した意図やMAXQDAの構造化分析を利用した意義が考えられなかった。結論では、線型SEMなどを採用した複雑な定量手法の必要性等を訴えていたが、この研究における手法において明らかにできる事象の限界を感じた。早急なリサーチデザインの再考が求められる。

(1109)

今回取り上げる論文

Lorenz-Spreen, P., Oswald, L., Lewandowsky, S., & Hertwig, R. (2023). A systematic review of worldwide causal and correlational evidence on digital media and democracy. Nature human behaviour, 7(1), 74-101.

選択理由・内容総括

1012で選択した論文と同じ、つまり、同じ論文をもう一度再考する。手抜きではなく、意図あってのものである。(今週だけでも7本は読んでいるが、あえて)

多くの論文を読み、研究の参考にしてきたが、リサーチデザインをする段階では選ぶべき論文も限られる。先週取り扱った論文であるMAXQDAを用いたものは、結局は論文の包括的なレビューであった。つまりは、やったところで「しょぼい」研究である。

私が検討していたデザインとの違いは、ラスウェルコミュニケーションモデルにおける各項目間のダイナミクス及び結びつきを想定しているかどうかである。そして、先週レビューした論文はやはりサンプル数が少ない。質的な積み上げでは、結局のところインパクトのある研究はできない。とはいえ、オープンデータを用いた研究も困難である。そこで、論文をサンプルとし、量的な積み上げを行なっている本文献の、(前回省いてしまった)手法の部分のみをレビューする。

要約

本文献のリサーチクエスチョンはデジタルメディアの使用と政治的変数の関連性である。こちらも体系的なレビューをしている。観察研究のメタ分析と系統的レビューのためのMOOSEガイドラインに従って行われている。レビュー詳細のプロトコルはオープンサイエンスフレームワーク(OSF)に登録されているとのことであったが、不親切であり全くわからない。

サンプル数は496であり、定量研究のみを選択、理論的なものやシミュレーション研究、論文を合成する類のものは全て除外。N<100未満を除外、学生によるものも除外。プレプリント版も除外、全て英語で査読付き。最低2つの変数、デジタルメディア変数、政治的結果が必要。

論文を選定する上での方法論も学んだ。Web of sicence,Scopusを使用し、Causeに主にsocial media、Effectに直接的なもの(voting等)と間接的なもの(Echo Chamber等)、MethodにCasual(ランダム化比較実験) Descriptiveで分類。タイトルベース、アブストラクトベース等で除外を進め、496まで絞る。要約から結果変数の抽出等が行われた。

データの合成は主に、Effectで挙げられた政治的変数の方向性の分析を行う。それ以外に地域やメディアの種類等の、その他の要素も検討している。

総括

今回はやや分量が少なめである(エクセルのスプレッドシートやプロトコルを参照し、やや時間不足となった。)やはり、論文ベースの研究が現実的であるし、ある程度のサンプル数と適切なデザインがあれば、ランダム化比較実験同様の効果を得られるとわかった。一方で、ラスウェルフォーミュラの各項目の結びつきを調べる手法とは全く性格の異なるものであるために、参考になるのはせいぜい論文の選定手法程度であろう。また、おそらく私の研究の定量調査をする上での最も大きな阻害要因は、ラスウェルフォーミュラにおける5つ(もしくは6つ)の要素をアブストラクトから抽出できるのか、という問題である。立命館大学の恩恵を享受することで、Web of Scienceは使用できるため、今後はGoogle scholarからそちらをメインに手探りながら選定をしたいと考えた。Cause・Effect・Methodといった軸というよりは、実際のモデルケースの観測的な論文が必要である。そして、それらを踏まえると母数がやや心配である。研究発表において、500は集められると息巻いてしまったため、このnoteとは全く別に、データセットとリサーチデザイン(特にランダム化比較実験及び自然実験的な視点をどのようにして取り入れるか否か)を考えたい。また、学会については、人工知能学会の入会を考えており、学会員になれば問題なく投稿できるそうだ。こちらも進めたい(学術誌云々は置いておいても、学会員になる価値はありそう)

(1116)

今回取り上げる論文

吉田光男, & 松本明日香(2012)「ソーシャルメディアの政治的活用: 活用事例と分析事例から (< 特集> Twitter とソーシャルメディア)」『 人工知能』27巻1号, p.43-50

選択理由・内容総括

久しぶりの日本語の論文である。研究手法に関する先行研究および理論モデルは引き続き全体感を持って行なっているが、今回は人工知能学会の学会誌に掲載された論文を選択した。というのも、ソーシャルメディア研究を取り扱う学会誌で最も私のテーマとシナジーがあったこと、投稿に際して門前払いがなさそうであったこと、年会費が学生価格で良心的であったこともあり、この度人工知能学会の学会員になったためである。論文については自らのテーマと離れすぎていないものを選択した。レベル感というか、そういったものを感じることができればと思い選択した次第である。

要約

本文献ではソーシャルメディアの政治的活用について、活用事例と分析事例を取り上げて解説をする。

はじめに日本の政治家および地方公共団体のソーシャルメディアの使用状況である。政治家のアカウントリストはツイー党より、公共期間のアカウントはオープンガバメントラボが提供するがばったーから取得した。現在では300以上のアカウントがあり、東日本大震災以降緩やかに伸び始めている。

鳩山由紀夫元首相は2010年元日より日本の首相として初めて情報発信を開始し、ブログも設立した。一方の菅直人氏、野田氏は2011年現在アカウントを開設していない。

選挙での効果
ソーシャルメディアの流行はインターネット広報の拡張に寄与したのか。2005年9月に実施された世論調査では、一番参考にしたメディアは何か、という質問に対してインターネットと回答した人はわずか5%であった。2010年に実施されたアンケートは4.4%であった。当時の有権者はどのようなサイトを参考にしたのか。結果として、インターネットプロバイダのニュースサイトから情報を得たものが70%、その次に新聞社のサイト、その次に議員のサイトとなっており、ニュースサイト以外は低水準であった。

公共機関による利用
東日本大震災を契機にソーシャルメディアが情報発信手段として評価され始めた。災害時にはインターネットへのアクセスが難しくなっていたために、Twitterを通じた情報発信は重要なツールの一つとなっていた。(ex.青森)その際に、避難所の布団の提供を求めるツイートなどは非常に有効であったようだ。

ソーシャルメディアが与える政治的影響
Facebookは2008年の大統領選挙では政治的なコミュニケーションの現実的な道具として使用された。ユーザはオバマ氏とマケイン氏に関連するグループページを1000以上作成した。分析の結果
、オバマ氏のためのグループがより活発に活動し、高評価を得ていた。この要因としては、明確なメッセージを提供するオバマ陣営のキャンペーンが影響したようだ。

終わりに
信仰ソーシャルメディアと政治の関係を分析する研究も行われ始めているが、大規模なデータをどのように処理するかが課題となっている。日本でソーシャルメディアの政治的活用が注目されるようになったのは米国の要因が大きいが、選挙における自由度には差がある。ソーシャルメディア研究にはまだまだ伸び代があり、工学研究的な知見が導入されることが求められる。

総括

反省として、選択した論文が古すぎた。この時期の研究はオープンデータが浸透していないぶん、定量的な視点に欠けると感じた。また、本来の目的である学会誌の雰囲気(?)に関してはなんとなく感じ取ることができた。当然ではあるが、海外の論文とはなんとなく訳が違うな、といった印象を持った。今回はこちらを書評で取り上げたがもう4−5本読んで最近のトレンドを考えたい。また、やはり人工知能学会というだけあって、定量調査に関する研究は非常にレベルが高いなという印象を持った。

(1123)

今回取り上げる論文

Serrano, J. C. M., Shahrezaye, M., Papakyriakopoulos, O., & Hegelich, S. (2019, July). The rise of Germany's AfD: A social media analysis. In Proceedings of the 10th international conference on social media and society (pp. 214-223).

選択理由・内容総括

今回はソーシャルメディア分析の方法論を蓄積する意図でこの論文を採用した。今はリサーチデザインに集中したい。読むべきめぼしい論文も少なくなっていているので、領域外の方法論も目を通したいところではある。(今回は方法論までを取り扱う)

今回は、ドイツの事例ベースでのソーシャルメディア研究を取り上げる。2017年に極右政党が政権を獲得した際、ドイツのための選択肢(AfD)は政党内で第3党となった。このキャンペーンは欧州懐疑主義と移民に対する排他主義的な立場に焦点を当てていた。ここでは、選挙の際にAfDが選択したチャンネル等を分析し、それらがインターネット上で支持を得ている理由を探る。

要約

AfDの台頭は、ドイツ政治の分裂を象徴している。元は」反ユーロ政党であったが、次第に右翼ポピュリズムとなっていった。そして、ドイツの多くのタブーについても言及した。これらは、イタリアのレガ・ノルドや、オランダの自由党に類似している。
AfDの台頭はソーシャルメディアを無視して考えることはできない。ここでは、複数年にわたって多様なプラットフォームを調査することでその実態を明らかにすることを試みた。初めに、オンライン上でのAfDの活動の概要を説明し、AfDのエンゲージメント戦略について焦点を当てる。

ソーシャルメディアは政治的コミュニケーションを変革した。WorldWideWeb(
潜在的な有権者の反応を評価するための新しいツール)では、各ソーシャルメディアおプラットフォームの視聴者に合わせた問題と戦略が打ち立てられる。そしてそれらは、しばしば党のマニュフェストとは異なることがある。

AfDの戦略。先行研究によれば、AfDはfacebook上でポピュリスト的なレトリックを使用しており、それらが有効に働いたと分析した。

ソーシャルメディアにおけるAfDの戦略を理解し、評価するために、各ソーsyたるメディアチャネルの異なる機能を統合するマルチプラットフォームアプローチを用いる。分析は4つのカテゴリに基づく。

政党への関与
ソーシャルメディアチャネルを元に、政党の活動を数値化する。

ユーザエンゲージメント
ユーザと政党のオンラインインタラクションを調べる。インタラクションはいいねやコンテンツへのコメント、DMが含まれる。否定的な文脈も当然存在するため、支持を表すものではない。

ユーザサポート
ユーザの受け入れの状況と同調のレベル

メッセージの拡散
メッセージ拡散という党の目標値を数値化する

方法論
APIを使用しFacebook、Twitter、YouTube、Instagramからデータを収集する。イデオロギーの参考として、党のマニュフェストも収集する。6つの主要政党のデータも同時に収集する。(CSU、ドイツの緑の党、FDP、SPD、急進左派政党)

Facebook:2015年1月から2018年5月までの投稿、12,912件が対象
Twitter:2017年から1年間、1,961,318件が対象(Search APIを使用)
Youtube:2016年10月-2018年5月の間のデータ
Instagram:パブリックAPIが低下する前に4155件を種々する。

収集したデータから洞察を得るため、次の方法を的y等
マルチプラットフォームスキーマの4つの尺度に対して、コルモゴロフスミルノフテストを実行する。Vuongテストも行い、分布を比較することで、因果関係推論のレベルにまで高めるまた、Botの検出も行う。結果、ツイートではハッシュタグがついているものは自動化されている可能性が高かった。一方で、これらはTwitterのみでしか実行が出来ない。

トピックモデリング、潜在ディレクレ割り当てを選択する。各ドキュメントをトピックの組み合わせとして定義することで分析を可能にする。トピックはAfDのオンラインコンテンツと党のマニュフェストを比較する。

総括

やはり、APIは強いな、というのが正直な感想である。ある程度の期間同じテーマで研究をしていると、定量的な知見に基づいていないものの、「出版バイアス」の存在は感じていた。私のリサーチデザインであると、論文をサンプルとして取り扱うために、出版バイアスの被弾は避けられない。先行研究では自然実験やRCTの知見を用いてそれらを数理モデルで対処していたが、そこまでする自信はない。その点、APIは非常に客観性が保たれているものであるし、サンプル数も多く取り扱うから理想的な調査ができる。反面、費用の問題はつきまとうと言える。さらに、トピックが存在することを前提にしているため、そこに関しても悩ましい。

(1130)

今回取り上げる論文

Stieglitz, S., & Dang-Xuan, L. (2013). Emotions and information diffusion in social media—sentiment of microblogs and sharing behavior. Journal of management information systems, 29(4), 217-248

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.2753/MIS0742-1222290408?casa_token=0yi8_39nDXMAAAAA:tEf92vGm0UDibIOP70Zx5rK0NVE-iqHL3leYrJ2trwjs9sb0xr0lbjSc94wiPDjL7ODYsqYes8ti

選択理由・内容総括

感情の伝播モデルに対する理解を深める意図で選択した。特に、数理モデルに対する理解である。そのほかにはラスウェルフォーミュラにおける質的な積み重ねのためでもある。やや研究が停滞している。忙しい中ではあるが、研究を進めなければ。

要約

Twitterでの政治的コミュニケーションでの文脈の研究を行う。物議を醸し、二極化する政治の性質を考慮すると、政治的コミュニケーションは特に選挙の際に、政治的話題、政党、政治家に関連した高度な感情を生む。

また、ソーシャルメディアにおける政治的コミュニケーションは政治家やジャーナリストなどの特定な主体によって独占的に管理されてきた政治コミュニケーションの根本的な変化を意味している。この研究は社会学・政治学・コミュニケーション科学・言語学・情報システムなど、多くの分野で観察および研究されている。

本研究では、Twitterメッセージの感情的な側面が、政治的な感情と関連しているか調査を行なっている。この研究の特徴的な点は、情報拡散における感情ベースでの役割に焦点を当てている点にある。さらに、感情はソーシャルメディアコミュニケーションにおいてウイルス的な影響を与える可能性があるため、企業は感情を引き起こすソーシャルメディアベースの広告コンテンツを制作するだけでなく、感情分析に力を入れるべきである。

本研究では、政治的に異なる2つのデータセットを用いて分析をした。最初のデータ セットは、ドイツのバーデン ヴュルテンベルク州とラインラント プファルツ州で行われる 2 つの州議会選挙前の、2011 年 3 月 21 日から 3 月 27 日までの 1 週間をカバーしている。APIを用いて、データを収集するJavaベースのソフトウェアツールを開発した。

キーワードはドイツの最も重要な6つの政党、そして有力候補のなめをキーワードにした。合計で、100000ツイートと、150000ツイートのサンプルを取得した。また、冗長なツイートや無関係なツイートを排除し、統合した。また、その他条件を考慮して、64431件、104317件となった。

感情分析アルゴリズムによって、肯定的な感情と否定的な感情を検出する。「Senti Strength」を利用し、ツイートの感情のレベルを分析する。

結果として、中立的なツイートに比べて、感情的なツイートは拡散される可能性が高かった。これらは、他の学術領域でも見られる、人間の情報共有行動に対する感情の書面表現の影響がソーシャルメディアの状況にも当てはまることを示している。また、ソーシャルメディアは共有行動に影響を与える認知的および覚醒関連の効果を誘発させる可能性もある。

総括

今回の書評を通じて、リサーチデザインで特にボトルネックと考えられる点が浮かび上がった。一つ目は、ラスウェルフォーミュラの妥当性についてである。このフレームワークは必ずしも一方高のコミュニケーションだけでなく、双方向のソーシャルメディア的なコミュニケーションを想定しているものの、感情の伝播の特性であったり、リツイートといった促進のためのアクションを想定できない。やや弱音を吐くと、複雑化しすぎていて、因果関係の推論に意義を見出せなくなっている。2つ目はツールである。APIを利用したとしても、やはりリサーチデザイン的に自らツールを作る必要性が出てきそうである。やはり出版バイアスの観点からも、論文ベースでの分析は少し気が引ける。もう少し、悩むべきである。

(1207)

今回取り上げる論文

Lomborg, S., & Bechmann, A. (2014). Using APIs for data collection on social media. The Information Society, 30(4), 256-265.

選択理由・内容総括

APIについて、その収集と分析の要点を整理した文献を読みたかった。ある程度忙しかったのが落ち着いてきたので、ようやく研究に集中できそうである。

この研究は、APIを導入する意義であったり、恩恵だったりを説明するものである。また、APIを使用した法的、倫理的影響についても説明するものである。

要約

APIは基本的に、ソフトウェアが他のソフトウェアと会話できるようにするコンピュータープログラムのインターフェイスである。これによって、コアとナウソーシャルメディアの開発と強化が可能になる。

APIは定量的および定性的な性質両方のインターネット研究に重要である。魅力的な点としては、データの収集、整理、クリーニング、保存、分析を自動化でき、効率的なツールであること。また、個人のデジタルフットポイントを収集できる点にもある。

この研究ではソーシャルメディアの使用に関する定量的及び実証的な研究のマイルストーンとしてAPIの使用を検討する。

トレンドである研究戦略はソーシャルメディアの使用に関するデータを抽出するためのAPI、これはいわゆるビッグデータの収集と分析などがあると言える。

ビッグデータは通常、膨大なデータと関連づけられる。そしてそれらは、デジタルシステムにおけるユーザの行動ログとこれらのデータパターン認識の観点から抽出及びマイニングされるものがある。また、注意を必要とする異常なパターンの検出と予測モデルの開発等がある。

実行できる一般的なタイプの分析

APIを通じて抽出されたログファイルからのリレーショナルデータによって、ネットワーク分析とそれに関連する構造パターンにおけるノード間の関係のヴァリッドな視覚化。

会話モデル。Wuなどが分析。APIはテーマ別スレッドを可視化するために利用された。ネットワーク分析をし、社会的な繋がりもしくはツイートの拡散についての分析を行う。

Lotanはチュニジアとエジプトの暴動に関連するハッシュタグを含むツイートと、サンプリングされたツイートの公開プロフィール情報をTwitterAPIにクエリした。この情報は拡散と活動に関与した行為者を分類するために使用された。暴動に関する情報はツイッターで入手。

一方で、APIは公式に開かれた情報であるのに対して、LeskovecとHorwitzは生のサーバログファイルを利用して地球規模でMSNを調査し、ユーザの人口統計と地理的位置、通信パターン、及びネットワークにおける同性愛について分析をおこなった。

これらに加えて、情報仲介者はメディア企業自体が生のログファイル分析を行なってデータの表示と個人のターゲティングを最適化するが、これらは学術の領域でほとんど報告されないために、学術コミュニティにおいてはブラックボックスのままである。

総括

総括として、Lotanのモデルは参考になると感じた。APIをやるのであれば、やはり事例に基づくトピックの抽出→構造化という類型を辿るのが筋であるような気がする。もう少しテクニカルな内容であることを期待していたために、やや期待外れであったが、2014年時点での研究のマッピングが行われていることは非常に良かった。

(0111)

今回取り上げる論文


Ouirdi, M. E., El Ouirdi, A., Segers, J., & Henderickx, E. (2014). Social media conceptualization and taxonomy: A Lasswellian framework. Journal of Creative Communications, 9(2), 107-126.

https://www.academia.edu/download/46043663/Social_Media_Conceptualization_and_Taxon20160529-13568-1aro273.pdf

選択理由・内容総括

学会の大会の締め切りに対し、MAXQDAの手配が間に合わないという状況下であるため、今回は改めて研究の目的と手法の妥当性に関する考察を行いたく、今回の論文を採択した。期末発表の際には研究の手法のみに注目を行ったが、研究の全体像を掴むことによって、ディティールを深めたい。

要約

はじめに、本文献の目的はカオスの解明にある。ソーシャルメディアというものの概念をラスウェルフォーミュラを用いて考察するというものである。

ラスウェルフォーミュラを理論モデルとして採択する理由としては、方向性を設けて分析する意図があるようである。コミュニケーションの理解のために、研究者はプロセスを説明するモデルに依存する。その最初の試みはアリストテレスであり、それに2つの命題を加えたものがラスウェルフォーミュラである。これらはコミュニケーション科学において有効なフレームワークとして認められている。本文献ではWu Hofman,Mason&Watts(2011)の研究を例に現代のソーシャルメディアコミュニケーションにラスウェルフォーミュラが有効であることを示している。

本文献は、方向性コンテンツ分析である。コンテンツ分析の要素としては1.関連する文献から直接的にかつ一般的にデータを抽出する手法2.コーディングが関連および拡張されたトピックに対して行われ、理論的枠組みを概念的に検証することが求められる方向性コンテンツ分析3.コーディングを用いた総括コンテンツ分析がある。

本文献ではソーシャルメディアという単語でweb of knowledgeで検索を行う。論文の信憑性等を精査し、179件にまで絞る。その中で、手作業で、「ソーシャルメディアとは何か」という問いに答えうる文章を全て抽出しコーディングする。その中で、引用部分等は省く。コーディングスキームではラスウェルフォーミュラの5つの概念モデルが含まれていることを必要とする。また、コーディングのスキームでは 「why」という項目を追加した。

結果として、いくつかの論点が提示されている。

はじめに、ソーシャルメディアコミュニケーションは「Who」における、発信者、受信者の境界線が曖昧になっている。これらはゲートキーピング理論の図式化の際に示された通りである。(ここにラスウェルフォーミュラを用いることの限界をやや感じる。)

また、「What」ではフォーマット、つまりはテキスト・動画・画像といった形式に着目されていた。

「Channel」に関しては、プラットフォームに対する言及が多かった。また、プラットフォームとテクノロジーを区別する傾向があるように見られている。

また、「Why」の部分に関しては、ユーザが生成したコンテンツを作成、共同作成、交換、共有、議論、変更、消費、伝達、配布することが挙げられている。さらに、社会的コミュニティを形成するようにも作られている。

総括

本文献の手法は本研究で採用する手法と似通った点があるため、非常に有効であった。そして、その都度自らの手法がリサーチクエスチョンを解明しうるかについて検討した。問題はサンプルである。今回取り上げた文献においては、ラスウェルフォーミュラに当たる要素を全て持ったサンプルおよびテキストはなかった、としている。手作業でコーディングを行なったところでこのような結果となるのであれば、テキストマイニングを踏まえつつ論文ベースでダイナミクスを構造化するのはやや無理がある。

(0118)

選択した論文

今年度最後の書評として、今回はこの論文を取り上げる。
Li, R., Rahaman, M. M., Tang, Z., & Zhao, L. (2021). Assessing Social Media Communications of Local Governments in Fast-Growing US Cities. The Professional Geographer, 73(4), 702-712.

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/00330124.2021.1933547?casa_token=z00w3Ulo7N4AAAAA:JnSY0wV6QLTJtpZTwT7J2otNGOpIGGud--u9v_Kon0lwPTIdOXQk3sSjKGxJrb8Cr5PegWl3WgUz


内容総括・選択理由

この1年間、上久保ゼミ生としてソーシャルメディアの研究に注力した。その中で私の研究活動は2回生の活力のないものから一変し、視野に入ることのなかった査読つき学術誌への掲載という新たな目標を得た。春休み中に実証を行い、4回生中の掲載を目指したい。今回採択した論文は、「ラスウェル・フォーミュラの各変数が2つ以上含まれるコミュニケーション」という定義をより細分化、明文化し、研究のコーディングを最適化するために採択した。近年(2023年)の研究において、ラスウェルフォーミュラがどのように評価され、どのように姿を変えたのか、考察を深める。場合によってはコーディング段階で変数設ける、というプロセスにおけるアイディアになるのではないかと考えた。

要約

コミュニケーションには4つの要素が含まれている。チャネル・コミュニケーションエージェント・コミュニケーション内容、効果。これらは古典的n概念モデル、ラスウェル・フォーミュラによって発展している。
チャネルはソーシャルメディアプラットフォームが使用される。コミュニケーションエージェントはソーシャルメディア・ユーザである。彼らはチャネルに参加し、コンテンツには投稿・ディスカッションのトピック・表現された内容が表示される。感情は構造化された方法論で定量化することができる。コミュニジェーションの効果は、コミュニケーション巻の応答と相互作用、エージェントに対する変深夜リツイートの数などのソーシャルメディアメトリクスによって測定することができる。(これらはHoffmanとFordor、BonsonとRatkaiが非常に参考になるらしく、のちに参考にしたい)これらに基づいて、数値スコアリングシステム「ソーシャルメディアコミュニケーション」を開発している。

チャネルに関しては、ミニブログ、ソーシャルネットワーキング、マルチメディア共有、ブログ、その他といったように分類できる。
コミュニケーションエージェントはリアルな主体と仮想空間における主体、どちらも含まれる。つまり、今回の分析においては地方自治体のアカウントと地方自治体そのもの、どちらも該当する。
双方向の情報フローを通じて対話するモデルは、1対多数の関係として単純化することができる。例えば、インプレッションはリーチしているユーザ数を評価する指標として機能する。モデルに適応するためには、いくつかのコーディングが必要である。ユーザ数・規模と運用期間といった処理がない限り、ソーシャルメディアの運用の長いユーザが有利に偏る可能性がある。そして、コミュニケーションの絵お今日は伝達する情報量によって数値化できる。定性的ではあるが、ラスウェルフォーミュラではこの要因を投稿やツイート、写真の枚数といったように多数の定量的変数で数値化できる。


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