障害受容できない母ってダメなの?
はるは3歳半で自閉症スペクトラムの診断が出ました。
診断が出た時は正直そんなにショックはありませんでした。
でもショックはないけど、今でも
なんでうちの子が、、?
って思う気持ちはあります。
テレビに出てくる大家族、身近にいる子沢山の友達、
みんななんで子に障害がないんだろう。とかね、思ったりします。
今思うと、一番心が辛かったのは1歳半くらいだったと思います。
明らかに周りの子より言葉が遅れ、真似もしないし、
通じ合ってる感じがない息子。
何か障害があるのかな、、
でも男の子だし、言葉がちょっとくらい遅れてたって大丈夫だよね。
日々インターネットにへばりついて同じ月齢の子の発達具合を検索。
大丈夫大丈夫と自分を安心させて寝る日々でした。
でも、日に日にやっぱりはるはASDなのでは…と思う自分がいました。
それと同時にはるを妊娠中にお腹の子のいろんな将来を夢見た自分が蘇ります。
「スポーツはテニス?サッカー?バスケ?それともバドミントンとか卓球かなあ」
「早めに英語教室通わせたいなあ」
「受験は小学校から?いや流石に中学からかね」
息子の未来を想像しては、ウキウキしていた自分が悲しくて
前みたいに息子の未来を想像することができないのが辛くて。
ママさえ言わない息子、言葉を話す日が来るのか分からない日々。
今思い出しても辛いなあと思います。
そして2歳半くらいから徐々にはるから言葉が出てきて
少しずつ意思疎通ができるようになってきました。
そこから私の気持ちは次のフェーズに入ってきた気がします。
言葉は出てきても、年齢相応に意思疎通してる感はなくて
私の中ではハルはASDなんだろうなという気持ちは
強くなるとともに、いかに「定型」に息子を近づかせるかに
躍起になっている気がしました。
発達に良さそうないろんなおもちゃを買ったり
発達が追いつかなくて完全にレベルが合わないことが
嫌になってやめたチャレンジを再開。
ハルの好きなこと、得意なことを見つけるために
いろんな経験を、と数字やひらがな、動物や海の生き物の図鑑を買ったり
恐竜の図鑑を買ってみたり。
全てははるの成長のために、、
でも私の心とは裏腹にはるは特別好きなものがなく
自閉症の子によくある数字やひらがな、英語に強い興味を示すこともなく。
その時点で療育も3カ所通わせていたしSTも行って、
やれることは全てやって走り続けました。
そして私の息切れとともに
私の気持ちは気合い入れすぎるのやめよう、という次のフェーズへ。
幼稚園の入園とともに、周りの子や先生と関わり、園庭でたくさん遊んだり、
知らない遊び方を友達に教わったり
親の私がさせてあげられない学びを
息子自身でたくさんしてくるようになりました。
私が頑張っても、補えない学びがあるんだ。
そして、定型じゃなくたって、息子は息子。
少しずつそう思えるようになってきています。
まだまだ障害受容はできていません。
でも息子を、そして自分を悲観することは
だいぶ少なくなりました。
しかし正直なことを言えば全くなくなったとは言えません。
でもそれでいいんですよね。
それがありのままの自分なんです。
嘘つく必要はないからって思います。
最近は息子の未来を考えるようになっています。
それは私の夢のフィルターをかけた未来じゃなく
どうすれば息子が自立して、そして充実して、そして楽しんで
過ごせるか現実的に考えた未来です。
そしてまた新たな悩みが出てきています。
その内容はまた次のブログにまとめていきます。