W杯の結果を見て
1 朝起きてTVを付けると、サッカーのW杯で日本がスペインに2-1で勝ったという報道がなされていた。
日本が最初にW杯に出たフランス大会や日韓共催の時は、日本の「シュートが(ゴールの)枠に行かない」と言って、解説者がプリプリ怒っていたのを思えば隔世の感がある。
まあ、枠に入らないとそもそも点が入らないのだから、上記2大会の解説者のコメントは「点が取れない」と嘆いていただけなのだろう。
私個人はサッカーをやる事はない。むしろ、どちらかと言えば、あまり好きではない。それは高校時代の体育の授業で次のような事があったからである。
サッカーのルールもロクに知らずにデイフェンダーをさせられ、キーパーがいないという状況で、相手のチームがボールを持ったら、とにかく「上がれ!上がれ!!」と他の同級生が叫んでいる。
「キーパーがいないんだから、ゴール前に人がいなくてどうする?」と思って下がってゴール前に突っ立っていたら、相手にミドルシュートを決められた。
「何で上がらないんだ?」と同級生から詰問されたが、「キーパーがいないのにゴール前をがら空きにしてどうする気だ?」と聞き返したら、「オフサイドが取れないだろう」と反論された。
その時点で私は「オフサイド」なるルールすら知らなかったわけだが、今考えてもゴールキーパーもいない、審判もいない状況で「オフサイド」もクソもあったもんじゃないだろう。W杯に当てられたにわかサッカーファンはこれだから困る、と「サッカー」というスポーツそのものではなく、当時のサッカーファンもどきに嫌気が差してサッカーが嫌いになった。
勿論、今では高校時代の体育の出来事とサッカーの本質は全く関係がない事が理解できるくらいの分別はあるつもりだし、日本がW杯で勝てばそれは良い事だと思う。
オリンピックは「健全なナショナリズムの発散」と言う人がいるが、私もオリンピックに止まらず、W杯、WBC等で日本が勝つのを喜ぶ人々は、健全なパトリオットなのだろうと思う(オリンピックは戦前やモスクワ大会では「ナショナリズム」の発揚として利用された経緯があるのは事実だが、昨今は「パトリオティズム」の表れとして評価したい)。
2 私が高校時代の話に戻るが、その時私に「上がれ」と指示した自称「サッカー通」達は、ワールドカップの結果を予想した賭けをやっていた。
賭け金がいくらだったのかは知らないが、「サッカーくじをマネしてカッコつけてやがる」と反感を抱いたのを覚えている。
だが、プログラップリングの試合としてWNOがコロナ下で大きく伸びている原因のひとつが「試合結果が賭けの対象になっている」事にあることを考えれば、スポーツを賭けの対象とする事は、(賭けに負けたくなければ嫌でも真剣に試合を見るようになるから)観客の目を肥やし、そのスポーツの振興を図る上で意義があるのではないかと思っている。
私自身は賭け事はしない。それにも理由がある。昔知り合いに連れられて府中競馬場に行った事があるが(たしか安田記念だったと思う)、京王線から競馬場の入り口までは一直線なので行きは気付かなかったが、メインレースが終わって出口から出ると、競馬場の外には質屋がズラッと並んでいる。
そして、最終レースが終わったら青い顔をして、質屋に駆け込む大勢のおじさん達を見て、「ここは一歩間違えれば地獄だな」と暗い気持ちになったからだ。
3 スポーツを賭けの対象とすることがその健全性を損なうという論もあるが、上述したように必ずしもそうとは言えない。また、奢侈・散財によって個人の日常生活を破綻させ、勤労の美風という社会秩序を乱すということで賭博罪が儲けられてはいるが、実際には公営ギャンブル(競馬・競輪・サッカーくじ等)が存在している事で賭博罪による賭け事の規制は説得力がない。
賭博に対して依存する人々が生じないような対策(あるいは、依存者の立ち直りのための支援)は必要であろうが、日本でプログラップリング全く流行らない現状を考えると、WNOのように賭けを原資にどこか団体を立ち上げて欲しいと思う。
今朝のW杯の報道を見て、そういう事を思った。