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ネコのこと 虎太郎のこと 007


残っていた晩年の写真なので可愛くないけれど
本当は可愛い猫だった

 チャペは、拾ってきた猫だったから、もちろんミックス。シャムネコっぽい艶々した茶色、足はまるで靴下を履いたように真っ白。とても可愛い雌猫だった。

 ご飯とトイレの世話は僕の母親が一手に引き受けていたので、当然一番なつかれていたのは母親だった。よく母親に抱っこされていて、そこがチャペの特等席だった。
 基本的には母親を一番好きな猫なのに、寝るときはなぜかいつも僕の部屋に来ていた。冬の寒い時期には布団の足許に潜り込んで寝ていたし、暑い季節は足許にちょこんと寝ていた。

 家飼いの猫だったけど、たまに家を脱出して小汚くなって帰ってくる猫。(ときにはその辺の外猫とケンカして怪我をして帰ってくることも)小汚きなくなった猫をお風呂できれいにするのは、僕の父親の役割だった。案の定、風呂嫌いな猫で、それはそれは大騒ぎ。「何しますねん。いてまうぞ。」(たぶん)と、洗われている間中泣き叫んでいた。
 洗い終わった猫を引き取って母親がバスタオルで水気を取る。その後ドライヤーで乾かすのが僕の仕事。
 父親はずいぶんと割の合わない役目をしていたので、それほどなつかれなかったけれど、車いす生活になった晩年には、チャペはいつも父親に抱かれていた。

 なにやら「猫の30年寿命計画」みたいなものがあるらしく、そんなに長く生きるんかいな、と思うけれど、チャペは長く生きた。
 弟が実家に連れて来てから弟が亡くなるまでの14年。その後父親が亡くなるまでの7年。その後の2~3年(正確には覚えていない)。預けてきたときに1歳だとすれば、23~24歳まで生きた。人間にすれば100歳を超えたことになるのか?

 正月帰省したときのチャペは、骨と皮だけのようにヨボヨボで、目も見えてないようだしご飯も食べられないような状態だった。僕は心の中で「今すぐに死ね。そしたら僕が最後のことを全部やってあげる。」と呼びかけたの
だけれど、そう簡単にはいかなかった。
 職場のある東京に戻って数日後、「チャペが死んだよ。」と母親から電話で知らされた。箱に入れ、ペットの火葬場に連れて行ったそうだ。


チャペの話はそのぐらいでいいだろ


 

 
 






 


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