帯について

1 「ブラジリアン柔術」の帯は、技量の向上に応じて、白帯から順に、青・紫・茶、そして黒帯へと昇格していくシステムとなっている(注1)。

注1)黒帯に昇格しても、最初は「黒帯初段」ではなく「黒帯無段」になる、というのが他の武術と異なる特徴的な点だが、「黒帯無段」取得後の年数等に応じて、最後は「赤帯」になるのは柔道と似ている(下記リンク参照)。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Brazilian_jiu-jitsu_ranking_system

 さて、本稿では次に掲載するブログを読んで、私が「帯」について思った事を書いてみたい。
 http://blog.livedoor.jp/haku_jiu/archives/87076835.html
 誤解のないように予め書いておくが、このブログの内容を批判する意図は毛頭ない。むしろ、「大会の青帯カテゴリーは「青帯の人」を対象にしているのであって「青帯で登録できる人」を対象にしているわけではないというのが個人的な見解だ。」という意見は尤もだと思う。
 その上で、このブログに書かれているような事態が生じる原因とこれについての私見を述べてみたい。

2 BJJの帯は、道場主が門下生に対して、その実力や練習回数を考慮して出すモノである。そして、帯を昇格させるか否かの判断基準の設定は、道場主の専権である。
 とりわけ「実力」を判定するに際して、IBJJF(連盟)やASJJF(DUMAU)が主催する大会での勝利(場合によっては、トーナメントでの優勝・入賞)を基準にする道場もあるし、それらの実績を考慮しない道場もある。
 そうした試合実績を考慮する・しないは先に述べたように道場主の専権なので、道場主に帯昇格の基準について確固たる信念があるならば、それで構わないと私は思っている。
 ただ、そうした帯の昇格基準について、道場間で統一されていない事が、IBJJFの試合とASJJFの試合では異なる帯でエントリーする人が出てくるというような事態を招く一因となっている。
 ここからが私見になるが、帯の色はしょせんは「同じ道場内」における実力ないし、技量を序列化・可視化するものでしかない。
 ある道場で青帯を取得したからと言って、他の道場でも白帯より強いとは限らなくなっているのが今日の日本のBJJ村の現状だろう。
 ただ、そういう帯昇格に関する基準に統一性がない事が私は悪いとは思っていない。
 例えば、私は古流柔術のある「会派」では黒帯で支部長資格を持っているが、他の「会派」に行けばその支部長資格に価値はない。
 もっと分かりやすく言うと、私が稽古していた古流柔術という「流派」を離れて、他の「流派」たとえば合気会合気道で稽古を始めようと思えば、当然私は白帯からスタートしなければならない。
 柔道で黒帯を締めていた人が空手を始めた時に白帯からやり直すのと同じ事である。
 そういう意味では、帯の価値と言うのは所詮は「ある道場内での実力や技量の序列について表象したモノ」以上でも以下でもない。
 彼が本当に柔術の実力があるか?は、彼の締めている帯からは実は必ずしも明確ではない。
 実力を測るモノサシとして、連盟やDUMAUの試合を基準として採用している道場で色帯を貰っている方であれば、スパーや試合では間違いなく強いはずである。だが、そういう人々がMMAの試合や極端な話になるが喧嘩に巻き込まれた時に強いかは分からない。
 逆に、グレイシー系のセルフディフェンスの型をメインに稽古している道場で色帯を取得した方であれば、スパーや試合にはあまり強くないだろう。だが、喧嘩に巻き込まれた場合に、自分の身を守り「サバイブ」する能力は試合実績がある人よりも高いかもしれない。

3 私が本稿で言いたかったのは、「帯の昇格基準には多様性があってしかるべきであり、連盟の試合にリンクさせる道場以外は邪道だという偏狭な考え方には反対だ」という事である。
 「連盟だけが柔術の正当で、それ以外は異端」というような発想が伺える記事として次のような話がある。
 https://www.bjjee.com/articles/bjj-blue-belt-claims-god-promoted-him-to-black-belt-in-bjj/
 https://www.bjjee.com/articles/round-funniest-cases-fradulent-belt-promotions/
 興味のある方は上記記事をGoogle翻訳して目を通して欲しいが、私に言わせればこの記事で「不正なプロモーション」とされる色帯を巻いた人々がIBJJFの試合に出ることはないのだから、一々目くじらを立てる必要はないと思う。
 ブラジリアン柔術も元を辿れば、戦前に前田光世に代表されるような海を渡った柔術家がブラジルに伝えたものである。その際もベルトプロモーションは、各柔術家毎に行っていたはずで、今日のような明確なシステムもなければ、グレイシー一族も当時は名もなき柔術一家でしかなかった。
 もし「連盟の試合を基準としないベルトプロモーションは不正だ」というのであれば、次の記事は掲載すること自体矛盾している。
 https://www.bjjee.com/articles/renzo-gracie-promoted-to-coral-belt-by-rickson-gracie/
 本稿をお読みの方の大半はご存じないかと思うが、ヒクソンは連盟のトップであるカーロス・グレイシーjrと仲が悪いせいか、連盟の基準では「黒帯無段」である。
 「段位が上の者が下の者に帯を出す」という原則は、BJJでも古流柔術と変わらない。それにも関わらず、「黒帯無段」のヒクソンが、「黒帯6段」のヘンゾに7段相当の「珊瑚帯」を出している。
 連盟至上主義のような人からすれば、これは決してあってはならない事態だと思うが、なぜかこの一件に疑義を呈する人はいない。
 帯は「自分が継続して稽古してきた証である」。それに達成感を感じ、自分に自信を持つ事は稽古のモチベーションを維持する上で大事な事だと思う。それが帯の一番重要な内的価値である。
 だが、帯は「特定の道場内での実力を序列化したモノにすぎない」と考えれば、彼の実力を対外的に示す目安にはなっても、それを客観的に示す事は不可能で、他の道場で稽古している人々に対しての、いわば外的な価値はほとんどない。
 少なくともBJJを取り巻く帯の現状から言えるのは、「帯が上だから偉い」とかいう発想は成り立たない事である。帯が上がって自分に自信が付く事と、自分の実力の承認を他人に強制出来るか否かは全く別次元の話なのである。

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藤田 正和
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