映画『めくらやなぎと眠る女』(日本語版)を観てきました

こんにちは。
鴨井奨平です。

川越スカラ座に映画『めくらやなぎと眠る女』(日本語版)を観に行きました。
私は村上春樹さんの小説の大ファンで、文庫になっている村上さんの小説やエッセイは全て読んでいます。彼は私が最も尊敬するクリエイターです。
この映画では私の好きな短編作品、『かえるくん、東京を救う』、『バースデイ・ガール』、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』が映像化されているということで、とても楽しみにしておりました。
結論を申し上げますと、「村上春樹ファン」として映画『めくらやなぎと眠る女』(日本語版)はかなり楽しめました。村上春樹さんのマジックリアリズム小説を映像化するなら、実写よりもアニメ作品の方が合っているかもしれませんね。
以下、この映画の内容について感想を述べようと思います(ネタバレ有りです)。




映画『めくらやなぎと眠る女』は、村上春樹さんの複数の短編小説を一つの物語として翻案した映画です(映画『ドライブ・マイ・カー』と同様のスタイルですね)。
一方で、『かえるくん、東京を救う』だけは、一つの独立した作品として語られていた印象です。
なのでこのエピソードに関してはテーマ等を理解しやすかったです。
人知れず「悪(=みみずくん)」と命をかけて戦う者の必要性。その存在は賞賛されることはなくとも、人間社会には欠かすことができない。
長編小説『ねじまき鳥クロニクル』と同様に「『悪』との対峙のしかた」についての物語です(90年代の村上春樹さんは「悪」に関する文章をいくつか記していました)。
「かえるくん」のデザインも可愛くて良かったですね。

一方でその他の物語は、別々の短編小説を単一のキャラクターの物語に仕立て直して語られていたので、「一つの物語」としての主題を掴むのに中々苦労しました(原作の物語を知っているぶん尚更)。私もあと一回は映画を観ないとそれを把握できないと思います。でもこの一筋縄ではいかない“わかりづらさ”も「村上春樹らしさ(そして魅力)」と言えるので、全くマイナスポイントではありません。
ですがこの物語は、「小村」の親友(そして「キョウコ」にとっての元恋人)の不在がもたらす話であると思います。家から居なくなった「猫」はその彼のメタファーなのでしょうか。
そしてその「彼」(あるいは「彼の不在」)は何のメタファーなのか、それがこの物語を解き明かすキーになるのではないかと私は踏んでいます(もちろん違う可能性もありますが)。

そういった課題が私には残されていますが、私は映画『めくらやなぎと眠る女』(日本語版)をとても楽しむことができました。
村上春樹さんの他の小説もこれからアニメ化することがあったらおもしろそうですね(日本よりも海外でのアニメ化の方が面白そう)。
個人的には、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『1Q84』とか良いんじゃないかと思います。

今回はこのへんで筆を擱きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?