じゅんじゅん
「お前はだめだ」と毎日繰り返し言われ続けた子供時代。人が怖くて学校や友達が怖かった。痛めつけられた脳は、人の話が理解できなくなり、文章も読めなくなるほどだったのに、親は全く気付かない。大人になって精神病勃発。発達障害・神経症・統合失調症と言われた。旦那もうつ病・子供は不登校になった。産後・育児の苦悩。脳の低下かける事が常だった事を思い出した…。
へとへとになって子育てしてたけど、今は見守る子育てになり、自分の時間が持てるようになった。主人はうつ病で休職中・子供は不登校になった。皆引きこもり中。だけど、引きこもりができるこの環境は、それまでに溜まったストレスやトラウマを癒す桃源郷のようだ。私が感じた事をシェアします。
発達障害・アダルトチルドレンの私が感じたことをストーリー形式でポエムにしたもののお気に入りを集めました。ファンタジーやアートな雰囲気なものばかりです。
家事・子育て・夫 難問がいくつもやってくる日々 荒波がやってきたり、穏やかな灘の時もある 力を振り絞り必死に泳いでも、大きな波には逆らえない もう力を使い果たした 動けない程 疲れてしまった その時 子供たちは 不登校になった どうすることもできない 力を抜いて浮かんでいると 楽になった 流れに身を任せてみた どんな島にたどり着くのかなあ あれこれ夢ながら 流されよう
江戸時代から日本に連れてこられた猫ちゃん達は、ネズミ退治の仕事があった。 ネズミが少なくなった今、猫の仕事は殆どできない。人のペットとして可愛がられる存在に。しかし、食事を与え育てるのは、苦痛は避けられない。責任が問われるから。当時から誰かが餌をやり、誰かが捨てて、誰かが殺していた。今も続いている。生殖器を切り取ればいいのか。とはいえ、どれも猫への愛情あふれている人間の行為。いいんんだよ!! だが、どれも同じくらい苦しすぎる。猫は半分は自然の生き物で、半分は人間社会を癒してくれる。 みんなで、猫を見守って欲しい。野良猫がのびのびと生きれる環境なら、人間も楽になるから。餌をやるのはいいことだよ。それは当たり前。 でも、増えすぎる猫のリスクを減らしたい。どうしたらよいか皆で考えよう。人と猫が幸せになるように。猫が居るのは当たり前の社会になるように。
今でも、精神的な症状が沢山あり、まだまだ困っています。 仕方のない事ですが、幼少期から成人期の間、実家で育った環境では、そうなるのは当たり前ですね。親からは沢山の愛情を貰っていた反面、攻撃的で不適切な子育ての犠牲になっていたのは確かな事です。ここでは、毒親である父がどんなだったか書こうと思います。 今、父親は78歳。今では、暴言はたまにありますが、暴力はなくなりました。ですが愛情の反面、妻であるわたしの母に、悪態をついたりすることはよくあることです。 わたしが、子供の頃
前回から過去の変な体験を思い出して書いています。今日は子供の頃に痴漢をされた記憶が脳裏に残っていまして、たまに思い出します。いっそのこと誰かに聞いてもらうとスッキリするかなと思って書きます。 小学校の3年生くらときの体験 学校の帰り道の出来事でした。学校のすぐ近くの道を友達と帰っていた時、 白髪まじりのじいさん60代くらいの男がへらへら何か独り言を言いながら歩いていました。 私は、変なおやじだと思って、大胆にもその人をからかったんですよ。 すると、じいさんはわたしに近寄って
10年くらい前、催眠療法のセラピーに行った時、怪しすぎる出来事がありました。今思うとちゃんと事実を調べるべきだったと後悔しています。その出来事の事を思い出したのでお話します。 当時私は、子育て真っ最中でして、育児ノイローゼに溜まりに溜まっている精神問題をどうにかしようとしてもがいてました。 あれこれネット検索してやっと決めたのが、地元にあるヒプノセラピーのHPでした。 見てみると、各地からセラピーを受けに来ていて、お礼のメッセージも多く掲載されており、実績多数でしたので、こ
礼儀作法についてどう思うか? と、武道受講者の同志から聞かれた。 それは、昇段審査の作文の課題であった。 「うーん…乱雑な家庭にいれば、こういう礼節を重んじる場所にきて、礼儀作法をすると、癒されるよー」 家の中は狭くてごちゃごちゃしていた。 野良猫達の保護活動や、不登校の子供達にうつ病の夫 片付ける気力もない。 足の踏み場もないと言ってもいいくらい生活の場は乱雑な状態な時があった。 食事も皆がそろう事は普通なかった。 夫は会社の歯車で不定期な勤務時刻。 ボロボロになって夜中
精神病と戦って自死した家族の話を解禁する事にしました。重い話ですが、同じ苦しみのある方に励みになれたらと思います。死はネガティブに捉えているわけではないですが、生きていたらきっとよくなって楽しくなると思います。 青い浴衣 真っ暗な空に広がる明るい花火 バーン バーン 今までの辛さを夜空に放した と思っていたあの夜 やすは白い浴衣姿 後ろについて歩いている 行き交う人の群れの中だった やすと会話したかったから 何度も振り向いた やすはなぜか 青い光を放っていた やは
娘達は不登校だけど、それに関係なく来年度のPTA役員の申込のお手紙が来た。 全員提出になってるが、去年や一昨年はそれどころではなく、提出を忘れていたので、提出してしなかった。 今年は知っててとんずらするのだろうか。 提出期限はとっくに過ぎている。 PTA役員のコミュは出来るだけ避けたいことの一つだ。 次女が6年生になるまでの間、必ず一回はやる事になっている。 長女が6年生の時、不登校だったけど、なんとかやり終わった。 幸いコロナ化で面倒な活動は半分以上は中止になっていた。
どんな人でも100%の理解は難しい。 長い間自分を責め続け隠していたあの時代。 発達障害という言葉は、当事者の病そのものであり、守ってくれる名称でもある。 やっと苦しんでいた自分を受け入れ やっと、人の温かさにふれ やっと溶け始めた氷をゆっくりと眺める事ができた今日この頃。 私の膿だらけの心が発達障害というかさぶたになり、落ち着きました。 今は神経発達症というそうです。 それを人に話して理解してもらったと思いました。 が、私との会話の中で 「それは衝動性だね。 発達障害なん
近年は高齢出産の人が多いですが、私も36と40で出産したので、 その仲間です。。妊娠まで7年かかりました。不妊治療もしていましたが、 なかなか妊娠しなかった私が初めて妊娠できたのは、 その時、猛烈に恋をしていたのがよかったんじゃないだろうか、と今になって思います。参考になるかわかりませんが、なかなか妊娠しない人がこの話を小耳に挟んでいたらちょっとは違うかなと思ってお話します。 数年間不妊治療を受けての妊娠でしたので大喜びでした。 わたしでも妊娠できるんだーと普通の女の人の仲
うつ病の夫は、仕事に行くようになりました。 ですが、職場の人と何かしゃべらなきゃと、疲れるから職場に行きたくないそうです。確かに他人と一緒にいると気を遣いますよね。 人と一緒に過ごす時、職場での時、どのようにして会話したらいいのか、どう過ごしたらいいのか、発達症でコミュ障の私が考えたことをお話します。 夫はうつ病で休職していたけど、今年度から仕事に行くようになりました。 だけど、休むことも多くて、年休は使ってしまう勢いです。 休みたいときは思い切り休んだ方が、 効率がいい
真っ暗の中 うっすらと空が明るくなってきて 紅色の雲が少しずつ現れる もう間もなく闇が開けようとする この瞬間が最高に、気持ちいい 夜明け 服を着て 帽子をつけて 手袋をつけて ドアを開けたらもう終わっていた 今日は あれこれ支度もせずに ぱっと外に出てみると あの 漆黒の世界に入れた 冷たくて真っ暗な中を グラウンドまで走った ほどなくして 空はうっすらと細い雲が顔をだした ほどなくして ふわふわの赤ワイン色 やっと この瞬間
不登校の子が行く公的な学校に行ってみました。今までの公立の学校とは真逆な教育方針で、個々のニーズを尊重したやり方だと知り、衝撃を受けました。 不登校の子供のための公的な学校は、学びの多様化学校というそうです。 いわゆる不登校特例校と言われています。 ここでは、この学校の事を学園と呼ぶことにします。 うちの子小2と中一はもう不登校になってから2年くらいになります。 小2の次女は不登校の長女に影響されてということもあり、入学式も行ってません。 最近長女が、このまま学校に行けず
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