ラスト縄文人雑記はじめます。
壱岐島、勝本町、湯の本温泉。そこにある、平山旅館。
1200年の歴史を持つ老舗の温泉旅館だ。
以下、平山旅館公式ホームページから抜粋。
~平山旅館一の働き者。早起きして勝本漁協のセリ市に出て、ニホンミツバチを飼い、鴨網で天
然真鴨を採り、ウナギを釣り、鯛を釣りイカを曳き、島を訪れたお客様に最高の食材提供を目指す男~
平山敏一郎会長は、和食の料理人であり、
平山旅館の食を底から支えている。
現女将、平山真希子さんから、会長のサポート件、記録係をやってみない?
とお話しをいただいたのは、チリトリ自由食堂をやめてからのこと。
わたしがこのお話をいただいたのは、ラスト縄文人こと、平山敏一郎氏のファンであったこと。
そして、日本や壱岐島の伝統的な食文化と風土に根付いた食のアプローチに興味と好奇心があったためだ。西洋やアジアからインスピレーションをもらいながらつくる美味しいものも大好きだけれど、何か大切なものを置き去りにしているような感覚が同時にあったのだ。
平山旅館の温泉に入り、上がってから中庭を眺めるとき、中庭に植えられている植物のつくり出す美観の妙。
梅の木の剪定をお手伝いさせていただいた時の、どこをどう切るのかを積み重ねられた経験からよくわかっている感じ。
平山旅館の魚の刺し盛りに感じる、季節のあしらいの細かな旬など。
平山旅館さんの素晴らしい仕事に触れるたび、その奥に会長、敏一郎氏の気配や影みたいなものを感じていたのだった。
ラスト縄文人というのは、女将の平山真希子さんが、会長へのリスペクトを込めてつけた俗称だ。会長、農耕には全く興味がないらしい。
自然の中から、些細な変化を見逃さず、日々観察して、いかに美味しい時期を逃さずに美味しく食べるかを日常の中に落とし込んで生きている。
日本蜜蜂の養蜂も、蜂たちをよくよく観察している。
しばらくして、会長には全くサポートはいらない。必要ないのだと気がついた。
若手が手を貸しますよ、なんておこがましい。自分の知識をひけらかして残そうと言うのでもない、会長にとっては自然を観察して美味しいものを日々追いかけて生きているのが自然なだけなのだろう。
知恵を少し分けてもらい、日々の中で、何をみているのか覗かせてもらうだけで、充分に新しい発見があるだろう。また、それをこれを読んでいる人にもシェアしたい。
また、平山旅館さんのある、完全無農薬のオーガニックの梅の農園、78本の木とのお付き合いも、書いていこうと思っています。
とりあえず、エッセイのように
気軽にお付き合いください。
※私の書き起こすのが遅いため、季節がずれている場合があります、
ご了承ください、、、涙
竹籤をつくるの巻。
もうそう竹をなたで、均等に割っていく会長。
5ミリくらいになった竹の棒を、
日本蜜蜂の巣箱に差し込む様に、小刀で2、3ミリの細さに整えていく。
会長がリズミカルにシャッシャッと細さ、まるさを整えていく。
平山旅館の日本蜜蜂の巣箱は会長の手づくりである。
その後、女将の真希子さんも加わり、竹籤を削っていく。
会長は軽やかなのだが、やってみると思ったより硬く、小刀がなかなか入って行かない。
『緑の部分は硬いけん、残しとって』
茶色い部分を、刀を押すのじゃあなく、竹を引くようにして』
なるほど。。。刀を押すと、削れる部分が力をかけた部分にだけかぎられるのだが、竹を引くとしなって均等に刀の力がかかるので、刃を入れたところから、最後まで、刀がすーっっと抜けてくれる。刃を何度も当てなくても、変に力を入れなくても、形が整ってゆく。
女将のマキコさんが、「お義父さん、どう?」
と尋ねると、
「上等!!」
と、太鼓を打つように返ってきた。
コツを掴んで3人で手際よく終わった。
その後、会長が鶏の餌やりにいくというのでついていく。
途中、
『まだタラの芽がギリギリ生えているっちゃ』
と生えている、まだ旬として美味しく食べられるところを、『あっことあっこ』、と教えてくれた。
隣に生えていた、むべの木を教えてくれ、『どっかの田舎では、長生きの秘訣でこれをみんな食べちょる』と、教えてくれた。
通常むべは、完熟した実を食べるのだが、花は食べられるのか?などと会長と話しながら、葉を食べてみる。(好奇心がかって色々な草や葉や花を食べていますが、やりたい人だけ真似してください)
むべは壱岐の自然の中によくある蔓性の樹木だ。
むべの葉は、新しい出会ったことのない独特なフレーバーがしてわくわくした。
ハーブや香りとして調理に登場することはないと思うけれど、印象深い味わい。
鶏小屋の横に湧き水が流れ、湿地帯になっており、セリやクレソンが、生えている。
『摘んで持ってってよかよ、かたくなるけん、どんどん生えてくるけん、上から摘んでいかなあかん』
平山旅館の鶏小屋には、天草大王、名古屋コーチン、卵用のとり、ほろほろ鶏が飼われている。
会長が、キャベツや、、いりこを混ぜた飼料ををあげる。
(平山旅館では、野菜や魚の骨などの捨てられてしまう部分を引き取り、鶏たちの餌に利用している)
その後、日本蜜蜂の巣箱の巡回へ。
平山旅館の蜜蜂を管理している、場所を順番に回っていく。
今は、日本蜜蜂の巣に、新しい女王蜂が生まれて、母親の女王蜂があたらしい巣を求めて
半分の働き蜂と共に、引っ越しをする分蜂の時期なのだ。
分蜂とは、その名のとうり蜂が分かれること。
おおむね分蜂の時期は終わったらしいのだけど、天気が良い日は、たびたび新しい女王蜂が生まれるらしい。
この日も、見回りの途中、梅林の木の下で、蜂分かれした群れを発見した。
その年によって、頻度は変わるらしいのだけど、今年は多いらしい。
巣箱を増やしたり、管理が大変なため、群れの大きさを見極めて少ないものは潰してしまう。
その日、梅の木の下で見つけた群れは、潰すときめた、会長。
平山旅館が管理する巣箱は50ー80。
群れの中から、ひと回り大きな女王蜂を目視で探し出す。
『ひとまわり大きいのを探すとよ』
と教わるが、蜂が動き回る蜂玉の中から見つけ出すのが難しい。
「これですか?」
『それは雄蜂やね』
これかな?と思うたびに、雄蜂だった。こんなにたくさんの蜂が群れで移動するなんて!
と、ふるふると自然の不思議さを感じながら目を凝らす。
『おった』
会長が、ぽそっとつぶやく
「えっ!どこですか?」
と会長の視線の先を探るも、
全然わからん、、と、思うまもなく、透明なクリップ状の蜂とりで会長は女王蜂をあっという間に捕まえてしまった。
蜂をとるクリップ状の道具には、隙間が空いており、女王蜂よりすこし小さい働きバチは、隙間から飛び立つことができるので、ふわ~っっと飛び立つ。
ひと回り大きな女王蜂は隙間を抜けることができないので、クリップの中に残る仕組みになっている。
『可哀想やけど、』
と、会長がトドメを刺した日本蜜蜂を、ジッと見つめていたわたしを見かねて
『持って帰る?』と聞いたので、持って帰ることにした。
その日は、壱岐島の湯の本エリアの雲丹漁の口開け日(解禁日)。
平山旅館の料理長、平山周太朗氏と会長が近くの磯場に漁にいくというのでついていかせてもらった。(漁業権を持っている人しか、基本的にとってはいけないです)
壱岐島は、磯場のエリアによって雲丹の漁の仕方が違うのだが、修太郎さんはウエットスーツに、ハコメガネ、なが~い雲丹かき棒を持って、海につかるスタイル。
腰に浮きがついたとったものを入れる箱を紐でくくりつけている。
会長は長靴で、うにかきぼうとかごを持って。
だいぶ潮が引いていた。
壱岐島にきて潮の満ち引きで風景が変わることに新鮮な驚きがある。
修太郎さんが磯への階段を降りて、海にぐんぐん入っていく。
階段上から、見守る会長とおまけの人(わたし)
壱岐島の雲丹漁が解禁されると、今年はどうか~?、海藻は、生えているか~?
など、盛んにみんなお話しする。壱岐島の5月は、雲丹漁によって華やかになるイメージだ。
会長が、息子の修太郎さんに、階段上から海にいる修太郎さんに
『どや?!』と、声を掛ける。
「ちいさいのが多いかな~」と、修太郎さん。
黙々ととっていく。
少し離れた、階段下、干潮の磯場に、おばちゃんたちが盛んに漁をしている景色が見える。
『ちょっと、あすこまで降りてみよ』
というので、会長の後をついていく。降りて、防波堤沿いに歩く。
『みな貝とか、じんがさも美味しいけん、いっぱいおるけん、こういうのを使ったら外(観光の)の人に喜ばれると思うんやけどね~』と会長。
探しながら、磯場を歩いていく。
岩牡蠣、石の花と書いて、”せっか”と読む牡蠣が張り付いているエリアがあった。
会長が、雲丹カキ棒でこんこんっとハジにヒビを入れ、食べる。
『こりゃ旨か』
そしてまた大きめなのをとって、『食べ」とわたしにも、わけてくれた。
『美味い!!』
う~ん、おいしい。うん、美味しい。
次に、雲丹を発見した会長。
『雲丹、おった』うにかきぼうでとる。
割って、赤茶色の身が見えたところを『雲丹だ、雲丹だ!』と嬉々としている会長。
やはり会長もこの時期の雲丹は楽しみにしているのだろう。
片方の身をひき出して、こりゃ美味い、と
半分を分けてくれた。
『美味しい』
磯の香りに、甘味旨み。
毎年、壱岐の雲丹を食べるたびに感動する。
本当に希少で贅沢な体験だ。
磯場を散策しながら、歩く途中、会長が、『おっ!!!』
と声をあげる。
『こりゃ、おおきか!岩牡蠣だ』
手に直径13cmくらいの石にしか見えないものを握っている会長。
よ~くみると確かに牡蠣だ。
『こんなん、初めてみたばい』本気で嬉しそうな会長。
「いや~、おおきいですね~こんなに大きくなることあるんですね」
少し離れた周太郎さんの方へ防波堤沿いを歩き、戻っていく。
まだ、雲丹を取り続けている。 籠がいっぱいになっていた。
湯本湾を見渡しながら、、
『昔は、あそこに見える蛇島に、サザエやらトコブシを取りによく行っちょって、1日で10キロくらい獲れたとよ。いっきょい少なくなっちょる』
『海藻も昆布やなんかたくさんあって、ほんとに変わってしまったね、、学者はこんなに海が変わってしまうことを、ほんとに知らんやったんやろうか』
とつぶやく。ラスト縄文人。
周太郎さんがあがってきて、さあ、帰ろうとなった。
「おやじ、なるべく雲丹、なるべく活かしとって。」と周太郎さん。
ギリギリまで生きていた雲丹を食べれるのは、お客さんにはとても記憶に残る体験だろう。
海の潮の味わいがのこる。
つづく。