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周回遅れ

1 もうしばらく休むつもりだったが、読者の方から励ましのメッセージを頂いたので、今日から執筆を再開する事にした。

 さて、今回もブラジリアン柔術(BJJ)とPED(身体強化薬)にまつわる話である。
 
 またか・・・と思われる方もいるだろうが、我慢して目を通して頂ければ幸いである。

 さて、競技柔術における極めて大きな問題は、ステロイドを始めとするPEDの使用に制限がない事である。
 正確には、BJJの競技団体も建前としてはアンチ・ドーピングを謳っているが、実際には(ごく一部の大会を除いて)ドーピング検査が実施されていないので、事実上競技柔術は「ステロイドフリー」の状態にある。

 日本人でステロイドを使用している人はほとんどいないと思われる・・・日本人のトップ選手の中で、PEDの使用をカミングアウトした選手を私は一人しか知らない・・・が、日系人の中には薬の力で技術を粉砕して大暴れする選手もいる。

 世間一般において、PEDの使用は不正な手段であると見做されており、オリンピック競技ではその使用が固く禁じられ、これに違反した場合は(最悪)競技からの永久追放等厳しい制裁が科されている。
 
 これに対し、BJJの場合、ムンジアル(柔術世界選手権)やノーギワールドで、ドーピング検査がなされるようになった(対象は出場全選手ではなく、優勝者のみ)のは、ここ1~2年の事に過ぎない。

 そして、違反した選手に対する制裁も、せいぜいメダルの剥奪と1年程度の出場停止に過ぎないので、その実効性には大いに疑問がある。
 
2 日本人選手がムンジアルで優勝できないという事を問題視する人がたまにいるが、彼等の中のある人は以前次のように語っていた。

 曰く、「日本人もムンジアルで勝ちたければ、ステロイドを注射(う)て!」

 また、次のような意見も目にしたことがある。

 「最近の若い選手は練習量が足りない。世界で勝ちたかったらもっと練習すべきだ」と。

 果たして、これらの意見は本当に正しいのだろうか?

 ジョシュ・サウンダースは、ブラジリアン柔術(BJJ)でのパフォーマンス向上薬(PED)使用について率直に語り、その理由や業界の現状を明かしました。ADCCで4位という成績を収めた彼は、高いレベルで競技するには体の負担が大きく、リカバリーが重要だと述べ、PEDがその助けになったと説明しています。特に、競技生活を維持するためにPEDを用いたことが彼にとって有益だったと感じており、BJJの厳しいトレーニングスケジュールや年齢による体力低下に対抗する手段として使ったと明かしました。
 サウンダースはまた、BJJ業界でPED使用がタブー視される一方、実際には広く行われていると指摘。BJJは本来、技術やスキルに重きを置くスポーツであり、PEDを使用することは「反則」と見なされがちですが、彼は「現実を見て率直に話すことが大切」と考え、問題をオープンにすることで議論を促したいと述べています。PEDが長期的な健康にリスクをもたらす可能性も認識しているものの、キャリアを延ばすために一時的なリスクを受け入れるという判断が彼にとって最適だったと語りました。
 このような発言を通じて、ソーンダースはBJJにおけるPED使用の実情やアスリートが感じるプレッシャーを浮き彫りにし、今後の対話を求めています。競技スポーツにおいてPEDが持つ役割や影響について、よりオープンな議論が必要だとする彼の姿勢は、柔術界に一石を投じるものです。
(下記リンクをCHATGPTを用いて要約)

Professional Grappler Josh Saunders Explains Why He Takes PEDs for BJJ

 この二つの記事から読み取れるのは、サウンダースもクレイグも日頃の練習で蓄積する疲労や試合で受ける肉体的ダメージからのリカバリー(回復)のためにPEDを用いているという事である。

 ジョン・ダナハーが、「柔術の強さは、一に練習量、二に練習の質によって決まる」と述べている事についてはこれまでも何度か触れて来た。

 だが、練習すれば誰だって疲れるし、一定確率で怪我をする事を考えれば、練習量が増えれば増えるほど、怪我をする可能性が高まる。

 怪我のリスクをも考慮すれば、(専業柔術家か否かを問わず)常人がコンスタントに練習を続けるためには休息が不可欠で、週7回・一日8時間のトレーニングを続ける事は肉体的に不可能である。
 しかしながら、サウンダースのようにPEDを用いて、怪我や疲労からの回復速度を上げ、常人には出来ない量の練習を積み重ねる事が可能になれば、ダナハーの言を引くまでもなく、絶対に強くなれるだろう。

 要するに、現状はもはや「ステロイドを注射(う)てば日本人もムンジアルに勝てる」といった単純な状況にはないのである。
 ステロイドを注射ったところで、絶対的な練習量の差を埋める事が出来なければ、ムンジアルを始めとした世界のトップレベルで勝つ事は厳しいだろう。

 また、常人に向かって「もっと練習しろ!」と言うのは容易いが、根性だけで超人サウンダースと同じ練習をこなす事は不可能である(まず確実に怪我をして、長期的に見れば全体的な練習量は減ってしまうだろう)。

3 PEDの使用が「卑怯だ」「不公正だ」というのは簡単である(勿論、その意見は私も正しいと思う)。

 だが、いみじくもサウンダースが語っているように、まずは競技柔術(やプログラップリング)におけるPEDの蔓延という現実を直視する事から始めなければ、問題の本質が何処にあるのか?そして、それについてどう対処すべきか?という点についての議論も深まらないだろう。

 日本では「フィジカルで相手を圧倒して(目先の)試合に勝つため」という時代遅れの発想でPEDを捉えている人が多いのかもしれないが、世界では「強くなる(=世界のトップレベルで戦うために必要な技術を身に付ける)のに必要な練習量を確保するため」にPEDを用いているのである。

 PEDに対する考え方ひとつとっても、(良い悪いとは全く別の次元で)日本は世界のトップから大きく遅れている。

 BJJにおけるPED使用の現状をまず知り、「問題がどう問題なのか?」という点を押さえていれば、先に取り上げたような「日本人もムンジアルで勝ちたければ・・・」式の意見が正しくないことはお分かり頂けるだろう。
 
 そこからさらに一歩突っ込んで、PEDの蔓延という現状について我々がひとりの人間としてどう考えるべきか?というのは難しい問題だが(特に、アイデアは提起出来ても、それを実現する力がないという点がネックになる)、私とほぼ同じ考え方の記事を見つけたので、ここで紹介しておきたい。


「負けから学ぶ」という言葉は、競技スポーツでの敗北を通して学ぶことを促し、失敗を成長の糧として捉える視点を提供しています。しかし、この考え方は勝敗に基づく競技の枠組みを強化し、勝利が最終的な評価基準であるとする価値観に根ざしています。アスリートたちは結果重視の競技環境で、短期間での成果を求めてパフォーマンス向上薬(PED)や極端な減量などのリスクある手段に頼る傾向が強まっており、こうした行動は選手の健康を大きく損なう可能性があります。
 アスリートにとってPEDの使用は、身体能力を迅速に向上させ、負けを回避するための手段となっていますが、その一方で心臓やホルモンバランスなどに深刻な健康リスクが伴います。また、短期間で体重を減らし軽量階級で戦うことを目的とした極端な減量も、競技における一時的なアドバンテージにはなり得ますが、腎臓や代謝機能への悪影響、ホルモン不調などの健康問題を引き起こす可能性が高いです。このような行動は、競技における「勝ち負け」の二分法が生む圧力によって引き起こされており、結果への過度な執着が根底にあります。
 また、この「勝ち負け」の執着心は、スポーツ業界全体に商業的利益をもたらしています。アスリートは勝利することでスポンサー契約やメディアでの注目を集め、それによりスポンサー企業は売上を伸ばし、競技大会の主催者も観客や商品購入で利益を得ます。競技において成功を収める選手にはトレーニング用品やサプリメントの購入、トレーニングプログラムへの投資が奨励される一方、敗者には更なる努力と投資が要求され、競技環境は「勝利」への追求を通じて経済的にも消費を促進するシステムが成り立っています。
 このようなシステムの中で、選手は自分の身体のニーズや限界を理解し、持続的な成長を目指すことよりも、短期的な成功や外部からの評価を追い求めることに囚われがちです。その結果、競技での成功が自身の価値を決定するとされ、「勝つためには何をしてもよい」という考え方が助長されることになります。こうした考えは、アスリートの長期的な健康や幸福を犠牲にするものです。
 この悪循環を断ち切るためには、アスリートが外部の評価や短期的な成功に頼らず、自分自身の成長に焦点を当てる必要があります。勝ち負けではなく、自分の身体や技術に対する深い理解や持続可能な目標を重視することで、アスリートは競技を通じて健全な成長を遂げることが可能です。このような姿勢に基づいた競技の捉え方は、短期的な勝利に頼ることなく、自身の成長を追求することに繋がり、長期的に持続可能で健康的な競技生活を築く基盤となります。
(下記リンクをCHATGPTを用いて要約)

The Fallacy of "Learning When You Lose": How Competitive Ideology Push – BJJ Fanatics

 少なくとも、これだけ頻繁にPEDにまつわる話が記事にされているところを見ると、世界ではPEDの使用を巡って日常的にかなり深刻な問題が引き起こされていると見て間違いないだろう。
 
 今現在の競技柔術を取り巻く環境は公正でも公平でもないのだから、競技柔術の試合に出るにしても(自分の技量を測る「試し合い」として試合の場が有効であるのは確かだが)、目先の勝ち負けに過度に拘るのは止めた方がいいと私も思う。


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藤田 正和
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