自民党 怨念の系譜 小泉純一郎
1.敗北・屈辱の政治家人生
小泉の政治家人生は、反主流派色が極めて強く、敗北、敗北の連続であった。最初の選挙では父 純也の地盤を受け継いだにも関わらず、なんと落選。
その後、福田赳夫の秘書を勤める。福田は小泉を「こいつは意地の強いやっちゃ。なかなかしっかりしとる。だから、大物になったら、とんでもない大物になるけど、はぐれたら処置ない奴ぜぇ」と評した。
次の選挙では見事当選。一貫して福田派(清和会)に属し、福田と対立する田中角栄を堂々と批判したが、結局福田は田中に敗れた。
中曽根政権末期、福田派を継いだ安倍晋太郎をポスト中曽根の後継総裁に擁立しようとした。しかし、安倍は総裁選を避け中曽根による推薦に期待を寄せた。すると中曽根は安倍ではなく竹下登を指名してしまった。福田の敗北に続いて安倍も敗北。小泉は安倍に対し、「だからあんた、甘いんだよーッ!」と机を叩いて激昂した。この時中曽根にも怒りを覚えたのであろう。後に小泉は中曽根に苛烈な仕返しをすることになる。
若手時代から郵政民営化をたった一人で主張。宮澤内閣の郵政大臣に就任した時、郵政族や郵政官僚から猛攻撃を食らった。笹川尭 政務次官は「こんな大臣の下でやっていられるか」と言い放ち、郵政官僚は組織をあげて小泉を完全無視。大臣室には孤独な時間が流れた。小泉はガランとした大臣室でクラシックを聴いたり動物ドキュメンタリー番組を見るなどして時間を潰した。この時の小泉の怨念は深かった。秘書官の飯島勲は「もし孤独に耐えることが政治家の能力だとすれば、小泉の力は、桁外れだった」と述懐している。
2.権力闘争
第一次内閣の時、党三役には最大派閥橋本派(田中派、竹下派の後継派閥)を一切入れないという、いきなり「驚天動地」の人事を行った。人事に最大派閥の意向を反映させないなどあり得ないことで、小泉の師、福田赳夫でさえ田中派の意向を汲んだし、安倍晋三も反主流派の石破茂を幹事長に起用しているので、小泉の人事がいかに常識破りだったかが分かる。同時に橋本派への強烈な敵愾心が見て取れる。
反主流派は猛然と反発したが、人事は総理総裁の専管事項のため本来的には何の問題もない。しかし自民党には派閥間のバランス調整によって人事を決める慣習が根付いていたから、党内が小泉批判を強める結果となったのは当然だった。慌てた森喜朗や青木幹雄は橋本派との協力を提唱したが、小泉はこれを峻拒。それどころか反主流派との闘争を煽ることで、「抵抗勢力と戦っている小泉」像を作り上げたのである。挙党体制などまるで眼中にないこの姿勢には、「反対派はどこまで行っても反対なんだよな」という小泉の割り切った性格がよく表れている。
小泉の政局での行動は、基本的にこの手法に依拠するものであり、その結果小泉内閣の支持率は1度も30%を下回ることがなかった。逆に、反主流派は世論の後ろ盾を得ることができず、中には小泉人気にあやかって選挙に勝とうとする議員すら見受けられた。
橋本派が分裂した最大の理由はここにあり、小泉政治をあくまで否定する野中広務と、選挙を有利に行うため不承不承小泉を支持する青木幹雄との対立が決定的となった。これによって党内最大勢力を誇る橋本派は瓦解した。反主流派と妥協するのではなく、あえて闘う。予想外の行動に反主流派はどよめいた。
3.権力基盤
姿勢方針演説では「旧郵政省の訳の分からない論理は、小泉内閣には通用しない!」と机を叩きながら熱弁。民主党代表 鳩山由紀夫からの「一体その抵抗勢力とは誰のことでしょうか?」という質問に対しては「私の内閣の方針に抵抗する勢力、これは全て抵抗勢力‼︎」と言い放った。
とはいえ、初期の小泉内閣の政治基盤は脆弱であった。秘書の飯島は「3ヶ月持つかどうか、必至だった」と打ち明けている。とても郵政民営化などできる情勢ではなかったのである。その小泉政権を支えた要素として、竹中平蔵、飯島勲の2点が挙げられる。
竹中平蔵は経済財政諮問会議を駆使し、時には財務省や自民党からの要求を突っぱね、経済政策における官邸主導体制を作り上げた。
竹中は諮問会議前に、数人のメンバーと協力して「骨太の方針」原案を起草し、小泉に事前報告するという根回しを必ず行った。そうすれば諮問会議の流れがスムーズになり、そこで決めた方針を閣議に計ることで小泉直結でトップダウンでことを運ぶことができるからだ。
党内調整を無視する諮問会議に対し鈴木宗男など反主流派は反発したが、小泉は「気にせずどんどんやってくれ」と竹中にはっぱをかけた。財務次官が慌てて官邸に乗り込み再考を促したが、小泉は受け付けず、「これは権力闘争なんだ。角福戦争以来、橋本派に至る田中派系の派閥と一貫して戦ってきた政治家は俺しかいないじゃないか。連戦連敗だったが、今度は俺が権力を握ったんだから」と語気を強めた。小泉の田中派への怨念はまことに凄まじい。小泉に党内融和を求めるなど不可能であった。
内閣改造の時期になると、森喜朗と青木幹雄は竹中平蔵の更迭を条件に党内の取りまとめを約束したが、小泉はむしろ竹中に金融相まで兼務させる内閣改造を行った。党内でクビ論が強かった竹中を、あえて格上げする逆張り人事である。
2つ目の飯島勲に移る。首相秘書官の飯島は各省庁から参事官と秘書官を起用することで官邸の強化を図った。また、独自の手法で閣僚候補の「身体検査」を徹底して行った。スキャンダルがあればすぐに反主流派が攻撃してくるからだ。小泉内閣の5年間、飯島に完全な意味での休日は1日も無かった。表は竹中、裏は飯島、まさにこの2人を車の両輪として小泉はその基盤を強めていったのである。
田中真紀子外相を更迭した時は内閣支持率が急落し、反主流派はここぞとばかりに小泉攻撃の様子を見せたが、小泉は「皆、よってたかって俺を引きずり下ろそうとしているんだろう。内閣総辞職などしない。そこまで追い込まれたら、絶対に衆院解散・総選挙を打つ」「自民党が小泉内閣をつぶすか、小泉内閣が自民党をつぶすかの戦いになる」と厳然として譲らなかった。
このような状況だったので、2003年の自民党総裁戦では、再戦を目指す小泉と反主流派との激突が予想された。
党内分裂を恐れた森と青木は、内閣改造、党役員人事で反主流派と手打ちして挙党体制を確立するよう提案した。
しかし小泉は、マニフェストに構造改革の内容を記載するという、反主流派を逆撫でする行動に出た。野中広務は「思い上がりも甚だしい!そういうことを言わない総裁を選ぶ」と激怒した。それでも小泉は「対決型の総裁選を恐れているのは俺じゃない。「抵抗勢力」の方なんだ」とどこ吹く風。
反主流派は何が何でも総裁選で小泉を引きずり下ろそうとする。すると小泉は、自分が総裁選で敗北した場合、解散総選挙に打って出ると脅しをかけてきた。総裁は辞めるが、総理は辞めないというのである。もしそうなれば政界再編になり、総裁を失った自民党は大混乱に陥る。「青木さんはおそらく分かっている。心配しているんだ。反小泉勢力が暴走して、行き着くところまで行けば自民党が壊れてしまうと」
総裁選を巡って、反主流派は小泉支持と不支持とで分裂。結局、反主流派の一部からも支持された小泉は総裁選で再選され、そのまま解散総選挙に打って出た。総選挙は与党の絶対安定多数確保という結果となった。これで小泉は自身のマニフェストが支持されたという、錦の御旗を立てることが出来た。小泉との政争に敗れた野中は、小泉政治との決別のため政界引退を表明。また、かつて安倍晋太郎を後継総裁に指名しなかった中曽根を力づくで引退に追い込んだ。党内基盤を固めた小泉は、いよいよ宿願の郵政民営化を政治日程に乗せることになる。
4.郵政民営化戦争
とはいえ、綿貫民輔、亀井静香、平沼赳夫など、反主流派にも力のある政治家はまだうようよいる。予断は許されなかった。
政調会長の額賀福志郎が党内の意見集約に努めたが、小泉は「党が了承するわけないだろう。無理してまとめなくていい」と言い、額賀を驚かせた。党が反対してきても、郵政民営化法案を出すぞ、という意気込みだ。実際、与党の事前審査を行うことなく閣議決定を強行、加えて新設の郵政民営化担当大臣に竹中平蔵を任命した。新幹事長には「イエスマン」の武部勤を、選挙の総指揮を務める総務局長には二階俊博をそれぞれ起用。小泉の郵政民営化への執念が形となった人事で、独裁色が極めて強い。
これには小泉支持派の中川秀直国対委員長でさえ反主流派の攻勢を恐れ、一旦、今国会での法案成立を見送る提案をしたほどだが、小泉は大声で一喝した。
「ダメだ。そんな甘いことでは絶対ダメだ。何が何でもこの国会でやれ」
所構わずの叱責に、同席していた竹中も驚いた。
2005年の衆院本会議で小泉は、「残された大きな改革、すなわち改革の本丸が郵政民営化であります」と演説、綿貫は「アホらしくて聞いてられるか」と吐き捨て、途中退席してしまった。
小泉は、郵政民営化法案が不成立なら解散する、とまたも脅しをかけてきた。これが功を奏したのか、衆院本会議では辛うじて可決した。わずか5票差だった。造反者が多数出ており、反主流派は「解散などできるはずがない」と断言した。
法案の採決は参議院に移る。参議院での与野党の議席の差は衆議院ほど大きくない。自民党から数名が造反するだけで法案は否決される。しかも参議院には解散の制度がないため、小泉の解散脅しも通じにくい。亀井静香は「第1ラウンド(衆議院)は負けたが、第2ラウンド(参議院)では確実にノックアウトします!」と豪語。しかし小泉は、否決された場合は衆院を解散すると、脅しをチラつかせた。反主流派は「参院で否決したのに衆院を解散する、など筋が通らない」と憮然として否決への姿勢を明確にする。
もはや自民党は内紛の様相を呈していた。「郵政民営化反対」は、事実上の倒閣運動と化した。郵政民営化賛成派もこれを憂慮し、解散だけは反対という議員が出てきた。その一人、世耕弘成は力を振り絞って小泉を説得しにかかった。
世耕「ともかく思いとどまってもらえませんか。もう一回秋の臨時国会で勝負しましょうよ。今回はこのまま一回流して廃案にしてもう一回出し直してやりませんか」
小泉「絶対やるから。絶対に解散するから」
小泉は譲らない。情勢はさらに深刻となる。
亀井派の中曽根弘文参院議員が郵政民営化法案への反対を表明したのだ。小泉に引退させられた父 中曽根康弘の仇を取るようなこの動き。これをきっかけに次々と法案反対を表明する議員が表れ、参議院は一気に否決ムードへと傾く。反対派の親玉、亀井は祝杯をあげた。これで参院での否決は確実だ。小泉内閣は総辞職だ、と踏んでいたのだ。解散については「500%ない」と豪語していた。
参院本会議の2日前、福田康夫が小泉を説得するため官邸に乗り込んできた。しかし、説得は失敗し、福田はカンカンになって官邸を後にした。
同日18時過ぎ、遂に小泉後見人の森喜朗が官邸に乗り込んだ。
小泉「寿司でも出前取ろうか」
森「なんもいらねぇ」
仕方なく小泉が官邸のお勝手を探すとタイ産の缶ビールがあった。それから干からびたミモレットチーズとサーモンをツマミに提供した。そして2人で10本程度飲んだ。
酔っていたのだろう。小泉は郵政大臣時代に受けた郵政官僚からの妨害、侮蔑への怒りを森にぶちまけた。森は必死に説得する。
森「総選挙になれば、自民党は激しい戦いを強いられる。あなたの意見に賛成し、努力している人まで苦しめて何の意味があるか。特に一回生議員を見殺しにし、路頭に迷わせることがあったら、一体、どう責任を取るのか」
小泉「良いんだ。それでも構わん」
森「あんたは非常な人だなあ」
小泉「俺を殺したいと思ってる奴なんて、沢山いるんだろうな」
森「そりゃいっぱいいるぞ」
森は捨て台詞を吐いた。「あんた、変人以上だよ」
森は官邸から出た後、記者団に「寿司ぐらい出るのかと思ったら缶ビールとサーモンみたいなものとこれ。硬くて噛めやしない。ビールがもうないぞと言ったら『もうない』だよ。ビールはなくなるし、腹は減るし・・・。俺に対してこんな対応だ。変人以上だな。はっきり言ってさじ投げたな、俺も」と怒りをぶちまけた。
しかし森の怒りの映像が繰り返し流れたことで、かえって小泉は自分の本気度を内外に示すことができた。小泉は政治プロレスが非常に上手い。
運命の参議院本会議。異様な空気感に支配され、自民党議員が反対票を投ずるたびに、野党は大きな拍手と歓声を上げた。郵政民営化法案は自民党から多数の造反者が出たことで否決された。もはや自民党の分裂は決定的となった。反対派は「小泉内閣は総辞職だ」と意気軒昂だった。
記者団は色めき立った。本会議場から出てきた小泉に記者が声をかける。
「総理、解散ですか⁉︎」
小泉はコクッとうなづいた。記者団から「おぉーっ‼︎」という驚きの声が出た。反対派の予想は大きく外れた。
同日の閣議で小泉は解散を主張。解散に最後まで反対した島村農水大臣は罷免した。島村からの辞表を受理せず、あえて罷免という激烈な形を取ったのは、小泉は本気だ!という宣伝になるからだ。こういう時の小泉の勘所は鋭い。「まあ、これが小泉手法ということなのだね」と島村は寂しげに語った。
かつて共に小選挙区制導入に反対した同志である島村を容赦無く罷免したのである。
後に小泉は「誰が反対するかだけに全神経を集中していた。賛成者など覚えていない」と振り返っている。すごい回想だ。
与党党首会談において、公明党の神崎代表は「今の時期、解散は望ましくない」と言ったが、小泉の凄みに押され、最終的には解散を容認。自民党の加藤紘一は「わけのわからない意味不明解散だな」と怒りの表情である。
その日の夜、小泉は経団連幹部との食事会で日本酒を二合飲み、なんとそのまま記者会見に臨んだ。あの有名な郵政解散演説だ。
「郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか。これをはっきりと、国民の皆様に問いたいと思います!」
「自由民主党は、郵政民営化賛成の候補者しか、公認しません‼︎」
小泉の反対派への仕打ちは凄まじかった。若手時代から敗北に敗北を重ねた小泉。田中派に敗け、竹下派にも敗けてきた。郵政官僚からの侮蔑も受けてきた。小渕恵三との総裁選では、信じていた仲間に裏切られ、惨敗した。屈辱であった。
ついに今まで溜まりに溜まった怨みを爆発させた。反対派の議員を自民党から追放し、その選挙区には次々と刺客を擁立。
亀井静香の選挙区には堀江貴文を立てた。堀江は皇室に反対の立場であり、自民とは理念を異にする人物だが、小泉は公然と応援した。かつて小渕との総裁選で小泉を裏切った亀井を許してはいなかった。
長く苦楽を共にした仲間とて容赦しない。堀内光雄は総務会長として小泉政権を支えてきた人物だが、郵政法案には反対票を投じたので、自民を追放された。堀内は「郵政反対の一点でここまでやるのかと驚いた。非情と言われる彼の原点は、"怨み"にあるのだと実感させられた」と嘆息した。
刺客には、小池百合子、片山さつき、小野次郎など、耳目を集める人物が次々と擁立され、選挙の注目度が飛躍的に上昇した。
「改革を止めるな」 このキャッチフレーズは劇的な効果を及ぼした。
「小泉劇場」は戦後のモタモタした政治に慣れた有権者にとっては実に痛快に映ったろう。結果は小泉自民党の大勝利。公明党と合わせて3分の2を獲得する歴史的勝利であった。あまりに勝ちすぎて、比例名簿最下位の杉村太蔵が当選するというハプニングまで起こった。
選挙後に開かれた本会議。綿貫民輔、亀井静香、平沼赳夫など一部の議員は選挙後も郵政民営化に反対票を投じたが、中曽根弘文など多くの反対議員は一転して賛成票を投じた。これにより衆参両議院で法案は大差で可決。小泉の悲願は長く苦しい30年の時を経て遂に実現した。
小泉は本心を吐露した。
「私は首相に就任した時から、自民党内で私に造反して、退陣に追い込もうとする時には必ず解散すると決意していました」
「党内の引きずり下ろしによって総辞職するということは全く考えていませんでした」
「いかなる問題であれ、党内の問題で退陣することはない。国民が私を必要ないと判断した時には退陣する。党内問題で身を引くことは考えていなかったんです」
ちなみに、反小泉系の議員達は「小泉はアメリカの言いなりとなって郵政民営化を進めた」という噂を意図的に流したが、小泉はアメリカが言い出す前から民営化を主張している。民営化の是非はともかく、民営化自体は小泉の信念だったことはまず間違いない。
5.小泉政治の問題点
ただし、その郵政民営化がなぜ改革の本丸なのか、最後まで不明なままであった。その政策論議も酷くいい加減なものだった。しかもこの時代は郵政の他に重要な問題が山積しており、例えば少子高齢化には有効な対策が取られることなく、日本の財政は悪化の一途を辿った。
拉致被害者の帰国は大きな功績だが、北朝鮮に対して、経済制裁はしない、と不要なカードを切り、身代金を払うかのように大量の食糧や医薬品を支援することを約束してしまった。また、拉致被害者の帰国は、実は北朝鮮との約束を破るものであった。北朝鮮にどれだけ問題があったとしても、約束に反して拉致被害者の帰国を決断したことは、北朝鮮側からすれば日本の重大なマナー違反であり、その後の対日不信を増大させることにつながった。北朝鮮の対日不信は、今日に至るまで拉致問題の大きな障害となっている。
郵政民営化をめぐる政局では強力なリーダーシップを発揮したが、それは従来の日本のコンセンサス型政治を無視するもので、政党政治の否認と評される危険な手法でもあった。また、郵政解散の強行により自民党内の有意な人材が追放されることになり、それが自民支持基盤の弱体化を招いたことも問題だ。このことは後に民主党政権の誕生という結果を生み出した。
政党政治の否認的行動をした理由については、小泉が自民党のコンセンサス型政治に諦観を抱いていたからではないかと考えられる。それは「反対派はどこまで行っても反対なんだよな」という小泉のセリフによく表れている。派閥を知悉しているから分かる反対派の行動。小泉もかつては森内閣時代、清和会(森派)の事務局長として加藤の乱を鎮圧する派閥政治家の一面を見せたことがある。反対派は力づくで鎮圧する。逆に自分だって鎮圧されたこともある。これは小泉だけでなく、どの派閥政治家も経験してきたことだ。
その意味では、小泉自身もまた派閥政治家であった。反対派がどう動くか、よく分かっていた。どす黒い怨念渦巻く派閥の内情に通暁していたからこそ、反対派との権力闘争を勝ち抜くことができたのである。
素淮