中田商店と冷戦

1 私が上京したのは冷戦が終結してそれなりに年月が経過した後の事だった。当時の日本は「失われた20年(もしくは30年)」に入り始めた頃に相当するはずだが、アメ横にある「中田商店」に行くと、東独・ユーゴスラビア・チェコスロバキア等々今では存在しない国々のサープラス品(軍の放出品)が数多く店頭に並んでいた。

 「サープラス」とは元々は「余りもの」という意味らしいが、中田商店の店頭に置かれたミリタリーウェアを手に取ると、日本人の体型に全く合わないサイジングや、戦場を知らない私にはおよそ用途の見当が付かないポケットの数々が目に付き、本物の軍服が「不用品」としてはるばる日本にまで流れて来た事に思いを馳せていると、「冷戦は終わったんだな」という実感が大学生の私にも沸き起こったのを覚えている。

 現在の「中田商店」は、米軍の復刻品や古着のミリタリーウェアに商品の軸足を移しているようで、客層も、昔の私と同じくファッション誌で「中田商店」の存在を知ったと思われる中年の男性が2割。ミリタリー好きの若者が3割。残り半数は、普通の若者(彼らがどういう経緯で「中田商店」を知ったのかは分からない)といった所だろう。
 つまり、客の7割は「中田商店」が20年以上前は旧共産圏のサープラスを扱っていた事も、おそらくは東西冷戦についても知らないのではないかと思う。

2 ロシアが2022年2月にウクライナに侵攻してから約2年が経過した。侵攻当初は「ロシア=悪・ウクライナ=善」という図式で語られていたが、戦況が膠着した今になって分かったことは、世界はもはやアメリカを中心に回っていないという事実である。
 今の世界情勢を米欧(日本や韓国も含む)とロシア・中国(とそれを支持する中東やアフリカ諸国)との間での「新冷戦」になぞらえる向きもある。

・・・と、本稿ではウクライナ情勢について私見を書くつもりだったのだが、書きあがった文章を読んでみると出来の悪い大学生の課題レポートのようである。今後の戦況見通しを例に取ると、その判断材料となる情報もそれを分析する能力のいずれも私にはないので、知的に誠実であろうと思うなら、「分からない事は分からない」と書くべきだと思って、以下の文章は全て破棄して書き直してある。

 中田商店の思い出話を続けよう。

 ファッションに興味のある友人と店を訪れた際、私がM-65(注1)を試着して「どう思う?ちょっとコスプレっぽいかな⁇」と聞くと、「軍人より軍人ぽく見えるから、似合うというより怖い」という感想だった。 
 日本には建前として「軍人」はいないことになっているから、彼の言う「軍人」がアメリカ軍人を指しているのかは分からなかったが、私がM-65を着た姿が周囲に「怖い」という印象を与えるほど違和感がなかったのなら、街中でそれを着ると色々と誤解やトラブルの種になると思って購入を断念した。

注1)


3 その点について、世の中の人々がどこまで自覚的かは分からないが、服を着る、コーディネイトを選ぶというのは一種の自己表現である。服に全く興味がなく、その場にあるモノを適当に選んで着ている人ですら、「私は服に興味がない」という態度を身体で表明している。

 バタフライナイフの所持が禁止された時に、TVのニュースで秋葉原を歩く迷彩服の青年にインタビューする模様が流れていたが、あれは「秋葉原」「迷彩服」という記号でピックアップして、「オタク」の青年を晒し者にしようというTV局の悪意が感じられる内容で非常に不愉快だった。まあ、身体を通した表現の自由が認められるべき事は確かなのだが、その時インタビューを受けていた彼に対しても、同時にもう少し自分が周りからどう見えているかについて気を配ってほしいとも思った。

 ユニクロが登場して以降、秋葉原を歩く若者たちは本当にお洒落になった。正確に言うと、彼らは意識して「お洒落をしている」わけではないが、20年前の「チェックシャツの裾を色落ちしたジーンズにインして、背中には荷物がパンパンのリュックを背負っている(足元は白のスニーカー)」という「アキバファッション」(注2)の若者は今の秋葉原ではほぼ絶滅したと言ってよい。

注2)以前、「革命前夜」さんのYOUTUBE動画を話題にした事があり、それ以降「ブレイクダンス」の動画を時々見ている。「革命前夜」さんは、「RAB」というダンスユニットでも活動されているが、このRABは「オタク」と「ブレイクダンス」という二つのコンセプトを組み合わせたユニットだそうである。

 RABのメンバーの方々が着ている恰好が(足元を除いて)いわゆる「アキバファッション」である。

 RABの方々が「アキバファッション」に身を固めているのは、それが「秋葉原」「オタク」というメッセージ性を有しているからである(それと同時に、そういう「オタク」が「ブレイクダンス」をするというギャップに彼らの一つの魅力があるのだろう)。

 服に興味を持つ・持たないは各人の自由だが、少なくとも服を着る行為には本人が意識するとしないとに関わらず、一種の身体表現としてメッセージ性が伴う事を知っておくといいかもしれない。
 冠婚葬祭にTシャツに短パン姿で行くのは、「主催者に対する敬意を私はひとかけらも持ち合わせていません」という強烈なメッセージになる。メッセージ性がないというのがスーツを始めとするユニフォームの特徴なので、冠婚葬祭に招かれたらダークスーツを着るのが悪目立ちせず、主催者に対する祝意(もしくは弔意)を表す上で妥当な選択だと私も思う。

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