「APT.」はアウトキャストの「Hey ya!」と同じくらい名曲なのかもしれない
今年のKpopはaespaの躍進とnewjeansの不安が目立った年だが、ここに来てそれを全てかき消してしまうような大本命が登場した。
リリースから3週間くらい経ってレビューという、だいぶ出遅れた事をしてるのは承知だが、そもそもこの楽曲に対する批評がSNSを見渡してあまりないと感じたので、言及していこうと思う。
なぜならこの曲が持つパワーは、かの名曲『Hey ya!』と同じじゃないかと感じたからだ。
※こじつけに思われる内容も含んでるので、異なる意見が出るやもしれません
○そもそも『Hey ya!』はなぜ名曲なのか
日本では余り知名度がない楽曲だが、アメリカでは評論筋も認める2000年代最高の楽曲の1つである。
Rolling stone誌の最も偉大な楽曲ランキング(2021年版)でも10位にランクインするほど人気なのだ。(無論、流石に10位は過大評価な気もするが)
俺が思うこの曲の最もすごいところが、Prince的手法でMichael Jacksonと同じ土俵に立とうとしたことだ。
ここでいうPrince的手法というのは、リズムを骨格的に捉えて、その血肉として、ファンクやポップ、ロック、そしてヒップホップなど異なるジャンルを混ぜ合わせ、ごった煮にしたサウンドを生み出すというものである。
ちなみに、こういったサウンドはスライストーンに端を発するものであるが、アメリカのポップシーンのど真ん中でそれをやり遂げたのはプリンスである。
この曲もその手法を踏襲しており、90年代後半から2000年代にかけての南部の臭いを感じさせる粘っこいビートとフロウながら、非常にフックはメロディアスで、ギターの音も入ってる。
そして間に挟まるコーラスは非常にソウルフルだ。
文化として閉鎖的になりがちなHIPHOPシーンにおいて、ここまで多国籍、ひいては無国籍を感じさせるようなサウンドを展開できたのは、アンドレ3000の鬼才さゆえであろう。
そしてそれはマイケル・ジャクソンのイズムすらも受け継いでいる。
つまり、白人・黒人といった境界を消し去り、全ての人類に響くポップスを生み出すという究極の命題である。
今作はリリース直後、たちまちチャート1位をとり、ビヨンセの「crazy in love」と共に2003年最大のヒット曲のひとつとなった。
まさに、人種の垣根を越えて愛された楽曲だということの証明である。
そしてそれは、 ミュージックビデオのインパクトという面からも語れる。
1964年のビートルズの「エド・サリヴァン・ショー」出演時を意識した構成で、アウトキャストのアンドレ3000が全メンバーを演じるユニークな形式を取っている。
過去のポップスへの敬意を表しつつ、これからは俺たちの時代だと言わんばかりにラップを披露する姿は、時間と空間さえも跨いでしまうように感じられる。
〇 APT.とHey yaの類似性
それを踏まえて「APT.」と「Hey Ya!」は、異なる音楽ジャンルや文化的背景に基づいているものの、いくつかの重要な共通点がみられる。
それはどちらの作品も、多文化性、言語や表現形式の融合、そして視覚的インパクトを備えている点だ。
ROSÉはニュージーランドで生まれオーストラリアで育った背景を持つ。
さらに、ブルーノマーズは、父親がニューヨーク出身のプエルトリコ人と東欧系ユダヤ人のハーフで、母親はフィリピン出身で、自身はホノルルの地にて生誕するという、もっと多様な背景を持っている。
どちらも言語や文化に対してしっかりと境界を区別する力を持ちながらも、その気になれば気軽にミクスチャーできるマインドを持ってることは、今までのキャリアで証明済みだろう。
そして両者が対面したことで、これまでのKpopを振り返っても屈指の化学反応が生まれた。
そもそもこのAPT.というタイトルには、英語という外来語が韓国の文化圏に入り込み、「아파트(アパトゥ)」という韓国語特有の発音の面白みを持つ独自の単語として生まれたストーリーがある。
何気ない言葉でさえも、文化の壁を超えて運ばれていくことで、新たな魅力を生み出す可能性があるのだ。
そしてそういった単語を曲のタイトルし、「アーパツアーパツ♪」と口ずさむことで、さらに魅力を再生産していく。
言語の垣根を超える、というよりかは、双方でのやり取りこそが新しい文化を生み出すのだ。
言葉を1つの音の響きとして楽しむことで、リズムとメロディの一部として機能するという原始的な音楽のダイナミズムすら再認識させられる。
そしてそれは、『Hey ya!』も例に漏れず、「Shake it!」のリフレインと、開放感溢れる「Hey Ya~」というサビとのコントラストが顕著で、単語そのものが中毒感あるグルーヴを生み出すというダンスチューンになっている。
ビートに関しても、どちらも粘っこいグルーヴで、「APT.」はクライマックスにつれてノイズのあるギターが入ってきたりとただのアイドルポップに収まらないインディ味溢れる工夫が随所に施されており、対する「Hey ya!」も当時のインディーロックやエレクトロと共鳴するような愛すべきものに仕上がっている。
また、人気の広まり方、楽しまれ方も非常に似ている。
「APT.」は公開と同時にSNSで爆発的に広まり、ダンスカバー、歌唱、翻訳など、さまざまな形でリスナーが音楽に「参加」する形を提示した。
「Hey Ya!」もリリース後、瞬く間に世界中でヒットし、クラブやラジオで定番の一曲となり、その普遍性は世代や国境を踊れるナンバーとして存在感を誇った。
このように、かなりこの2曲の精神性と普遍性は近しいものを感じるのだ。
○日に日に影響力を増していくKpopアイドル
ここからは、少し話が逸れる。
かつて、2021年にBTSが活動休止を発表すると聞いた時、当時の私は少しもどかしくなった。
なぜなら、これまでのKpopのエンタメ戦略というのは、韓国の国家規模でのプロジェクトだったからだ。
振り返ればその無謀ともいうべきプロジェクトは90年代末から始まっていた。
ダンスポップの確固たるノウハウすらない中で、この20年以上もがき続けてきたのだ。
そりゃS.E.SやBoA辺りは日本人でさえ「垢抜けてねぇなw」と思うほどの、コテコテのニュージャックスウィングだった。
だがBIG BANGや少女時代率いる第2世代は
EDMに湧く欧米圏を真っ先にマーケットとして捉え、良質なエレクトロポップやダブステップを量産した。
そして来たる第三世代は本格的に海外ポップスを踏襲し、歌唱・ダンス・サウンドプロダクションという3つの側面を究極的に追求した総合エンタメを海外に向けて輸出。
アーティスティックな面は一旦置いておいて、純粋なポップスとしての総合力という点で世界では負け無しの実力を有するようになっていたのだ。
長年の数の暴力と熾烈なビジネス競争によって、何人ものアジアのスターを生み出したのである。
そしてその最高峰がBTSやBLACKPINKである。
ここまで来ると、もはや彼らがどうやって我々のアジアンコンプレックスを打ち消してくれるのか応援したくなってしまったのだ。
2020年の「Dynamite」の世界的ヒットはあくまで通過点に過ぎない。
もっと活躍しろ!と思っていたのだが、兵役というシステムにより、あっさり活動休止という形を取ってしまったのだ。
今が絶好の機会なのに…なぜここで歩みをとめてしまうのだ…と もどかしくなっていた。
だが結局それは私の身勝手な杞憂に過ぎなかった。
彼らのファンダムと欧米からの注目は活動休止ごときで消え失せるほど脆いものでは無かったのだ。
昨年のグクの「Seven」,テテの「slow dancing」,そして今年になるとジミンの「Who」などがSpotifyのグローバルチャートで1位をとるという健闘を見せた。
そう、ソロの状態にも関わらずここまで人気を保っているのだ。
そしてそれは今回のロゼの新曲で改めて実感した。
ブルーノマーズとのコラボ曲「APT.」はリリースされるや否や一気にチャート首位まで駆け上がり、youtubeでのMVの再生回数は3億回以上ある。
もはやKpopというジャンルは現代のモダンポップを定義するものですらなく、西洋に対するアジアの音楽の注目度を高め、我々が抱える西洋コンプレックスすらもかき消してくれるのではという期待すら覚える。
黒人がマイケル・ジャクソンというスターの座を夢見たように、我々も集団とはいえ彼らの活躍ぶりを見ることで海外への野心が高まっている節がある。
そりゃ日本含めアジアの音楽シーンは非常に豊潤で、歴史性をしっかり備えたものであり、ゴールはまだまだ遠いように思える。
だが、その道のりはあと20年あれば辿り着けるんじゃないかとも思っている。
つまり、ここ数年の動きは未来にとって非常に重要なターニングポイントなのかもしれない。