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オルタナティブとは「逆張り」である
「オルタナティブ」という言葉が音楽シーンに定着した1990年代、その定義を巡る混乱は常に付きまといました。直訳すれば「代替の」や「別の選択肢」となるのですが、当時のリスナーが真に求めていたのは、既存の価値観への「反抗」という精神性でした。
なので、僕の思う訳し方は「大衆に迎合しない」とか「逆張り」という意味だと思います。
それを理解するためにも、90年代ロックの歴史をざっくり振り返ってみましょう。
まずはニルヴァーナです。
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ヨレヨレのネルシャツに身を包むファッションでステージに立った彼らの姿は、ラメの衣装をまとったハードロックバンドたちへの明確なアンチテーゼとして映ったはずでしょう。
彼らの音楽は、パンクの荒々しさとメロディックな感性を融合させつつも、商業主義的な「魅せ方」を徹底的に排除してました。
例えば1991年にMTVで放映された『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』のミュージックビデオでは、意図的に画質を劣化させ、ロサンゼルスの高級スタジオで撮影しながらも、カルト宗教じみた不気味さを演出してます。
音楽的な特徴としては、何より「ピロピロギター」「ハイトーンボイス」の排除が挙げられます。
「魅せプ」でしかないトリッキーなギタープレイや、いかに高音を出せるかの勝負のようなものを省くことで、楽曲自体に忠実であり続けようとしました。
こうした姿勢は、当時の米国チャートを席巻していたポイズンのやウォレントが描く「ロックスターのファンタジー」とは対極に位置してました。
オルタナティブの核心は、まさにこの「大衆に迎合しない姿勢」にあったと言えます。
そしてニルヴァーナは一躍シーンのトップに躍り出て、アメリカ中でグランジ旋風が巻き起こっていた頃、大西洋を隔てた英国では、異なる形で「逆張り」の文化が育まれていました。
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ブラーが1992年にリリースした『モダン・ライフ・イズ・ラヴィッシュ』は、米国進出を狙いながらもグランジ旋風に飲み込まれ、全米チャートで100位以下に沈んだのです。
この敗北が転機となって、フロントマンであるデーモン・アルバーンは「英国らしさ」の再定義に着手し、ザ・キンクスやスモール・フェイセスといった1960年代モッズ文化の系譜を継承するスタイルを確立します。
さらには、もう1組の主人公が現れます。
それがオアシスです。
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1994年にリリースされた『live forever』で放った「生への渇望」は、ニルヴァーナの死生観への明白な対抗でした。
ちなみに両者のファッションは薄汚れたネルシャツなんかではなく、小洒落た「ジャージ」姿でした。
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こうして彼らはグランジ、ひいてはアメリカの業界に「逆張る」ことで、瞬く間にイギリスの国民的スターとなるわけです。
それはやがて「クールブリタニア」というアートや映画業界まで巻き込む文化的ムーブメントとなり、1997年に行われた選挙では、これらのムーブメントを政策に応用した労働党 党首トニーブレア氏が保守党に圧勝する形を見せました。
しかしここで、さらなる『逆張りバンド』が現れます。
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そう、レディオヘッドです。もちろん『The bends』の時点で革新的なギターサウンドを確立していたわけですが、ブリットポップ全盛の時期であったため、彼らは取り残されていました。
しかし1997年、3作目となる『OK コンピューター』が突きつけた現実は、こうした楽観主義すらも粉砕しました。
彼らが描いたのは、テクノロジー監視社会やグローバル資本主義の矛盾といった、新自由主義の闇の側面です。
たとえ好景気であろうが、抱いてしまう不安や世の中の暗い部分に目を背けるとこなく、写し出したわけです。
まさにブリットポップに対する『逆張り』であり、そんな彼らの躍進は、ブラーとオアシスの失速に取って変わることとなります。
この恐るべき先見性は4作目の『キッドA』で、さらに孤高の存在へとのし上がります。
この作品で電子音楽へ転向したのは、ロックという形式そのものへの懐疑からでした。
ピッチフォーク・メディアが同作に満点を付ける一方、一般リスナーからは「難解すぎる」との批判も噴出しました。
もはや『逆張り』は大衆と断絶する芸術的孤高へと変異し始めており、かつてグランジが持っていた「共有可能な怒り」は失われていましたのも事実です。
時を同じくして、2000年代に入るとアメリカではニューメタルが台頭しますが、これらはオルタナティブの亡霊に過ぎませんでした。
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特にリンプ・ビズキットなどにみられる過剰な男性性の強調は、むしろ1980年代のマッチョ主義への退行を思わせました。
音楽面に関しても、グランジのラウドな側面だけを持ってきただけの楽曲が多く、進歩的な側面が失われてるとの声もありました。
一方で、ストロークスなどに代表されるガレージロックリバイバルもあったわけですが、アメリカのラジオ局がニューメタルを推したことで、局所的なムーブメントに終わってしまいました。
その後に現れたのは、一部の「本物」を除いて、カリスマ性の乏しいナードな音楽オタクが大半を占めており、カート・コバーンやリアム・ギャラガーのようにシーンを引っ張る請求力を持った人は現れませんでした。
つまり『逆張り』をし続けると、やがてそれらが持つパワーは失われていき、かといって保守的な音楽性に戻るのは刺激的ではないため、いつの間にかロックはしがらみが多くなり、超えるべきハードルが高くなってしまったという見方も出来ます。
さて、次回は近年のJ-popとオルタナの関係性を解き明かしていきます。お楽しみに。