蝋燭の灯りのもとで
「こわがらないで…」
眠りに誘うような声が首筋をなぞった。
肌の上を見定めている。鎖骨を指で触れ、肌の特に柔らかい箇所には唇をつける。温かみの無い身体の感触が、かえって気分を落ち着かせていた。やがて首のすぐ下から肩へ歯を立て、唐突に、やはりというべきか頸動脈の辺りを噛んだ。
「痛い? 」
問いかけに小さく首を横に振った。
伸びた犬歯が皮膚に食い込み、穴を開け、肉の下に埋もれた血管に齧りついた。傷口からは鮮血が滴っている感覚がある。水よりも粘度のある錆びた匂いの液体は間違いなく身体の外に流れていた。白い服の襟元に血がゆっくりと染み透る。
形容し難い痛覚だった。
「嬉しい。もう、少しだけ……」
深い洞窟の中で遠くから僅かに反響するような囁き声、全身が彼女の声に包まれる。
脈拍の韻律に乗せて、血液は噴き出し、彼女はその律動に合わせて器用に吸い上げていく。
しかし吸血という言葉はどこか当たっていない。彼女の口から傷口になにか多幸感を催す物が注入されている。これは、……そうだ、アブサンを飲んだ時のような。視界が歪み始め色彩が灰色になりつつある。彼女の見ている世界は……。
あと数分もすれば意識を失うだろう。だが少しも不快な気持ちはない。吸血鬼の髪は銀色に艶めき、頬をくすぐっていた。目を閉じ、力を抜き、全てを委ねた。
「大丈夫ですか? 」
色彩が元に戻っていた。蝋燭の灯りが眩しく感じられた。縦長の瞳孔が視界に入った。口許の血液を手の甲で拭き、片腕を枕にして頭を抱えてくれていた。後頭部からは先程は感じられなかった温もりが伝わってきた。
「……どうなった? 」
声を出した途端、喉に灼けた渇きを覚えた。
「どうにもなってはいません。あなたはあなたのまま」
彼女は唇を重ねてきた。歯が当たり音を立てた。少し照れたのか、俯いてまた口許を拭った。
あれほど蝋のように白く見えた彼女の皮膚に、自分と同じ肌色の温かさを想った。