己の承認欲求と向き合う-その2-肥大化する承認欲求をどうコントロールするか?

1 前稿で自己の承認欲求を満たす方法として武術を始めてはどうか、道場での他者との関わり合いを通して承認欲求を満たす事が出来るのではないか、という話を書いた。
 だが、上記の話には注意が必要である。特に公式試合のある武術・格闘技を始める場合、承認する物差しを間違えてしまうと、承認欲求を適切にコントロール出来なくなる恐れがあるからである。
 私個人はBJJの公式試合(連盟・DUMAU)に勝てないだけで、公式試合に出る・勝つ事の意義を全く否定していない。公式試合に勝つ事は、単に練習量をこなすだけでなく、試合に勝つための戦術やコンディショニング等々多岐にわたる事前準備と試合本番での心の強さが試される。そういう試合で勝つ人々に対しては、(ステロイドを使用して勝ったというようなズルをしない限り)素直に称賛するのが私の考え方である。少なくとも、公式試合の価値を否定するのであれば、「お前も勝ってから文句を言え」と言われるのが関の山だろうし、その反論は当然だと思っている。

2 その上で、自己の承認欲求を公式試合での勝利によって満たそうとする事が個人の人格形成にとって逆効果になるという危険性は指摘しておきたい。
(1)ある道場に若い頃MMAをやっていて大変強い人がいた。その人は白帯時代4連続一本勝ちしてあっさりと青帯になった。
 だが、その道場では公式試合で勝つための練習を全くしていないために、青帯以降全く勝てなくなった。もし個人としての対人戦闘力の高い低いを以て「強さ」とするならば、その人は間違いなく「強い人」だったと思う。だが、公式試合での勝ち方を知らないために、いつもポイントで(0-2とか0-4とかの僅差で)負けを繰り返していた。
 その人は前述したような意味での「強さ」に拘る人で、公式試合でも一本勝ちしか狙っていなかったが、それでは青帯以上の試合では試合巧者の相手に勝てなくなっても仕方がないだろう。MMAとBJJの違いにいい加減気付いても良さそうなモノだと思っていたが、やがて試合に出なくなり、柔術も辞めてしまった。
(2)また次のような人もいる。大きな大会で優勝した実績のある人(ギのスポンサードもされている)だが、上の帯に昇格してから勝てなくなって、それまで道場のグループラインにはあまりメッセをされていなかったのだが、最近になって「今日はキックボクサーの誰それさんにプライベートレッスンをしました」「(著名なBJJの)YOUTUBEチャンネルに出ました」「どこそこの有名なジムに出稽古に行きました」というような話を頻繁に書くようになっている。 
 こうした振る舞いは公式試合で満たされない「承認欲求」を道場内の他の会員に強要しているとしか見えない。たぶん、ご本人はそれを無自覚にやっているのかもしれないが、公式試合で勝つ事が承認欲求の唯一の源泉である人は、試合で勝てなくなった場合、道場内でこれまで築き上げてきた自分の地位や立場がなくなるという焦りがあるのか、当人とは直接関係ない他者の名声を借りてマウンティングしようとしているのだろう。
(3)公式試合で勝つ事によって承認欲求を満たそうとする人に共通しているのは、連盟やDUMAU以外の試合の価値を認めないという点にも表れている。
 過日いくつかの道場の交流と親睦を兼ねて練習試合を開催した事があったが、上記の人々がその試合に出なかったのはいいとして(試合に出る・出ないは当人の自由である)も、ある10分の試合で青帯の人が紫帯の人に一本勝ちした試合を評して「5分だったら、〇〇さん(紫帯の人)が7-0で勝ってますからね~」というような話をした時には耳を疑った。
 別に野試合にも公式試合と同じ価値を認めよとは言わないが、ルールが違うのに連盟やDUMAUの基準で試合を語るのはおかしくないだろうか。公式試合とひとくくりにしているが、連盟とDUMAUだって細かいルールは違う。連盟の試合に負けた選手が「DUMAUルールだったら勝ってた」等と言う事は考えられない。
 そもそも公式試合のルール自体、IBJJF(連盟)やSBJJF(DUMAU)が定めたモノである。そのルールが良いか悪いかは別にして、それは試合に出る選手にとっては他人から与えられたものである。そのルールの中で勝つために体力・知略の限りを尽くす事と、そのルールを絶対視してそれ以外の柔術のあり方を批判することは全く次元の違う話である。そういう意味では、上記の人々は公式試合で勝つ事によって承認欲求を満たして来たことで、公式試合のルールが柔術の全てであって、それ以外は柔術ではないという視野狭窄、思考停止に陥っているように見えてならない。

3 その野試合には、マスターではあるが、色帯の全日本で優勝した人や準優勝した人も出てくれて、大いに試合(試し合い)楽しんでくれていた。「普段のルールと違って新鮮だった。次回があったらまた誘ってくれ」という感想を聞くと、「ああ、この人達は本当に柔術が好きなんだな」と強く感じた。
 翻って公式試合に勝つ事にしか興味のない人は、柔術が好きなのではなく、自分が好きなだけなんだろうと私は見ている。
 試合に勝つ事そのものよりも、勝って人々から称賛を受ける事が大事なのであって、公式試合に勝てなければ、遠からず柔術を辞めて行くのも当然かと思った次第である。よく「誰それさんよりは自分の方が強い」と言って、他人と比較して自分の優越性を語る人がいるが彼らのメンタリティも似たようなものだろう。
 私個人は「昨日の自分よりも今日の自分が一歩でも1ミリでも上達していればいい」という姿勢で日々稽古をしている。それを「自己満足」という人はいるだろうが、「承認欲求を満たす」ために柔術をあるいは武術をやるのであれば、まず「自分が自分のやっている事に満足出来なくてどうする?」と思う。他者の称賛ではなく、日々の稽古の中に自己の満足を見出す事。自分で自分を「承認」してあげる事、それが自己の尊厳を保ちつつ、稽古を続ける一つのコツだと思う。私も白帯の時分には随分とバカにされたが、バカにしていた人々は次々道場を去っていった。そして、稽古を続けていれば、必ずその努力を認めてくれる人はいる。そういう人が道場内に一人でもいてくれれば、自己の「承認欲求」を満たすのには充分である。

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藤田 正和
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