澁澤龍彦の文章
澁澤龍彦で最初に読んだものはサドの抄訳で河出文庫の『ソドム百二十日』である。その卓越した翻訳に心を動かされたかといえば、そういうわけではなく、巻末のあとがき(解説?)の饒舌さと文章の流麗さにまず驚いた。この訳者は何やら蠱惑的な文章力だと感心したことを覚えている。
読書自体、ひどく主観的なものであるから、文士の文章について門外漢がくだくだと述べることは当を得ない。しかし、それでもやはり澁澤の筆致は優れていると言っておきたい。
では何が優れているのか、あるいは優れていると我々は思わされるのか。
私はその長文の韻律にあると感じている。句点から句点までの間に見られる詩的韻律、絢爛な衒学を活かした文体も、これは文章のリズムを整えるためのものである、と言い切ってしまいたいほどだ。
たとえば澁澤の文中、就中エッセイには副詞が多く登場する。修飾的な文体と感ずる点もここに起因する気がしている。
いくつか澁澤の優れた文を引用してみたい気もするが、今はまだやめておく。
古来からの五七調や、日本人の得意な四拍子等、いずれ比較してまとめてみるのもすこぶる面白かろう。
文章力は練習や経験に比例するものらしいが、どうにもそればかりではないと私は思っている。村上某だったか、文才は持って生まれたものであるとの言葉を聞いたことがある。
澁澤もこれに恵まれたものであることだけは、現段階においても、まことに疑いようもあるまい。