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『ドリーム・シナリオ』を観てきました。

こんにちは。
鴨井奨平です。

公開前から話題となっていた映画『ドリーム・シナリオ』を近所のシネコンで観てきました。
アリ・アスター氏が何枚か噛んでいる作品ということで、どんな風に心をモヤモヤさせてくれるのだろうかと期待して劇場に行きました。
以下、がっつりネタバレ有りの感想を記します。








『ドリーム・シナリオ』、まずアイディアが秀逸ですよね。私は自分でも映画を撮ったりして、「ストーリーテラー」を自認しておりますが、こういう着想は中々得られません。この題材を思いつける発想力は素直に羨ましいですね。
一方で、この物語の本質を捉えるのは中々難しいのではないかと思います。「夢」を題材としているだけあって、捉えどころのない映画であると思います。ずっとモヤモヤしっぱなしでした。「どうして多くの人々が同様の夢を見るようになったのか」も明かされませんからね。
しかしそんな『ドリーム・シナリオ』ですが、「どんな話だったのか?」について私なりに考えてみようと思います。

まず、劇中で世間の人々が一斉にポール・マシューズ(ニコラス・ケイジ)の夢を見るようになりましたが、その夢の内容は「ポールの欲望」と微妙にリンクしているのではないかと思います。
物語冒頭、ポールは世間の耳目を集めたいと密かに思っていたはずです。大学教員としてのみキャリアを終えることを良しとせず、本を執筆しようとしていた。かつての同僚が自分のアイディアを剽窃して名声を得たことに激しく怒っていたのも、この「名誉欲」が理由の一つであったのだと思います。その時、世界の人が見ていた夢は「ポールが夢の中にただ現れる」というもの。それによりポールの名誉欲は見事に成就されました。
しかしこれにより、ポールの欲望は肥大化したのではないかと思います。やがて「ポールと性的な行為をしている夢」を見る者が現れた。これはポールの欲望が、名誉欲から変質したことを表現しているのではないでしょうか。
そして次第に、夢の中に現れるポールが他者に危害を加えるようになりますが、そのタイミングというのは、ポールが他人に少なからぬ憎悪を抱くようになってからでした。そしてその夢を人々が見なくなったタイミングは、ポールが現実の世界で実際に人を傷つけてからだった。これはある意味、「ポールの欲望が現実に成就された瞬間」だったのだと思います。
つまりこの物語においては、「ポールの欲望が世間に筒抜けだった」ということです。そしてそれによりポールは追い込まれた。
このことから何が言えるのかというと、「心の中まで清廉潔白を求められる現代社会」への批判が、『ドリーム・シナリオ』には込められている、ということです。
もちろん私だって、「心の中はどんなに邪悪でも良い」なんて思ってません。(例外はあるかもしれないけど)「心は優しい」方が良いに決まってるし。しかし本来人間というのは、その言動に対して責任を負うのであって、頭の中にまで責任を求められるものではありません。どんなことを考えようが、(考えるだけなら)人間は自由です。倫理と常識に従った言動さえとっていれば。
しかし現在は、「心の中までクリーンでいる」ことを強く求められている気がする。『ドリーム・シナリオ』は人の心の中にまで干渉するような社会の空気感に対する警鐘なのではないでしょうか(一応言っておくと、「正しさ疲れ」や「ポリコレへの反動」とは全然違う話ですからね!)。

憎悪渦巻く現代において以上のようなテーマが如何程の妥当性を持つかは定かではありませんが、少なくとも私は『ドリーム・シナリオ』からこのようなメッセージを受け取りました。
それにしても、次々と挑戦的な作品を発表するA24は本当にすごいですね。
私も続きたいものです。

今回はこのへんで筆を擱きます。

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