オーディオと私:第1回「概説と歴史(草創期-70年代)」
みなさんこんにちは。青木です。
今回は趣味の話をします。そう、オーディオの話です。
オーディオって何?
オーディオといってピンと来る人ばかりではないでしょうから、簡単に説明をします。オーディオとは音楽を聴く手段です。音響機器を揃えて音楽を聴く、これがオーディオの最もシンプルな形です。
最近では「ポータブルオーディオ」といった、イヤホンやヘッドホンを用いたリスニングスタイルのオーディオも人気ですが、ここではスピーカーを使ったものを想定します。
言葉で説明してもわかりづらいでしょうから、ここで私のオーディオシステムをご紹介します。
一般的なオーディオシステムは、音楽を再生するためのプレーヤー(主にCDやレコード、配信の音楽を聴くためのもの)と、それらが出した信号を増幅するアンプ、そして、それらを出力するスピーカーに分かれています。
私のシステムも例外でなく、レコードプレーヤーとSACDプレーヤー、そしてD/Aコンバーター(パソコンの信号を変換するもの)をプレイヤーとして使っています。
アンプは、プリメインアンプという種類のものを使っています。これは、本来プリアンプとパワーアンプに分かれるべきものを一つに統合したアンプです。(ここら辺の説明は難儀なので省略します。)
そして、スピーカーはトールボーイ型のものを使っています。高さは1メートルほどで、学生が住むアパートに置くには、なかなか異様な雰囲気を放ちます。
そろそろお分かりでしょうが、オーディオとは面倒な機材を仰々しく集めて、音楽を聴く趣味、と捉えることもできるかと思います。
オーディオの歴史
草創期
オーディオの歴史は、エジソンの蓄音機まで遡ることができます。1877年に発明された蓄音機も立派なオーディオシステムです。ちなみに、ニッチなオーディオショップでは、当時の蓄音機が販売されることもあります。驚異の部屋を作りたい方がいらっしゃいましたら、ぜひ。
20年代
現在のオーディオの原型となったのは、1920年代の映画館のシステムであるといえます。それまでサイレント映画が主流であったのが転換点を迎えたことにより、多くの人に大音量で音を届ける必要がありました。そのような状況の中出現したのが、現在のオーディオの原型である、アンプでスピーカーを鳴らすシステムです。当時のスピーカーは笛のような形をしており、ウェスタンエレクトリックなどが当時の有名なメーカーです。(現在は数百万、数千万で取引されるほどのものがほとんどです)
また、少々マニアックな話になりますが、この年代のアンプは真空管という方式を採用していたため、パワー不足でした。劇場で大きな音を届けるために、少ないパワーでも大きな音が鳴る、高能率なスピーカーが一般的でした。
50年代
そして、1950年代に入ると、映画館におけるスピーカーの巨大化が進みます。中には建物より大きいスピーカーも出現します。ALTECなどが、特に巨大なスピーカーを発表しています。別名The Voice of Theaterの名で親しまれるALTECの、A2というスピーカはなんと高さ2メートル76センチ、重さが528キロもあります。
1950年代には、家庭用のオーディオシステムも出現し始めました。JBLといった有名メーカーも、この頃に登場し始めています。JBLは現在大変有名なメーカーですので、ご存知の方もいるのでは?また、日本でもPioneerやTechnics、Diatoneといったメーカーも出現し始めています。
70年台
少し飛んで、1970年代。日本のオーディオ全盛期が到来します。
先ほどあげた真空管から、トランジスタという方式を採用したことにより、オーディオのイノベーションは加速します。この年代では、日本のオーディオの哲学と言える「徹底して忠実な音の再現」という思想が生まれたと考えられます。出音できる周波数の限界に挑戦したり、近未来を感じさせる奇妙なデザインであったり、つまりはなんでもアリでした。例えば、TechnicsのSB-7000などは、その典型例と言えるでしょう。ユニークなデザインもオーディオの魅力といえますね。
また、海外ではJBLの4343やB&Wの801(これは私のスピーカーの原型です)といった名器も出現し始めています。
終わりに
80年代になると、オーディオへの技術開発の熱はそのままに、技術が洗練され始めます。さて、80年代の説明に入る前に、今回はこのくらいで終わります。第二回は80年代からの歴史について触れられればと思っております。
(つまりは疲れました)
歴史をある程度カバーできたら、現代にオーディオをする意義等、無責任なことを書ければいいなと考えています。
オーディオは賛否両論という言葉で言い表せぬほどに賛否両論です。そういったカルチャーについてもいつかは触れたいですね。
それではまた、いつか来るかもしれない第二回でお会いしましょう。